チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

自分で引いた限界を超えられない

2005-09-07 23:29:37 | 気づき
 ジムに行くと最近必ずやることがベンチプレス。寝転がった状態でウエイトを挙げる。胸の筋肉を盛り上げたいと思い取り組んでいるのだが、私はとにかく腕の力がないので軽いウエイトでも相当きつい。胸の筋肉が刺激を受ける前に腕が、手首が悲鳴をあげる。

 このトレーニングをやっていると、ジムの先生がトレーニングをサポートしてくれることが多い。今日もそうだった。

 でも、ベンチプレスをサポートしてもらうのは正直いってとてもきつい。私は先生がイメージしているよりもはるかに少ない回数で、自分自身の限界を感じる。

 「先生もうだめだ~」と私はすぐ弱音を吐く。先生は「まだまだ」となかなかやめさせてもらえない。「はいもう1回、もう1回!」という声が続き、へろへろになりながら、ほとんど先生の力で挙げてもらっているような状態で最後の2回くらいはウエイトを挙げている。

 手首がもともと弱いため、やっていて本当にきつく感じている部分もあるが、それよりも私自身の気持の弱さが限界をしいている部分が大きいように思う。

 先生はそのことをよく知っている。3セット目の10ラウンドくらいで「先生限界です~」というと、「そんなことで厳しい世の中をわたっていけるのか!」という言葉がかなり厳しい口調で返ってきた。

 この言葉を聞いてとても悔しかった。

 でも、先生のいうとおりだと思う。私は甘い。私の甘さ、弱さがこのトレーニングに現れている。

 悔しさを乗り越えて、限界まで取り組もうとしたが、それでも自分の壁はなかなか乗り越えられない。本当に悔しいからもう1セット取り組んだが、だんだん疲れがでできたこともあり、限界がどんどん低くなっていく。

 結局モヤモヤした気持でジムをあとにした。自分で引いた限界を超えられず。限界に挑戦する根性もなく、今日は敵前逃亡だった。

新しいことを始める秋

2005-09-06 22:38:16 | 身近な出来事
 秋は新しいことを始めるのによい季節ということもあるのか、新聞にはいろいろな教室の折込広告が入っている。

 見ていると、興味が引かれるものをあるものをいくつも発見した。

 最初に見つけたのがボイストレーニング。
 「♪大きな力で 空に浮かべたら ルーララ宇宙の風に乗る♪」好きな曲で何度も歌っているのになかなか上手くならない『ロビンソン』のさびの高音部分を音をはずすことなくきれよくスパッと歌いたい。
今から始めれば年末までに何回かトレーニングを受けられそうなので、忘年会の2次会では、「上手くなったね」と言ってもらえるかもしれない。
 
 次に見つけたのが、手作りパン教室。
 パン作りには以前から興味があった。これまでも半年に一度はアンデルセンに行ってパン教室の案内をもらってきては、申し込みを考えていた。凝ったパンや変わったパンではなく、シンプルでいて上質感のただようパンを作りたい。
私の焼いたパンと、美味しいチーズとハム、ワインを用意し、友人を招いてパーティを開きたい。

 次に見つけたのがテニス教室。
 テニスは高校のテニス部で始めて以来長い間結構真剣にやっていたが、ここ数年はほとんどやっていないので、まずはスクールに入ってゆっくり練習を始めて調子が戻ってきたら試合に出たい。

 
 でも、現実的にはこの秋に新しいことを始めるのは無理。
今やっていることで中途半端になっていることを続けるのか、やめるのかを決断することが今やるべきことだ。
そして続けると決めたものは、他の私にとって重要で、力をかけると決めていることとどうやって共存させていくかを考えることが必要だ。

 でもやりたいことはどんどん増えていきそう。やっぱりこれは秋のせいかな?

