放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

角館-花巻紀行(県道にて2)

2018年12月25日 23時01分48秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました

 宮沢賢治が羅須地人協会を創設し願ったことは、ただ純粋に職業・産業の貴賤を取り払い、ほんとうの尊厳と自由と芸術文化の奔流を世の隅々まで流し込むことであったと思いたい。けれどその活動は思いのほか短く。女性問題や地域の誤解と本人の得病によって断絶せざるを得なかった。賢治亡きあと、その願いはその後の経済至上主義の中でどんどん閉塞し、窒息してゆく。しかし災害や何かのきっかけで、僕たちは誰かのことを想い、その尊厳と自由を応援したいと願うことがある。誰でもふとしたことで身勝手から一転して他者を慮るようになる。そういうところまで僕らは「尊厳」というものを理解できている。その瞬間、賢治の願いはささやかに結実している。確かに結実しているんだと思う。

 その賢治の願いと活動を記憶する建物「羅須地人協会館」。いまは花巻農業高校の一角にある。ここはかつて賢治が教鞭を執った花巻農学校の後身である。

 ここへ来るのはこれが2回め。待ち構えたように雨は小降りになる。
 初回は1995年。間もなく賢治生誕100年になるという祝祭の前年だったと思う。
 ここへは電車で来て、タクシーで廻った。たしか胡四王山の施設をすべて見て回って、羅須地人協会の建物を外から眺め、最後に墓所を参拝して駅へ戻ったと思う。今となっては、どんなコースで巡ったのか、よく思い出せない。
 
 ここは県立高校だけど、羅須地人協会を訪れる人のために駐車場が用意されている。岩手県って、なんて親切。で案内板を読むと、当然のことながら公開時間はとっくに終了。そりゃそーだ。しかも今日は日曜日。延長はありえない(平日もダメでしょフツー)。未練たらしく建物周辺をウロウロしたが、何も収穫はなく、結局そのまま退散するしかなかった。

 で、また移動。

 空港滑走路の下をくぐり(すべてナビの指示です)、市街地を西へ突っ切る。山沿いの県道に出たら、花巻温泉郷は意外と近かった。目指す台温泉はこの奥。
 温泉街を抜けたら急に人気のない山道になる。付き合ってくれるのは電柱を渡り歩く電線だけ。Y字路に差し掛かったとき、左折するべきところを右に行ってしまい、さらに寂しい道になる。どうしよう、コレどこかでやり直す? 決心がつかないまま走らせていると、正面にトンネルが見えてきた。車一台分の小さな小さなトンネル。まるで坑道のよう。対向車来たら間違いなく接触する。雨はとうとう本降りになった。山肌を流れ下る泥水が怖い。トンネルの向こうはカーブの続く下り坂。と、そのさきに廃墟となったお宿が見えてきた。渡り廊下橋を潜る。と、その先に、お迎え提灯を掲げた古そうなお宿があった。あ、ここだ。今日お世話になる「中嶋旅館」。


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