放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

閖上へ・・・2(The Life Eater37)

2012年03月12日 13時28分35秒 | 東日本大震災
 2012年3月11日。

 花粉症のピークかな、涙が止まらない。
 まるで震災の日に連動するようにひどくなってゆく。
 ちょっとでも日の光がまぶしいと感じるとすぐにぼろぼろと涙がこぼれる。
 それでも、行くことに決めていた。
 

 そこはまるで霊場のようだった。
 土台だけの家のあと。
 砕いた屋根瓦を積み上げた山。
 その上にあがり、海を見る人々。

 すっかりなんにもなくなってしまった。
 街も信号もお店も港も・・・。

 それでも今日は、大勢の人々がここに集まってきていた。
 あちこちの住居跡にみんな車を突っ込み、みんなでがやがやと日和山に集まってゆく。

 あおぞらと砂ぼこり
 瓦礫と花たば
   潮かぜと読経
    ヘリコプターの騒音がまるであの日を思い出させる。

 今日はどこもこういう「霊場」がいっぱい出来ているのだろう。

 日和山にはヒゲがピンピンと跳ねたような文字の幟が立つ。お題目が書いてある。
 僧侶と信者とそして遺族が優先的に上へ上がっているのだろう。

 やがてもの悲しい鉦の音が上より聞こえてきた。2時46分だ。
 みんなで黙祷する。
 てんでばらばらに集まってきただけの人々が、この瞬間に同じ行為をしている。なんだか不思議。
 小さな子供のおしゃべりは聞こえるものの、圧倒的な静寂が生まれた。

 (日和山に向かって黙祷していたのは、きっとここだけかも。石巻も気仙沼もいわきも海に向かって祈ったに違いない)

 読経は上で延々と続いている。
 泣きはらした目をした遺族が山を下りてきた。ころあいを見て僕らも日和山にのぼる。
 日和山は石段三十段くらいの丘である。瓦礫の山の方がよっぽど高い。
 それでも上にあがると青い海が見えた。3月の海は青がひときわ鮮やかで綺麗。あの時もそうだったが、そのギャップが、僕らを戸惑わせている。
 
 あらためて合掌。

 それまで覚えていた町並みがすっかりない。
 うす茶色の荒地が広がっているだけ。だからその向こうの海が怖いくらい青く光って見えた。

 あー、まぶたがイタイ。
 多分、(初めての)花粉症なんだろうけど、なんで今日はこんな目にばっかり来るのかな。
 まるで今日に照準を合わせたかのように花粉症のピークが来た。
 もしかしてオレ泣いてるの?とか思ったけど、たぶん違う。
 というか、それは欺瞞でしょ。花粉症でないという証しがない限りは。

 帰りの道すがら、閖上中学校の前に流し灯篭(のようなもの)が並べられていた。
 ここも霊場である。生々しい悲劇がくりひろげられた場所でもあるのだから。

 このなつかしい港町がこれからどのようになってしまうのか・・・。
 残すのか、壊すのか。残るのか、去るのか・・・。
  
 朝市には時々顔を出しながら、ずうっと見守ってゆきたいと思う。

 
 
 

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