浮浪兒晝寢す「なんでもいいやい知らねえやい」 中村草田男 1049年
「・・・ このセリフによって浮浪児の有り様がよく表現されている。この時代はまだ浮浪児がいたのである。貧しい時代であった。現代はどうか。確かに浮浪児はいない。社会全体は豊かになっているのだろう。しかし、と思う。大人や子供の内面は逆に孤独感は強まっているのではないか。「なんでもいいやい知らねえやい」と発するこの浮浪児がむしろ建康的に見えてくるのは私だけだろうか。もちろん浮浪児を生みだすような社会は御免であるが・・・。内面も外面も建康である社会というのは来るのであろうか。・・・」
「中村草田男を読む」 田中空音
中村草田男の全句集の中から田中空音が選んで鑑賞したもの。
紅蓮の焔のなかを逃げまどった記憶の中から思うと私は浮浪児であっても不思議はない。
闇市と焼け跡と浮浪児。
飢えの時代にはいる。まだ戦争中の方が食料はましだったような気がする。
浮浪児というような言葉自体が風化していってるようだ。
今日は終戦の日。
「・・・ このセリフによって浮浪児の有り様がよく表現されている。この時代はまだ浮浪児がいたのである。貧しい時代であった。現代はどうか。確かに浮浪児はいない。社会全体は豊かになっているのだろう。しかし、と思う。大人や子供の内面は逆に孤独感は強まっているのではないか。「なんでもいいやい知らねえやい」と発するこの浮浪児がむしろ建康的に見えてくるのは私だけだろうか。もちろん浮浪児を生みだすような社会は御免であるが・・・。内面も外面も建康である社会というのは来るのであろうか。・・・」
「中村草田男を読む」 田中空音
中村草田男の全句集の中から田中空音が選んで鑑賞したもの。
紅蓮の焔のなかを逃げまどった記憶の中から思うと私は浮浪児であっても不思議はない。
闇市と焼け跡と浮浪児。
飢えの時代にはいる。まだ戦争中の方が食料はましだったような気がする。
浮浪児というような言葉自体が風化していってるようだ。
今日は終戦の日。
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