1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

走る理由

2017-11-16 21:27:32 | 旅の記録
結論から述べる。

人間は、身体動かすこと、走ることを前提に作られた生物だ。
だから、走ることで我々は幸せ感じ、正しく一生を全うできるようになる。
そう思うのだ。

我が家には、この夏、2歳になった犬がいる。
ブルタニースパニエルという犬種の猟犬だ。雌犬、道産子でもある。
そんな彼女が我が家にやって来る2ヶ月前からジョギングを始めた。
散歩のためと、ゆくゆくは、彼女と一緒に走ってみたいという思いからだ。

最初は、1kmも満足に走れなかった。タバコをやめて半年が過ぎていたがあまり関係は無いようだった。体力の低下を身にしみて感じた。46歳の初夏だった。ヤバかった。

しかし、今日は1km、一週間後は1.5km、今週は1回、次週は2回と僅かではあるけど、距離や頻度を増やしていった。サラと名付けられた彼女が我が家にやって来た頃には、5kmを35分ぐらいで走れるようになった。そしてその頃、自分のスマホにランニングのアプリがあることに気付いた。

仕事柄か、私はデータ取得や分析作業を嗜好してしまう。
少しずつではあるものの次第に走力が上がっていくのがわかった。

あるとき、10kmを走ることができ、順調にいけばフルマラソンも完走できるのかもしれないと思うようになった。犬のサラと散歩のあとも週に何回かジョギングするようになり、秋になって熊本城マラソンの当選の知らせが届いた。

しかし、深まっていく秋とともにジョギングの距離を延ばし始めた頃、両足の膝に痛みを覚えるようになり、痛みで数kmも走れなくなった。いわゆるランナーズニー、腸經靭帯炎だった。整骨院で治療を受けながら色んなアドバイスをもらった。
そもそも、ランナーとしてフルマラソンを完走するための筋力が不足していること、怪我を乗り越えなければ強くなれないこと等だ。それと、怪我の予防についても。

ようやく走れるようになったのは、ひと月後の年の暮れだったように思う。
怪我の間、走ることはできなかったが、犬の散歩で5kmとか30分程度の階段昇降を続けていた。ただ、この間、自分に最も影響を与えたのは一冊の本。
「BORN TO RUN」
走るとナゼ足が痛くなるのかと疑問を抱いた著者が、世界的ウルトラランナーと人類最強の走る民族ことタラウマラ族との邂逅と競争を描きながら走ることの意味を問うた一冊。
この本と巡り会わなければ、今の私は無かったかもしれない。
とにかく、長く遠くまで走れるようになりたい。
この頃は、目標というよりも希望に近い思いを抱いていたように思う。

熊本城マラソンのひと月前、知人の誘いで3333段の日本一の石段を登る機会があった。
その階段は自分にとって初めてだったが、途中の石畳様の緩やかな下りを軽く駆け降りている時に既視感に襲われたのだった。

若い頃、私は前職の資源調査の地質技師として、国内外の山中を自らの足で調査をしていた。もちろん、その頃の私は未熟者であり、調査は先輩と一緒だった。私の面倒を見てくれた先輩は、学生時代にヒマラヤを登った健脚の持主だった。
とある調査先での休日、その先輩からダウンヒルに誘われた。
「ダウンヒルってなんですか?」
「山を駆け下りるんだよ」
「えっ?」
我々の調査対象となるような山には登山道などは整備されていない。
だから、遭難を避けるため、要所には測量用のピンクテープを小枝などに取り付けて下山時の目印にする。
「今日はあの山にしようか」
麓からの比高差は500mといったところか、距離は5,6kmぐらいだったように思う。
息も絶え絶えに頂上にたどり着くと、先輩は涼しい顔で、
「じゃ、下で待ってるよ」
先輩はあっと言う間に視界から消えていった。
追い掛けるようにして山を下ったが、最後まで先輩の姿を捉えることはできなかった。
ただ、私はそのときに、今まで経験したことのない爽快感と自由を感じていた。

先の石畳様の緩やかな下りを駆けている時に感じた既視感は、20年以上前の古い記憶だったのだ。そして、その時同じくして思いあたったのが「トレイルランニング」という言葉だった。新聞記事で何度か目にしていた言葉だった。

