放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

老いる、ということ(ひとつの決別)

2016年06月26日 02時11分27秒 | Weblog
 このごろ突き指ばかりしている。
 必ず小指ばかり。
 なにか取ろうと手を伸ばして小指を痛め、引き出しに手を突っ込んで小指を痛め、ドアにも小指を痛めて。
 右も左も、常につーんとした痛みがある。

 おそらく運動神経が小指まで管理できなくなっているのだろう。それに握力も低下しているのかも。これが老化なのか。
 同じ姿勢を保持し過ぎると腰痛になったり、首を痛めたり。ああ、そういえば抜け毛でつむじも随分崩壊した。

 小指を突き指するようになったのは、六年ほどやっていた古武術をやらなくなったのと関係があるかもしれない。
 古武術なんて、別に強くなろうとしていたわけではない。ただ、腰痛持ちで猫背の身体を改善したくて、理にかなった身体用法を覚えたかっただけ。
 あれは古来日本人の体型を理解したうえで最も効率よく、または怪我なく力を伝達する技術であった。手にするのが別に武器でなくて良い。いろいろな道具を生活の中でどのように使いこなせばよいのかという知恵でもあった。体幹を動作の源とすれば、あらゆる動作はまるで別ものとなる。小指の先まで一つに繋がるような新鮮さを感じた。昔話もたくさん聞けた。口伝の中に息づく先人の考えに、書籍を読むのとは違うリアルを感じてゾクゾクした。
 稽古は大して進まなかった。いまだにその道の入り口をウロウロしているような感じ。結局、臂力はやや向上し猫背も改善したが、腰痛は改善しなかった。週1回程度の稽古である。筋肉を増やすトレーニングまではしていなかった。

 そのうち、現代武道の経験者が多く入ってきた。彼らは、古武道の破壊力と効率性に異論を唱えた。現代武道の基礎を取り入れるべき、と、口ではなく、稽古そのものに現代武道の理論を導入した。
 
 僕はそれに興味が持てなかった。
 きっと僕は昔話が好きだっただけなんだと思う。
 胸を張って正面を見せる現代武道より、半身で時に低くかがむ不格好な古道のほうが好きだった。
 だんだん道場から足が遠のいてしまった。道場は失伝してしまうかもしれない。古参が戻ってきて再興する可能性もあるけど・・・。一つはっきりしているのは、僕が奥義を識ることはないだろう、ということ。文字通り四十の手習いである。道は遠く、身体は悲鳴を上げている。

 小指の痛みは、ひとえに稽古不足なのだ。
 たったひとりだけど、初心に帰って基礎を続けようと思う。
 疲れてしまって出来ない日もあるけど、それでも所作の意味を問い続けてみよう。
 なんだか、自身の老い方の方向性が見えてきた気がするのだが、それでも何かが伸びるかもしれない。せめて、腕は肩より上に上がったほうがいい。膝は腰より上に上がったほうがいい。つま先と顔は上を向いているくらいがいい。身体はいつもひとつの塊で、水のように風のように巌のようにありたい。

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