1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き選挙バカ×41

2013-01-02 02:44:00 | 雑談の記録
事務所は既に支援者と報道陣でいっぱいでした。駐車場もテレビ中継用の大型車によって殆んど占拠されていました。
カミさんと運転を交代して事務所に向かいました。中は熱気に満ちていましたが冷静な空気も僅かに残っていました。また、当確の安堵感が漂うものの、実際は開けてみなければわからなないという微妙な不安感も薄く混じったような状態でした。

ボクはまずK団長を探しました。恐らく撮影を試みているはずで、報道陣のカメラが所狭しと並ぶ事務所後方を首を伸ばして探してみました。奥に入って行きましたが、K団長の姿を捉えることはできませんでした。
ひょっとしたら直ぐにでも勝利報告のセレモニーが始まるのではないかとの懸念がよぎりました。報道スタッフも中継準備に余念がない状況でした。ボクは選挙長の松村先生を探しました。事務所の入口付近に松村先生を見つけると、人ごみをかき分けて先生のところに進み出ました。
「先生にお話があるのですが、少し時間はあるでしょうか」
先生は直ぐに踵を返すと、ボクを2階に通じる人気のない階段の踊り場に連れて行きました。ボクは余計ないことは一切言わずにポケットから息子のメダルと原稿を取り出して、これをキハラに渡したいのですと言いました。
先生は人差し指を鼻に当て、いっとき間をおくと、「喋りたいってことね」といって階段を降りていきました。そして、先生は振り向くとついて来いと目配せするのでした。松村先生は選挙対策本部長の藤川先生をスタッフに呼ぶよう頼んでくれました。藤川先生は事務所の奥から前のめりになってテレビにかじりついている支援者の人たちの前を腰をかがめながらこちらに向かってきました。松村先生は耳打ちするように話すと藤川先生はフンフンと頷きました。藤川先生は、お前かぁという苦笑いとも言える笑みを見せると式次第が書かれた紙を見ながら、「それじゃぁ、花束贈呈の後でいいか、前のほうに座っててね」と自分に言い聞かせるように言いました。そして、松村先生は一転厳しい表情になって「短かくね!」と言って自分の持ち場に戻って行かれました。最後の役目が決まった瞬間でした。

事務所の一番奥でカメラの準備をしているK団長が目に入りました。ボクは支援者と報道カメラの狭い間を縫うようにしてK団長に向かって歩きました。K団長と目が合いました。とたんにK団長の涙腺が緩むのがわかりました。ボクらはがっちり握手を交わし、そしてこれからの自分の役目を話しました。最後はどんなふうなるかわからないけど、このメダルはオマエがキハラに渡すようにと話したのでした。K団長は目を真っ赤にしながら何度も頷いたのでした。

その後、ボクは後輩諸君の計らいで正面向かって左側の最前列に座りました。振り向くと同級生の一団は中央付近のやや前列側の真ん中付近に座っていました。喋りかけるのには遠すぎる距離でした。その頃には支援者もぞくぞくと入場してきて奥の休憩場所となっていた所も支援者で埋め尽くされていきました。当初、ボクの隣にはキレイな後輩女性がいていつもだったら軽口をたたいていたと思うのですが、それも出来ずにいるといつの間にか周囲は強面の男性陣に取り囲まれていたのでした。

緊張していました。本当に緊張していました。ボクの斜め前付近に座っていた校区の後援会長であるS田さんがボクの様子を見て心配になったのかもしれません。ボクの前に膝まついて両手をボクの膝にのせると、もう時期ちゃんと発表があるよと言ってくれたのでした。ボクはS田さんのシワくちゃの手に自分の手を添えると、そうですねと返事をし、これまでのことについて簡単にお礼を言い添えました。

会場が一斉に喚起の渦となりました。木原候補の登場でした。どの時点が本当の当確かボクにはわかりませんでしたが、もう全ては間違いではなかったようです。心の中では「花束贈呈の後だぞ」を何度も繰り返していました。岩永後援会長の紹介とともに岩永先輩が元気良く右手を挙げて「ハイっ」と言いました。そうだ、元気よくハイって言わなくちゃ言わなくちゃ、、、、花束贈呈が終わり写真撮影が終わり、、、気持ちだ!これしかねぇ!、、、藤川先生が紹介してくれました。

「ハイっ」

後は動画を見ての通りです。
なぜ、みんなが笑うのか全くわかりませんでした。
ほぼ絶叫しているだけの見苦しい姿なので仕方のないことかもしれませんが、みんなに笑われれば笑われるほど、絶叫して気持ちを伝えることしかできなかったのです。最後はもうメチャクチャでした。K団長を壇上に呼んだものの、すし詰め状態の中、こちらにやって来ることの遅いこと遅いこと。ボクは一刻も早く壇上を降りたくて、、、、。

パイプ椅子にようやく戻れました。鼻水まで垂らしていました。また、バカをやってしまったという思いと、最後のK団長のエールこそがボクの夢見ていた瞬間でした。涙が止まりませんでした。

木原代議士の話は耳には入ってきませんでした。いつの間にか勝利報告会は散会となっていました。たくさんの人たちが良かったね良かったねと握手をしてくれるのでした。こちらこそ、良かったですねという気持ちでした。
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