家に戻り、「トレイルランニング 九州 熊本」と検索してみた。
トレイルランニングのイベントがこんなにも多く開催されていることを知って驚いた。
目指していたのはフルマラソンの完走だったが、手近なトレイルランニングのレースを見つけると申し込んでしまった。20代に感じたあの爽快感と自由をもう一度味わえるのかもしれない、そう思ったのだった。

「オマエ、マラソンも走ったことないのに、トレランとかムリムリ」
マラソン経験のある幾人かの友人や知人にそう言われた。

仕事柄、山にはよく登っている。とは言ったものの登るのは災害現場の急傾斜地や地すべり地で、安全管理上、現場で走るなどはご法度。確かに、無理かもしれなかった。

結局、初 マラソンは4時間50分、25kmのトレランは制限時間に近い5時間50分。
記憶に残ったのは苦痛だけだった。ただ、人間は自堕落な生活を送って不健康かつ体力低下が著しい状態にあったとしても、少なくとも数ヵ月のトレーニングで長距離や山を走れるようになるという事実だけは残った。ものすごく遅いけど。

そしてまもなく、熊本地震が発生した。
本震発生の翌日、私は活断層及びその周囲の災害状況をこの目で確かめたかった。
自転車に乗って現地に赴き、道路が寸断、崩壊、陥没したところでは自転車を担いで前に進んだ。余震も頻発しており2次災害の危険もあったが、夜には我が家に戻ることができた。
調査延長は50kmぐらいだったように思う。オニギリ1個と500ccのペットボトルに入った水がその日の食事だった。トレーニングの賜物だと思った。

しかし、その後約2ヶ月間は災害対応で殆ど休暇も無く、ようやくトレーニングが再開できたのはその年の夏の終わりだった。

あれから一年弱が経過した。昨年12月のハーフマラソンを皮切りに、ひと月に1、2回の頻度でマラソンやトレイルランニングに出走し、先月の10月にはランニングチームの門を叩いた。

今後の練習量にもよると思うが、走力が増す可能性は高い。2年前は1kmを走るのが精一杯だった人間が、今では100km以上のトレイルランニングを完走したいと目論んでいる。

このことは、努力とかストイックな性格とかで説明できるものではない。
人間は、そもそも走る仕様で設計されているだけなのだ。設計されて製造されたのにもかかわらず、仕様を満たす操縦をしない為に、いつの間にか錆付いて動かなくなったに過ぎない。痛みや怪我というのは滑らかさを失った歯車同士の摩擦のようなもので、そこの潤滑が良くなっても次の箇所で摩擦が生じるといったことが繰り返して起こっているようなものなのだ。そして、いつの日か全ての潤滑を取り戻したとき、我々は「自分の走り」を、「仕様通りの走り」を手に入れることができるのだ。

人間は数百万年の進化の過程で現在の肉体を形成させたと考えれば分かりやすい。
特に、走る能力については人間のライフスタイルを考えればさらに分かりやすいだろう。
つい1万年前の我々のライフスタイルは狩猟採取だったのだ。
「走る」ことが日常であったことは想像に難くない。
そのような生活が何十万年と続いて人間に進化してきたのである。
「走る」ことで獲物を捕え、「走る」ことで敵から逃れていたのだ。
「走る」=「生きる」だったのだ。
それが、設計図としてのDNAに刻まれながら進化してきた延長線上にいるのが現在の我々というわけだ。

空前絶後のマラソンブームをどう説明すればいいのだろうか。
趣味の多様化、健康指向、自己管理、達成感、ダイエット、体力強化まあ何だっていいだろう。
「仕様通りの走り」には程遠い段階にある私だが、走りながら感じることがある。
身体が喜んでいるように思うのだ。つまり内から湧いてくる幸せを感じているのだ。
きっとこれも設計図の仕様のせいなのだろう。
トレイルを走っているとき、自分はただ肉体というマシンに乗っているだけの感覚にとらわれる。自分の意識とは別に勝手に身体が動いているという感覚だ。
そして、この感覚の延長に、「仕様通りの走り」があるのではないか、そう思っている。
さらに、その理想の走りを得たとき、自然と一体化したような、自然の一部になったような、自然の中に自分の意識が溶け込んだような、そんな感覚が得られるのではないだろうか。私は、長く遠く走りたい。そのうちに、理想の走りに出会うことができるだろう。
解放された自分にだ。

そういうわけで、明日から旅にでる。
バンコクで開催されるフルマラソンに出走する。
熊本市東区の代表だ(笑)。






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