息子が通っている小学校校舎の損壊はひどかった。
外から見ると、校舎のところどころ亀裂が入り、部分的に鉄筋が覗き、さらに階段の踊り場とかまで見えていたりする。
聞いた話では、漏電の恐れがあって建物に入電できない状態だという。
だからパソコンも使えず、通信簿の作成もできなかったとのこと。
(息子が通信簿を持ってきたのは、年度が改まった4月28日でした)
給食設備も損壊。自主給食ができない状態。
そういえば、震災当日、息子は上履きのままランドセルも持たずに帰ってきた。
体育館にいったん避難したものの、揺れが一向に収まらないので、児童は教室へはもどれなかったのだ。
お友達の中には、避難行動の途中で片っ方のクツがぬげて、そのまま帰ってきた子もいたという。
上着だけは、教師が校舎から抱えて持ってきて、学級ごとに分けたという。
「思わぬ展開」で始まった春休み。
大人も、通勤できない状態になり、「思わぬ休暇」となった。
そのことが、子供たちにとっては「思わぬ救い」であったようだ。
震災からの一週間は、ほとんど職場へは行けなかった。(水も電気も止まっていて業務が出来なかった)
だから僕たちはずうっと子供たちのそばにいた。
子供たちとはいっぱいいっぱい話ができた。
震災のこと、津波のこと、いのちのこと、
死ぬということ、食べるということ、うんちをすること
じいちゃんばあちゃんのこと、近所との扶けあいのこと、
子供たちはお手伝いもいっぱいしてくれた。そしてよく笑っていた。
(「飢餓感」と「恐慌」の所為だろうか、お米の消費が激しかった。)
いつもよりもじっくり子供に向き合えたかもしれない。
子供たちも「いつものお休みよりも楽しかった」という。
普通の「楽しい」とは、多分、意味がちがうんだろう。べつに遊びまくったわけでもない。ただ、行列に並んだり、物資を運んだりして一緒に行動していただけ。
それでも「楽しかった」という。
― 家族が無事で、ホント、よかった・・・。 ―
(子供たちよりも、「一緒にいられる幸せ」は、僕のほうが実感できたかもしれない。)
新学期は4月11日。
仙台市はムリムリ再開したような観がある。
それでも給食が出せず、毎日ウチでお昼を食べる日々。
翌々週からはお弁当を持参。
5月の連休明けには、主食だけ出るのでオカズを持参するようになった。
(これはこれで、結構シンドイ・・・。)
仙台市内では校舎の破損により、児童が別々の学校に通わなければならないところもあるという。それに比べたら、ウチはまだマシなのだろう。
でも、あの校舎、どーすんですかね?
外から見ると、校舎のところどころ亀裂が入り、部分的に鉄筋が覗き、さらに階段の踊り場とかまで見えていたりする。
聞いた話では、漏電の恐れがあって建物に入電できない状態だという。
だからパソコンも使えず、通信簿の作成もできなかったとのこと。
(息子が通信簿を持ってきたのは、年度が改まった4月28日でした)
給食設備も損壊。自主給食ができない状態。
そういえば、震災当日、息子は上履きのままランドセルも持たずに帰ってきた。
体育館にいったん避難したものの、揺れが一向に収まらないので、児童は教室へはもどれなかったのだ。
お友達の中には、避難行動の途中で片っ方のクツがぬげて、そのまま帰ってきた子もいたという。
上着だけは、教師が校舎から抱えて持ってきて、学級ごとに分けたという。
「思わぬ展開」で始まった春休み。
大人も、通勤できない状態になり、「思わぬ休暇」となった。
そのことが、子供たちにとっては「思わぬ救い」であったようだ。
震災からの一週間は、ほとんど職場へは行けなかった。(水も電気も止まっていて業務が出来なかった)
だから僕たちはずうっと子供たちのそばにいた。
子供たちとはいっぱいいっぱい話ができた。
震災のこと、津波のこと、いのちのこと、
死ぬということ、食べるということ、うんちをすること
じいちゃんばあちゃんのこと、近所との扶けあいのこと、
子供たちはお手伝いもいっぱいしてくれた。そしてよく笑っていた。
(「飢餓感」と「恐慌」の所為だろうか、お米の消費が激しかった。)
いつもよりもじっくり子供に向き合えたかもしれない。
子供たちも「いつものお休みよりも楽しかった」という。
普通の「楽しい」とは、多分、意味がちがうんだろう。べつに遊びまくったわけでもない。ただ、行列に並んだり、物資を運んだりして一緒に行動していただけ。
それでも「楽しかった」という。
― 家族が無事で、ホント、よかった・・・。 ―
(子供たちよりも、「一緒にいられる幸せ」は、僕のほうが実感できたかもしれない。)
新学期は4月11日。
仙台市はムリムリ再開したような観がある。
それでも給食が出せず、毎日ウチでお昼を食べる日々。
翌々週からはお弁当を持参。
5月の連休明けには、主食だけ出るのでオカズを持参するようになった。
(これはこれで、結構シンドイ・・・。)
仙台市内では校舎の破損により、児童が別々の学校に通わなければならないところもあるという。それに比べたら、ウチはまだマシなのだろう。
でも、あの校舎、どーすんですかね?