英語がかなりやばい

2005-09-05 23:38:26 | 英語の勉強
 月曜の夜は英語の勉強! そう決めて5月から始めた英語のクラスも早4ヶ月がたった。

 確実に4ヶ月という時間が過ぎたということは手元に溜まっていくプリントの束を見ると明らか。一方で悲しいかな、頭の中に学んだことがあまり残っていない。

 理由は明らかに予習と復習の不足。

 先生からは最低限のホームワークに加え、どのような勉強を毎日すればよいのかを教えてもらっている。クラスに出ると毎週のように「今週こそはしっかり勉強するぞ」と意気込みはあがるが、そんな時でも、勉強時間が増えるのは、英語のクラスの次の日の火曜日だけ。この時間が、宿題に追われるクラス当日の月曜の夕方の学習時間に加わるだけ。

 これでは能力があがることを期待するほうが間違いだろう。

 英語を教えてくれる先生はとても素晴らしい先生。能力も高いし、こちらが前向きになればしっかり受け止めてくれると感じる。

 残り2ヶ月、気合を入れなおそう。11月にはサンフランシスコの研修にも参加することだし、このままでは「かなりやばい!」。

寝て過ごす

2005-09-04 21:10:48 | 身近な出来事
 今年の夏はウインドサーフィンを再開しようと思っていたが、気がつけば9月。もう夏は終わってしまった。結局海にも一度も行けなかった。

 今年一番行ってみたいと思っていた海は高知大岐の浜。海癒の岡田さんのブログの写真を見るたびにぜひ一度その場所を訪れて、海にもぐってみたい、岡田さんと話がしたいと思っていた。夏は終わったが、きっと夏でなくても素晴らしい海だと思うので、予定はまだたたないがぜひ行きたい。

 そう考えながらも、毎年秋になるととても忙しい日々が始まる。会社の仕事も昨年以上に忙しくなりそうだし、プライベートのプロジェクトも今年は昨年よりも忙しくなりそうな予感がある。加えて11月には8月に行ったリーダーシップワークショップの第二回目のセッションがあるので、再びサンフランシスコに行く。

 体力的にも精神的にも、昨年以上にタフにならないと乗り切れない気がしているが、その反面、今年は自分ひとりでやろうとせずに、いろいろな人の助けを借りて、楽しみながらやっていきたいと思っている。

 もちろんその時その時は精真剣勝負だし、精神的にきつい状況も出てくることが予想され楽しむところではないと思うが、それでも楽しむという気持だけは絶対に忘れないつもりだ。
 
 これは今の私に欠けていて、そしてきっと私に必要なことだから。

 こんなことを考えていると、少し休みたくなってきた。

 集中力を必要とすることをやるときにはまず休む。リラックスした後に最後の限られた時間で集中的においこみをかける。そんな私の性格を体がよく知っているのか、心が体に指示しているのか、とにかく休みたい気分。
 
 少し体を休めるつもりでベットに横になるとすぐに眠りに入っていた。1時間ほどで自然と目が覚めた後、考え事をしているとまたすぐに眠りに入る。そんなことを繰り返しながら午後はずっと居眠り。

 思い返せば、先週は東京と大阪に日帰り出張し、ジムに4日通ったので、体も本当につかれていたのかもしれない。

 午後ずっと休んだおかげで、体力はずいぶん回復した。寝て過ごす週末もたまにはいい。

ボディコンになる

2005-09-03 22:53:47 | 気づき
 ボディコンについて考えていた。

 インターネットで調べると、ボディコンとは「ボディ・コンシャス(body conscious 肉体を意識する意)の略で女性の胸のふくらみや腰のくびれなどの線を生かしたファッションのことをいう」らしい。

 一般的には「あの人はボディコンだ」といったように、ボディ・コンシャスなファッションをする人やその人の意識を指してボディコンという言葉を使ったりもするように思う。

 私はボディコンが好きだ。

 見ていてワクワクする。でもあまりジロジロ見るのも失礼なので、ちらっとしか見ないが「もっと見たいな」という意識がいつもある。見ていてワクワクするから見たいということと共に、ボディコンな人が発するエネルギーを感じたいのだと思う。

 ボディコンな人はその言葉通りボディに意識がいっていると思う。ボディコンファッションをすると、周囲の視線を多く受けるから必然的にそうなってしまうのかもしれないが、ボディコンな人はもともと自分のボディのことをとても強く意識し、その存在の重要性を強く感じている人だと思う。

