昨日、桂市民センターで加茂綱村太鼓「こども教室」の発表会でした。
ジュニアのみんなの足を引っ張らないように、と。それだけ願って長男Yを送りだしたものの・・・。やっぱりやっちゃいましたね。ドンカメ(初打)でモロに一拍遅れるという大チョンボ!
みんなと一段も二段も低いレベルでモタモタしている現実って・・・。やっぱり辛いなぁ。
そんでもって、Yクンは寡黙に練習するけど、覇気というか欲というか、「もっともっと」と言う部分をなかなか見せないから、見守るほうは何とももどかしい気持ちにさせられるんです。
昨日も発表会終わってから、随分晴れ晴れとした顔していたからこっちも何も言わなかったど、ホントは訊きたいことはいっぱいあったのです。
「ホントにあれで満足?」「もっと上手く叩きたいと思わない?」
訊くととたんに顔を曇らせるだろうし、その顔を見れば僕も「誰が太鼓を叩きたいと思っているのか」がわからなくなってしまう。
んん、どうしたものか。
このままではあんまりにも中途半端です。もしあれでYクンが「満足だ」というならば、僕は「そうか」といってバチを燃やしてしまうかもしれない。一方で、未知のコミュニティに突然連れていかれた彼の戸惑いも僕には理解できているのです。
せっかくだから太鼓うまくなってほしい。
誰とでも合わせられるくらいにうまくなってほしい。
おなかにずしんと響く一発を、絶妙の間で打ち込めるような太鼓野郎になってほしい。
けれど、ただパフォーマンスすれば満足だというならば・・・、ヨノナカそんなに甘かぁねぇだろ?
ジュニアのみんなの足を引っ張らないように、と。それだけ願って長男Yを送りだしたものの・・・。やっぱりやっちゃいましたね。ドンカメ(初打)でモロに一拍遅れるという大チョンボ!
みんなと一段も二段も低いレベルでモタモタしている現実って・・・。やっぱり辛いなぁ。
そんでもって、Yクンは寡黙に練習するけど、覇気というか欲というか、「もっともっと」と言う部分をなかなか見せないから、見守るほうは何とももどかしい気持ちにさせられるんです。
昨日も発表会終わってから、随分晴れ晴れとした顔していたからこっちも何も言わなかったど、ホントは訊きたいことはいっぱいあったのです。
「ホントにあれで満足?」「もっと上手く叩きたいと思わない?」
訊くととたんに顔を曇らせるだろうし、その顔を見れば僕も「誰が太鼓を叩きたいと思っているのか」がわからなくなってしまう。
んん、どうしたものか。
このままではあんまりにも中途半端です。もしあれでYクンが「満足だ」というならば、僕は「そうか」といってバチを燃やしてしまうかもしれない。一方で、未知のコミュニティに突然連れていかれた彼の戸惑いも僕には理解できているのです。
せっかくだから太鼓うまくなってほしい。
誰とでも合わせられるくらいにうまくなってほしい。
おなかにずしんと響く一発を、絶妙の間で打ち込めるような太鼓野郎になってほしい。
けれど、ただパフォーマンスすれば満足だというならば・・・、ヨノナカそんなに甘かぁねぇだろ?
誰もいない家に帰ってくることほど淋しいことはないでしょう。僕たちはそれを長男に強いる生活です。いずれ次男もそうなります。
要は、向かい合える時間があったときに、その時間を如何に大事に使うのか、ということだと思っています。お風呂然り食事然り。
けれど、ぞんざいな受け応えや八つ当たりなど、後々後悔するような態度をとってしまうことも僕はままあります。こう言う一つ一つが日本人の情緒を劣化させているんだろうと、これはこれで悩み多き日々です。
そうそう、背中流してるとき私も思います。おおきくなったな~って。
いろいろ思うことは多々あれど、いっしょにお風呂に入れることひとつだけで、満足しなきゃいけないのかもしれません。
家でシゴトしてはいるけど、多分に子どもたちと接してる時間が少ない、悩み多きワタシでした。
出てきた言葉は「楽しかった・・・」
ただみんなと合わせたというだけで嬉しかったのだそうな。そしてそこが今のYクンにとって「いっぱいいっぱい」なところのようです。オトナは「息子が足手まといになっている」という引け目でいっぱいいっぱいでしたが、むしろその息子クンの方がその環境なりに楽しんでいたのかもしれません。
「自分の太鼓に満足できた?」
こちらの答えは「NO」と返ってきました。
いっぱいいっぱいだったけど、それでも判っていたのかもね。
Yクンの背中を拭いてやりながら、肩や僧帽筋にしっかりした筋肉がつき始めていることに気がつきました。
ちょっとダンベルでも貸してやろうかしら。