平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1353 ロシアとの平和条約

2018-12-12 11:05:26 | 日記
    平和への希い1353 戦後74年  
  ロシアとの平和条約      2018.12.12.

12月10日、安倍政権は、改正入管法、水道改正法など、問題を残しながら、数の論理で押し切って、成立
させ、臨時国会が閉幕となった。
安倍総理は、来年の消費増税で危惧される消費減速に備えるために、「どーんとバラマキ花火」を打ち上げた。
更に、安倍総理の父上安倍晋太郎さんが成し得なかった「ロシアとの平和条約締結」に意欲的だ。
1956年日ソ共同宣言を基に、歯舞・色丹の2島先行返還を実現し、経済協力などで、残る国後・択捉も、
返還させるよう譲歩を引き出そうということらしい

ロシアにとっては、北方4島に、日米安保条約に基づく「米軍基地」が出来てしまったら大変と考えており、
まず、国後・択捉を返すことはないだろう、というのが外交専門家の見立て。

ロシアにとっては、北方4島が、日露戦争で、「取られた」という歴史的な思いがある上に、現在は、ロシア
の「安全防衛」上、譲れないのである

北方領土問題は、江戸幕府と帝政ロシア間で樺太領有を巡って揉めていたが決着つかなかった。
日露戦争後に、戦争の賠償責任交渉で、樺太の緯度50度以南(千島列島の北方4島含む)は日本領有となった。
1941年(昭和16年)4月13日、ソ連がドイツ進攻の危機に直面、日本は米英などとの開戦必至の
状況下で、「日ソ中立条約」を締結、互いの「不可侵」と、互いが攻撃されたら相手国と一緒になって
攻撃しない、いわゆる、「中立」の立場にいましょう、とい条約でした。
1945年(昭和20年)2月4日、ヤルタ会談で、ソ連が対日戦争参加することが密約される。
1945年(昭和20年)8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄、対日宣戦布告、満州・樺太・
千島列島などを次々に制圧。
1945年(昭和20年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾、無条件降伏。終戦。
戦勝国として、ソ連は、北海道以北の分割統治を目論んだが、主戦国アメリカが日本を統治することで
決着。日露戦争で取られた樺太は、ソ連統治が決まり、北方4島などは、あいまいのままソ連が占領統治。

1945年(昭和20年)9月2日、米戦艦ミズーリ上で、日本は連合国に対し降伏の調印を行ったが、
ソ連だけは調印に応じていない。そのまま、まだ日露(ソ連の後継ロシア)間では和平は成立していない。
北方4島は、まだ、日ロ間の戦争の最中にあるということです

安倍総理の意欲は、買いますが、難しい交渉。一方的に譲歩させられませんように。
ウォーキング中に出会った花。

12月12日「今日は何の日カレンダー」より
▲イタリアのマルコーニが米英間の無線通信に成功(1901)
▲孫文が「建国大綱」発表(1923)▲張学良ら西北軍が蒋介石を監禁。西安事件(1936)
▲米国カリフォルニアに初の「モーテル」がオープン(1925)▲児童福祉法が公布(1947)
▲旧軍人による池田隼人首相ら政府要人暗殺計画が発覚し、13人が逮捕される(三無事件)(1961)
▲国鉄、リニアモーターカーが実験センターで時速504Kmを達成(1979)

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