1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

再会

2022-04-22 19:44:33 | ゴーストライター
意識が回復してICUから移動した病室は西病棟6階の南向き四人部屋だった。ベッドは頭を西向きした窓側だった。

外を眺めた。
やや右手正面の駐車場を兼ねた建物屋上はドクターヘリの基地になっている。
そしてその向こう側には病院の駐車場を挟んで東西に走る通称国体道路、さらに奥には熊本県立大学のキャンパスが緑の中にあり、視野の最も奥には集合住宅が見える。そこには長女家族が住んでいる。

その日、LINEで連絡がとれた長女が、夕刻前に見舞いに来てくれた。といってもコロナ禍で直接会えたわけではない。ツツジが咲いている歩道を渡って散歩がてら孫二人を引き連れて歩く長女の姿が眼下に見えた。長女たちが足を止めて上を見上げた。私は窓辺に立って無言で大きく手を振った。しばらくして長女がそれに気が付くと、2歳の孫(女の子)に指を差しながら「ジィジがあそこにいるよ」と教えている。気づいた孫がピョコピョコと飛び跳ねながら手を振ってくれた。ベビーカーには0歳児の男の子だ。さすがに彼が私に気づくことはなかっただろうが、ここまで来てくれたことに胸がいっぱいになった。
しばらくして、彼女たちは戻っていった。大通りの横断歩道を渡っていく。どうか気を付けて帰ってくれ!ありがとう!

そうだ、お昼には妻にも会っていたのだ。後から知ることになるのだが、コロナ禍にあって例外的に面会できたのだ。ただ、そこは関係者用のエレベータ室の窓越しで、妻の声はよく聞き取れなかった。
妻は顔をくしゃくしゃにして泣き笑いながら手を振ってくれている。意識を取り戻したという連絡を受けるまでの4日間の妻の心痛を思うと、心配をかけて本当に申し訳なく思った。うれしさと情けなさで涙が頬をつたった。車いすに乗せられた自分は手を合わせて、ごめん、ごめん、と頭を下げたのだった。それしか私にはできなかった。

消灯をむかえて暗くなったベッドの上で、「再会」を果たしたお昼の出来事を思い出していた。

そして、事件はその晩に起きた。

つづく

画像は長女が撮って送ってきたLINE画像


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