1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

選挙バカの詩×7『演説要請4』

2013-01-10 21:04:02 | 雑談の記録
夜が明けた。事務所に行く前に原稿を仕上げなければと思い必死になって、昨晩作った文章を切り詰めて4分30秒と3分30秒バージョンの二つを準備した。あとは午後からの打合せで松中議員が指導してくれるだろうと思った。
その頃には、昨晩の怒りは幾分治まっていたが、勝山を質さなければならないという気持ちは残っていた。そして、このことについてどう切り出すかは原稿作りと同様、喫緊の課題だった。
事務所には勝山が先に来ていた。僕は勝山を外の喫煙所に誘い出すと、結局、大した策も立てずに犯人扱いで尋ねたのだった。
「オレ、昨日、松中先生に応援演説を頼まれたけど、お前が松中先生に言ったんだろ!?、オレにやらせろって!」
そう言っているうちに次第に腹立たしくなり、年甲斐もなく語気が強くなってしまった。しかし、すぐに猛烈な反撃を喰らった。
「はぁーっ!、そんなの今聞いたことだぞっ!それにしても、なんだその言い方はよぉっ、、なぁ、ヒガシィ、、そもそも、オレが今までそんなことしたことあるかっ!」
僕の声を上回る怒鳴り声だった。勝山は煙草の煙を大きく吐いた。その煙が消えていくのを待った。僕も一口吸い、煙を吐いた。そして答えた。
「、、無いよ、確かに、無い、、」
「そうだろぅ、オレが、そいうの嫌いなこと、お前が一番よく知ってるだろぅ」
「確かに知ってるな」
そう答えると自分の顔が僅かにほころんだ。しかし、勝山はそうでもなかった。顔をゆがめて吐き捨てるように言った。
「オレ、こういうの嫌いなんだよな」
言っていることは理解できた。勝山は黄城高の後援会のトップという立場でこの選挙戦に身を投じている。そして、僕はその勝山の指示を受けて活動をやっている運動員の一人だった。であるならば、例え国会議員であろうが、先ずは、勝山に話を通すのがスジというものだ。勝山はそういう男であり、僕も勝山に近い考え方をするタイプだった。だから、僕も怒り、勝山も怒ったのだった。
しかし、煙草が終わる頃には、これは「選挙戦」と言いながら、所詮、選挙ボランティアだということに気が付くと、お互い怒ったことが馬鹿馬鹿しくなり二人で苦笑するのだった。
しかし、勝山は灰皿で煙草を消しながら合点のいく顔をしたのだった。
「、、だからかぁ、 、選対から今日の決起集会には全員来るようにって言われたんだ、、」
総決起大会は重要なイベントではあるが、お偉いさんの退屈な演説が長い場合が多く、やらなければならないことが山積の我々にとってその集会への参加は時間の無駄ではないかという議論があったのだ。そこで、我々が出した結論は、その集会には有志の会の半分が出席し、残りの半分は活動を継続する予定にしたのだった。
そのような議論があった中での応援演説の要請だった。なので、演説にはそれなりのクォリティーが求められると強く意識したのだった。
「オレ、昨日、寝たの3時ッ!」
「オレなんかもっと遅いッ!」
「クッソーッ、誰かオレを労ってくれねぇのかよぉ~」
「甘えるなッ!」
どこまでも厳しい勝山だった。


続く、、、
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