1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

【「恐怖」「幻覚」との闘い、そして「感謝」】

2022-04-29 11:22:40 | ゴーストライター
個室に引っ越しできた15日はそれなりに忙しかった。
心臓エコー検査、認知機能の検査。血液検査。荷物の受け渡し。部屋の模様替え。M﨑事務副部長の来室・挨拶。洗濯。入院以来、初めての洗髪などなど。このように用事があれば気が紛れるのだが、やはり少し時間ができてベッドに横になると昨晩のことを思い出さずにはいられなかった。

この時点で、自分が昨晩見たものは「せん妄」の一種と思っていたし、実のところ「せん妄」については若干の知識があった。
それは、既に亡くなって10年以上経過するのだが、当時、高熱を発して入院していた祖母(認知症ではない)の訴えを聞いた経験があるからだ。祖母は、夜に病室で起こった出来事を誰も信じてくれないと、見舞いに来た私と妻に訴え、その内容を自分たちに言い聞かせてくれたことがあった。
その内容は、確かに信じがたい話しではあったが、その克明かつ詳細な説明に対して、「それは、せん妄だから気にする必要はないよ」と一言では片づけられないようなリアルさを感じたことがあったのだった。
そんな祖母のことや自分の身におこった昨晩のことを思い出しながら「せん妄」とは一体何を意味するのかを考えてみた。

結論から言うと、人間に限らず動物に備わった重要な生命維持装置の発動の一種ではないのだろうか、ということである。
つまり、簡単に言うと「せん妄」とは現実の最悪の現場から、ドコでもいいからココではないドコかへ逃避を促すための脳が発動する最終信号ではないのかな、ということである。
この「逃避」によって命を落としてしまうという最悪な場合もあるだろうが、「逃避」によって助かる確率が高まるのであれば「せん妄」によって狂っていたほうが良いのではという考え方である。

まぁ、どうでもいい話しだ。

前置きが長くなった。
個室に引っ越してきた最初の夜。消灯時間となり病室が暗くなった。
明るい時間に感じることがなかった恐怖が昨晩と同じように襲ってきた。

部屋の入口にはカーテンがあるのだが、そのカーテンの裏に人が今にも現れて自分を襲ってくるのではないかという猛烈な恐怖感だ。体中の毛という毛が総毛立ち、しかもそれが首元から足先に向けて波打つような感覚なのだ。全身から脂汗も出ていたのではないだろうか。
意識の中のもう一人の自分は、この病室に誰かが入って襲いかかるのはあり得ないと分かっているのだが、思考の大部分は恐怖に満たされていたのだ。

その昔、薬物依存者が離脱症状によって生じた妄想から逃れるために、他人の家に逃げ込んだという内容の新聞記事か何かを読んだ記憶があったが、それに近い症状だったのかもしれない。

ナースコールのボタンを押した。

直ぐに若い女性の看護師さんが入ってきた。

「どうしましたか?」
「とにかく、、、怖いです、、、どうすれば、、、」
「ちょっと、待っててください」

そう言うと看護師さんは部屋を出ていった。
恐怖に怯える50過ぎのおっさんに対応するのは若い女性看護師には難しいことと思う。
私だって、正直、「キミには期待していない、他の誰かを、」と思ったくらいだった。

次に部屋に入ってきたのは若い男性看護師だった。
伸長175cm以上で体躯がよく存在感のある若者だった。
助かったと思った。

私は目下の苦しみを彼に正直に話した。

「hiratakuwaさんが寝付くまで、自分がここにいますよ」
本当に心強く感じた。

それから、彼は治療情報等(電子カルテ)を入力するパソコンカートを持ち込むと、部屋の入口に腰をかけて業務をするかたわら私との会話を進めるのだった。

そして、私たちはお互いの自己紹介から始まり世間話、今となっては笑い話になる昔の失敗談など、とにかく少しでも「恐怖」から遠のいた話題を必要として、言語と過去の記憶で「恐怖」を追い払おうとしたのだった。

どのくらい会話を続けたのかはよく覚えていないが、心に平穏が訪れつつあることが感じられたとき、彼に大丈夫そうだと告げた。彼はパソコンカートとともに部屋を出ていった。

そして目を閉じると、瞼には昨日見たものと似たような美術の世界が広がりはじめ、自分は眠りに落ちていった。

そして、それは突然の出来事だった。
目が覚めると、ベッドの足元側の床で、誰かが寝ているではないか!嘘だろっ!
すると、今度は床から人が生えてきたのだ。しかも3人!。私のベッドを囲むように現れ、それは全員が4等身で黒いチューリップハットをかぶったノッポさんだった。
その3人のノッポさんが自分のベッドの周りをカニ歩きよう右にいったり左にいったりに全く同じ行動を無言で繰り返すのだ。
ショックで我に返ると暗い病室のままだったが、現実よりも鮮明なノッポさんがいる病室の情景が脳裏に焼き付くと同時に、次は戦場に送り込まれ歩兵部隊として銃撃戦に巻き込まれ私は瓦礫や林の中を必死で走っているのだ。

こうして文章にすると単なるユメの説明にしか感じられないと思う。
しかし、そのときは、ユメとは全く異なった質感を感じていて、意識が戻ってもその別の世界のほうが現実の世界なのではないかと思うくらいなのだ。そして「恐怖」が心に強く張り付けられた状態になるのだ。

ナースコールのボタンを押した。

女性の看護師さんが部屋に来て部屋に電気を点けていった。
コールスピーカーから彼の声が聞こえてきた。
「今、別の患者さんの処置をやっているのであとから来ます!」

自分一人でこの恐怖を克服しなければならなかった。
眠りに落ちる前に学んだ言語とイメージで「恐怖」を焼き払うことを試みた。
必要なのは「笑える」話しだ。それもとびっきりのビッグな笑える話を思い出す必要があった。そして、それを必死で言語化した。内容については書かない。

起床時間となる6時過ぎには落ち着きを取り戻すことができた
7時頃に彼が来てくれた。
彼に状況を話し、もう大丈夫と伝えた。しかし、こういった感情の起伏は16日の夕方まで続いたのだった。その後、精神的ダメージは、身体の快方とともに回復していった。

18日以降は、部屋からの出入りも自由になり、心臓リハビリも順調に進み27日(水)には退院の見込みだ。

さて、皆さんには本当にご心配をかけました。それから現代医療のスゴさ、それに携わる人たちの献身的な看護の姿には感銘を受けました。本当にありがとうございました。

参考までに、意識回復後の精神状態を自分なりに考えて見える化したグラフを披露します。
赤線の振幅の振れ幅が大きいほど不安定であることを示しています。次第になだらかになって落ち着きを取り戻していったことがわかると思います。このことからも、自分が感じた恐怖や幻覚は強い鎮静剤からの離脱症状であったことがわかります。ただ、14日の夜に聞いた「死ねっ!」については看護師さんの証言もあり、幻聴ではなかったことが後にわかりました。

なお、18日(月)からはちょっとしたリモートワーク、自身のバイタルデータの分析、厚生省が発表している人口動態統計のデータ分析をしたり、SNSをしたりして時間を潰していました。分析結果については、また今度、披露したいと思います。

それから、皆さまには心温まる「いいね」やメッセージ本当にありがとうございました。
コロナ禍にあって家族とも会えない中、皆さまからのメッセージが心の支えになったことは言うまでもありません。本当にありがとうございました(涙、涙、涙)。
これからも、不肖西英典をどうかよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「せん妄」or「幻覚」、「死... | トップ | 【本当の安静の理由】 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゴーストライター」カテゴリの最新記事