1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

ゼロから・・・

2009-11-16 18:35:05 | リトルリーガーの記録
伏線はあった。

帰りのバスの中、一部の選手は元気だった。いつものことだけど、元気な選手がお疲れモードの選手にちょっかいを出し、小さなイザコザが起こっていた。

そのことについては別の保護者が注意していたからボクは黙っていたけど、息子の5年生のMUT君に対するからかいっぷりには度を超すものがあって、そのことについてはグランドに着いてから時を見計らって叱ろうと思っていた。

要するに態度がデカかったのだ。


ヘッドライトに照らし出されたバカ息の顔は得意げで醜かった。

監督の大事な話をガムを噛みながら聞いていたのかと思った瞬間、
感謝の気持ちをガムを噛みながら言うのかと思った瞬間、
・・・・・もう、治まらなかった。


慢心が全ての敵なのだ。


十分な活躍が出来たときや成果が上がった時こそ、心の底から「感謝の気持ち」って現れるのではないだろうか。

息子は4年生にもかかわらずスタメン出場させてもらっている。
これだけでも余りある幸運で、感謝しなければならないこと。
加えて好機に打順が回ってきて、しかもヒットを打つなんて・・・。

確かに、息子がそれだけの努力をしていたことは認める。
こないだの陸上大会が終わってからは、この大会に向けて自分のバッティングを仕上げるために試行錯誤を繰り返していた。


だけどチャンスに打席に立てるというのは、そのイニングだけじゃなく、試合が始まってから全ての選手の頑張りによって繋がってきた結果だということを忘れてはならない。決して自分の力だけではないのだ。
この大会だって、チームだって、全てが、多くの人々に支えられている結果なのだ。

それが理解できているなら、監督の大事な話しをガムを噛みながら聞くことなんてできないはず。
それが理解できているなら、感謝の気持ちをガムを噛みながら言うことなんてできないはず。

息子に対して行った行為は暴力そのもので、それを正当化することは無理かもしれない。
その瞬間、激高した自分を恥ずかしく思っているし、反省している。

しかし、慢心に侵されて醜悪化した息子からそれを追い払う手立てが他にあっただろうか。
子は親の鏡。慢心していたのはボク自身ではなかったろうか。

ゼロから出発したい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 激憤 | トップ | 世の中は狭いのか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

リトルリーガーの記録」カテゴリの最新記事