1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

落とし前

2008-12-26 11:16:21 | 子供の記録
前回のブログでは、長女ユーのタイトルホルダーについてプチ自慢したワケだけど、終業式の日に学校から持って帰ってきたユーの成績表を見てボクは・・・・・。

ユーの学力については、小学校の頃、ボクが全く面倒を見なかったことがその大きな要因であることは十分認識してるし反省してる。だから中1の夏休みなんか、殆ど毎日問題を作ったりして、小学校の復習をそれなりに頑張ったのだ。だけど、2学期になり、成績は急降下。こりゃイカンと思い、本人も塾に行ったほうがいいかもとのことから、同級生が経営している塾に行かせることにしたんだけど、成績向上の兆しはマッタク無く、偏差値50付近を行ったり来たり。しかし詳しく分析すれば長期的には降下傾向。そして、ついてに今学期の期末試験では100番(学年人数は180人)を大きく下回ったのだった。

これまで、ユーとは頑張ろうとの意味をこめていろんな約束をしてきた。そして約束を破ったときは「吹奏楽部を辞める」が条件だった。だけど、ユーはそれらをことごとく反故にしてきたにもかかわらず、ボクも甘いと言えば甘いのかもしれないけど、しょうがないなユーちゃんだし、という気持ちもあって吹奏楽部は辞めさせなかった。

中2の冬ともなれば高校を意識する時期。シニアのオヤジ達も高校のことが気になっている様子。
翻ってユーの成績では既に進学高校及び近隣の普通高校は難しい状態。そんな折り、ユーは熊工に行きたいと言い出した。熊工の吹奏楽部に入って頑張りたいと。
ウレシイ限りではないか。熊工の吹奏楽部といったら全国有数のマーチングバンド。練習も相当に厳しいらしい。そんな困難な環境に身を投じたいという姿勢だけでも誇らしい!。

しかし、しかしてしかして、ボクは、人並みの学力は身につけて中学を卒業してもらいたいと切に願っている。

ユーとはこれまでいろんな約束をかわしてきたけど、その最終ラインは100番以下になったら即退部だった。

昨日、家族会議を開いた。
妹弟も、これまでユーが約束を反故にしてきたことをちゃんと知っている。
以前のイキサツはリョー坊が実によく憶えていた。
ユーちゃんが吹奏楽部を辞めるべきかどうか、家族全員に問うた。
ここまで頑張ってきたのだから辞める必要はないという意見の中に、次女のホースケは、吹奏楽部を辞めたら成績はもっと下がるだろうから辞めるべきではないと言った。

しかし、最終ラインの約束を守れなかったことについては、どうすべきか、そう尋ねた。
つまり、落とし前はつけてもらう、とそう言ったのだ。
そして、三人を別室にやり落とし前について話し合うよう指示した。

その間、ボクはリビングでボリュームを大きくしてニュースを見ていたんだけど、和室から議論している声が聞こえてきた。白熱している様子で次女のホースケは半泣きの声だった。
30分が経過し、中を覗きこみ、だいたい決まったかと尋ねた。
一同の首が縦に振れた。

3人をリビングに戻し、テーブルに全員を座らせ、ユーの落とし前について尋ねた。
ユーが答えた。
「私は一人でもいいって言ったけど、三人で走ることにしました。冬休み期間中は朝から毎日3人で走ります。最初は短い距離かもしれないけど、だんだん長くしていきます・・・・」

ボクは言った。
「・・・いいんじゃない。だけど、朝と夕方2回走れ。そして、それを記録につけろ。どこまで走りどのくらいの時間がかかったか。いいな。」

本日午前6時、子供達は夜明け前に家を出て行った。



話しはかわるけど、どういうイキサツでユーの落とし前が「3人で走る」ことになったのかボクなりに推察しておきたい。

おそらく「走る」ことを提案したのは次女のホースケだと思う。
ユーの苦手が走ることであることをよ~く知っているからだ。
みんなで走ろうと提案したのも次女のホースケだと思う。
ホースケも走ることが苦手な上に、体力をつけとかなくちゃいけない事情があったからだと思う。
年明けの学校行事で高学年は3333段の石段登りがある。昨年、ホースケは途中棄権しているのだ。
リョー坊については言うまでもないだろう。走るのが好きだし、二人の監視役にはうってつけだからだ。

そういうワケで3人には頑張ってもらいたいと、そう思っている。
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