 そういえば、私も最近ボディコンになってきた。

 女装してボディコンの格好をするのではなくて、自分のボディを意識し、それを感じようとしている。

 なぜか今年は、ボディと心の繋がりを意識することや体を感じることについての話を聞く機会が多い。

「自分自身のよい心の状態を思い出すために、それを思い出すための動作を考えて習慣的に実施する」
「自分自身を変えたいと思っているときに、気持がまだ準備できていなくてもまず行動を変えてみる。そうすることで気持が変わる」
「ボディに意識を向ければボディは何かを伝えてくれる。ボディが伝えてくるものをしっかり感じることがリーダーにとって重要なこと」

 一つ一つの話がとても意味のあるように感じられたことに加えて、こういった話を聞く機会が続けてやって来たことで私の意識が変わってきていると思う。 

 ジムで体を鍛え始めたこともボディを意識することに繋がっている。

 ボディコンは今の私の重要なテーマ。

飲みに行きたいけど行けない

2005-09-02 23:24:24 | 身近な出来事
 飲みにいく機会が最近めっきり減った。昨年までは毎週1~2回は飲みにいっていたがここ数ヶ月は1ヶ月に1~2回行けばいいほう。それも仕事上の飲みが多く、仕事と全く関わりのない飲みに行く機会が本当に少なくなった。

 自分が決めたスケジュールに追われて時間的にも精神的にも余裕がない時もあれば、少し余裕がある時には、忙しい時にできなかったことをやろうとして、ここでもまた忙しくなり、結果として飲みに行く機会がもてない。

 「今度飲みにいきましょうね」という言葉は私の場合社交辞令ではなく本当に飲みに行きたいと思っているからそういうのだが、そういうだけでずっと飲みにいけていない人がたくさんいる。

 今日は、もともとの予定では、出張で午前は大阪、夕方は金沢で打ち合わせをし気分次第で金沢で美味しいものを食べながら飲みたいと思っていた。
別の仕事のうちあわせで、結局金沢には行かず大阪から帰ってきたが、そんなこともあったせいか、飲みにいきたい気分があった。

 大阪から戻ってきて行った打ち合わせも、予想外によい結果が出て、気分も楽になり、飲みたい気分がさらに高まった。

 そこで周りの人に「飲みに行こう」と元気よく声をかけた。

 でも結果は×。以前ならそんなことはまずなかった。たまたま都合が悪かったということもあるかもしれないが、最近つきあいを疎かにしていたせいもあると思う。

 普段のつきあいも大切だと考えさせられた。でも、やることがたくさんあってたいへんだ。

ハートの巾着袋

2005-09-01 22:59:12 | 気づき
 ジムに行くときに持っていく巾着袋にはハートのマークが入っている。中身はトレーニングの記録をつけるノートと、財布と、タオル。

 一つの袋に入れておけば、いつでもすぐにトレーニングにでかけられるからと思いこの袋に入れている。
ノートが入るサイズで布の袋であれば色やデザインは何でもよかったので、百円ショップに買いに行った。でも実際に店に行って物を見始めると急に好みが出てくる。この色は気に入らない、英語のロゴのようなものが入っているのは文字のデザインが気にいらないなどなど。

 百円ショップだからそんなに選択肢はなく結局ハートのマークが入った巾着袋を買った。恐らく小学生か中学生が買うようなものだと思う。
ハートが気に入ったのではない、ハートは気に入らなかったが、色はOKだったので、ハートがついた側が人から見えないよう持ち方をしようと思った。
というのも、真剣に体を鍛えている人達がいる場所にハートが入った巾着袋を持っていくのが間抜けでとても恥ずかしい気持がしたからだ。

 そしてジムではいつもハートがついてない側を人から見えるようにおいていた。

 でも、最近このことをあまり気にしなくなってきた。
ハートを身につけることが私の主張ではないかもしれないが、あえて、自分がはずかしいと思うようなことをやってみるのもおもしろいと思えるようになってきた。それと共に、ハートはとても大切なもの、そのハートを意識することはとても大切なことと思えるようにも少しづつなってきた。

 100円ショップで買ったハートのついた巾着袋。こんなものからでもいろいろなことが学べ、自分の成長につなげられるのは面白い。