1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

選挙バカの詩×1『事務所1』(新連載:小説バージョン)

2013-01-04 23:50:38 | 雑談の記録
平成24年12月16日、日曜日。この日は、例年の12月の気候に比べるとお穏やかな一日で、事務所の駐車場には昼に暖められたアスファルトの熱気が未だに残っていた。
九州の中心に位置する人口70万の政令指定都市の東部郊外にその事務所はあった。付近には県庁や国の機関に属する署事務所があり、また陸上自衛衛隊の西日本総監部があるほか、九州自動車道などの交通の大動脈にも近く、さらにその東方には空港が控えている。
言ってみれば、この東部地区は戦後の開発に伴ったこの地方都市における第二の中枢地区であるが、それは戦前においてこの地が軍需基地として広範囲に区画整理れていたことに関係している。その昔、付近では中学校のグランド建設時に不発弾が見つかるという騒ぎがあったことを僕は記憶している。そのような爆弾が我々の足下には未だに眠っているのかもしれない。
事務所は熱気に包まれていた。すし詰めとはこのような状態を言うのだろう。その事務所に集まった人々は、歓喜の導火線に火をともし自らの爆発を今か今かと待ち構えているようだった。そして報道のカメラもその瞬間を捉えようと事務所後方の一段高くなった台の上で荒くなった息を懸命に整えていた。
事務所は、以前、空調機器メーカーが入居していた鉄骨2階の建物であったために1階には部屋を仕切る壁は無く広かった。そこが支援者と報道陣によって埋め尽くされていた。入りきれない一部の支援者は駐車場でのその瞬間を待っていた。
僕は事務所の中にいた。ひな壇の正面に向かって左側の最前列にいた。前面に据えられた民放各局の番組を映す液晶テレビは既に当確を知らせていたが、選挙対策本部はHHKの発表を待っていた。そして、HHKが当確を知らせた。
選対の思惑通りに、その仕掛け花火は爆発した。それも盛大に。人々は立ち上がり、手を打ち、声を上げ、各々の喜びを身体で表現した。
代議士となったー正確にはこの時点では代議士ではないがー三原が事務所に入ってきた。歓声がひときわ大きくなる。
しかし、僕は一人パイプ椅子に座り拳を強く握っていた。ひどく緊張していた。
選対本部長の藤山県議会議員が司会を務め勝利報告のセレモニーが始った。当選後の恒例である達磨の目入れが行われ、選挙長の松中参議院議員の挨拶に続き岩下組の社長であり高校の先輩でもある岩下後援会連合会長が挨拶をした。その後、女性後援会からの花束贈呈が行われ、引き続いて写真撮影が始まった。
三原代議士と夫人に贈られた花束が歓喜の渦を少し和らげたようだった。さらに実年齢よりも若く見える夫婦の写真撮影が事務所の雰囲気を熱いものから温かいものへ変えていった。
一方、僕は緊張の冷たい塊から激しい熱へと変化せざるを得なかった。そのアンバランスが人々の笑いを誘ったのかもしれなかった。
藤山県議がボクを紹介した。
「ハイっ」
握っていた拳を開き天高く伸ばした。
雛壇に上がるとき、民放各局の束になったマイクを手渡された。およそ金属からなるその束は、これから始まる己の責任の重さのようでもあった。僕はそれを両手で握り、そして叫んだ、絶叫に近かった。


続く、、、
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