1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

選挙バカの詩×6『演説要請3』

2013-01-09 20:35:18 | 雑談の記録
家に戻ると直ぐにパソコンを起動した。自宅にあるノート型パソコンは7年前の旧式であるため立ち上がりに時間がかかった。それを軽い夕食の時間にあてると妻との会話もそこそこに、頭を抱えてその古いパソコンに向かった。
自分なりにこれで良いと思ってプリンタから原稿を出力したときは既に午前3時を回っていた。
そして、原稿を音読してみた。

只今ご紹介頂きました、私、三原候補とは高校の同級生の東と申します。
年齢は43歳になります。
まだまだ短い人生ではありますが、思い起こせば、我々の子供時代は高度経済成長の真っ只中にあり、思春期から青春時代はまさにその絶頂期のバブル時代でした。
しかし、就職の頃にはバブルがはじけ、就職氷河期が到来していました。
私は幸運にも東京の大手の企業に就職できましたが、そこは、リストラの嵐でした。
早期退職、配置転換、出向、気が付けば、私が所属していた部署は統合され、4年後には1人になっていました。そこでは、さまざまな勉強ができましたが、環境は厳しかったように思います。そして、私は、とうとう、うつ病を患ってしまいました。30歳のときです。
満足に会社に行くこともできなくなり、辞表を提出し、郷里の熊本に戻って参りました。
3人目の子供が生まれようとしていました。

幸運にも、そういう病気を患いながらも、私を雇って頂ける会社がありました。現在も勤めさせてもらっている会社ですが、当時の熊本は、まだ東京ほど酷い不景気ではなかったように思います。しかし、お陰さまで1年後に病気は治るのですが、その頃から会社の業績は下降しています。
私のこの作業服からもご察しのとおり、私は地元の建設関連の中小企業に勤めております。
東京の大手の会社と異なった経営環境にあり、一概に比較はできませんが、実のところ、親族の支えが無ければ、つい先ごろまで、子供を塾に通わせることもできませんでした。
これが、今の、私たち世代の、現実ではないでしょうか。
実は、ここに、社長も来ておりますが、しかし、私はそのことについて、社長を責める気持ちはこれっぽっちもありません。
社長が私たちのことをしっかり考えていることは知っています。
昨年の秋、上司の退職に伴って10数年ぶりに新人採用がありました。私にとって初めての部下でありますが、その青年は就職浪人中で、しかも長崎県からの応募でした。話を聞けば、彼は親には迷惑をかけられないということで、奨学金で大学を卒業していたわけですが、最初の就職活動はダメだったと聞いています。彼は本当に優秀な青年なんです。今、彼は必死に仕事をする一方で資格取得のための勉強もしながら、安い給料の一部を奨学金の返済にあてています。これも、今の若者の大変な現実ではないでしょうか。
彼がよく私に言います。
「ボクたち、これから先、本当にに大丈夫なんでしょうか」
そんなとき、私はこう答えています。
「うん、まぁ、ここまでオレが生きているからなんとかなるんじゃない、あんまり、先のことは心配するな、ほら、缶コーヒーおごってやるから、、」
全く根拠のないことを言って、お茶を濁しているばかりです。
でも、実際のところ、私は今後の社会に対して、さまざまな不安を強く感じています。

話は変わりますが、今年の7月には九州北部豪雨があり、本県でも大変な災害がありました。
実は、私は、地質調査を生業にしております。特に、土砂くずれや地すべりといった土砂災害や防災に関する仕事を専門にしております。今回の災害でも、多くの危険な現場に携わりました。災害発生の原因は、異常気象による信じられないような大雨だったのですが、日本という国は、災害立国ともいうべき脆弱な国土になっています。
いったん、災害が発生すると、集落が孤立化したり、尊い命や財産が奪われることがあります。日本には領土問題があり、海外との摩擦や海外からの揺さぶりが最近は絶えませんが、我々が暮らす国土そのものが、私たちに牙を向くことも決して忘れてはならないと思います。そのためには、必要な公共事業は進めなければなりません。

今まで、お話ししてきましたように、私のような若輩ものでも、よくよく人生を振り返ると、社会に翻弄されつづけ、仕事においても、まさに崖っぷちに立たされております。

翻って、今の日本は、私と同様、まさに崖っぷちに立たされているのではないのでしょうか。
私たちは、これから先、その崖から奈落の底に落ちていくのでしょうか。
私はもう絶対に落ちたくはありません!。
心の叫びです!。

みなさん!、三原みのる候補をご覧ください!
私の友人であります!
彼が、当選したあかつきには、彼が間違いなく、その崖っぷちに立派な橋を架けて、新しいより良き世界へ、我々を導いてくれます!
私は彼に全てを託します!。

崖っぷちに橋を架けるというのは、困難な作業で危険も伴います。
その作業を三原は間違いなくやってのける男です。

ここにお出での皆さんは、その作業をやっている三原候補を支える大事な命綱なんです。
お一人お一人が命綱なんです。
そして、それらが一つの大きな束となり、みなさんで三原を支えようではありませんか!。
どうか、彼に橋を架けさせて下さい!。
そして、その橋を、みんなで、笑顔で渡りましょう!。
新しい世界が!すばらしい日本が!そこに待ってます!。
どうか!三原をよろしくお願いいたします!。

ストップウォッチが示した数字は6分30秒だった。ダメだ!愕然とした。
とにかく、今日はもう遅く体力も消耗している、寝なければ、明日もOB訪問の予定だ、朝からもう一度練り直そう、これを短かくすればいいだけなのだから。
そう思いながら、静かに寝息をたてている妻の横の布団に潜り込んだのだった。しかし、疲れているはずなのに、なかなか寝付けないのだった。
「なんで、オレがこんなことしなくちゃいけないんだ!」
ここまで、オレは必死でやってきたじゃないか!黄城高有志の会の決起集会、同級生への必死の協力依頼、災害対応だって不眠不休で死ぬかもしれないという思いで対応していたし、そして連日の深夜に及ぶ選挙活動のうえに、こんなことまで!
選挙が大事なことは十分わかっている。しかし、貧乏クジを引かされた気分と同時に誰かを責めたい気持ちになった。一度湧きあがった怒りにも似た感情をかき消すのは困難だった。ことの原因を突きとめて、それを正さなければならないとの思いが次第に強くなる。そして、これを仕組んだ張本人は勝山に違いないと思うと新たな怒りがフツフツと湧きあがってきたのだった。
勝山は、以前、僕ががPTA会長などをしていたことを知っており、そういう場面には慣れているようなことを松中議員に入れ知恵したに違いないと思ったのだった。


続く、、、
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