1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

繋がれた明日2

2006-03-11 23:34:01 | 読書の記録
NHK土曜ドラマ-繋がれた明日-,重い感じでケッコーよく出来てるよね。

ケド,小説はもっと重いんだな~。
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繋がれた明日

2006-02-26 23:11:31 | 読書の記録
久しぶりに真保祐一の作品を読んだ。
「ホワイトアウト」でブレイクしてからは,この人の作品はパッタリ読まなくなってたけど,やっぱり自分の趣味だなぁと思ってしまったな。

ボクは実際に殺人を犯したことはないけど,ハラの中で同じ人物を何度も刺し殺したことはあるなぁ。夢の中でも何度ヤッタかわからんなぁ。
でも,そんなことって誰でもあるよ~な気がするんだけど,どんなもんだろうか。

小学校の頃,サッカー部の部費を盗んだという濡れ衣を着せられて,親と一緒に職員室で頭を下げたっけな・・。

それまでの素行が少し悪かったというだけで,ボクが盗ったと周りは平気でそんなことを言ってたな・・・。

あんときは,辛かったな,マジで。

まぁ,他の大人やセンコーに色メガネで見られるのは仕方ないなぁとは思っていたけど,マサカ,親に裏切られるとは夢にも思わなかったもんなぁ。おかげで,荒れまくった中学生時代,やっとこ高校に合格した当日,オヤジは家を出て行くし・・・。

恥ずかしい話しだけど,親との間には,いまだにふか~いミゾがあったりするワケで・・・。

あっ,モーソーで誰を殺してたかバレバレじゃん。


こんなオトコがPTA会長,笑ってしまうよネ。ハハハ・・・。
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ノーナイ,汚染?

2006-02-20 00:14:13 | 読書の記録
脳内汚染という本を読んだ。トンデモ本的だったけど,ナンカ納得できる部分もあったな。

子供の頃,ナントカ・・バイオレンスという映画を観て,人を刺したくなった衝動に駆られたことを思い出したりしたんだな,その本を読んで・・・。

ま,それはさておき,今日は「博士の愛した数式」を観にいって,本を読んだときのイメージとかなり近かったから,よかったデス。

話しはかわるけど,川浪君,ゴメンネ。今日のライブには行けないで・・・。

また,次に行くよ。
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阿蘇の草原3

2006-02-05 22:42:52 | 読書の記録
今日は午後から装飾古墳館に地質及び考古学の講演を聴きにいった。講演の内容は,阿蘇の草原の成り立ちに関するものだった。

昨日のブログでは,阿蘇の草原は1万年前からの火入れによって形成された可能性が高いことを紹介したのだけれど,プラントオパールの研究者(1万年前から火入れの可能性が高いと言った張本人(宮縁さんではない))の研究話しを聞いたら,なんだかそういうことでもないということに気付いてしまった。その研究者の発表はヤブヘビだったように思う。

つまり,ススキは,火山灰が降り積もった不毛な土地に最初に侵入できる植物であって,永年に他の植物にダメージを与える環境(火山灰がいつも降り積もる環境)であればススキしか生えないということなのだ。

考古学チックな研究者はロマンを追い過ぎるんだな。科学じゃね~な~って思ってしまった。

ま,それはさておき,夕食をとっていたら,とある人物から電話がかかってきた。続きは次のブログに掲載。
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阿蘇の草原2

2006-02-04 23:41:03 | 読書の記録
地質研究者の宮縁さんから返事が来た。

うれしいね~。

その一部をちょっと紹介。



○○さんがおっしゃるように,そんな昔にどうして火入れが行われたのでしょうか.私も以前から,このことには疑問を抱いており,考古学関係に人たちにも質問をしてきました.その答えの一つに,当時中心であった狩猟生活を行うためには,森林であるよりも,草原の方が好都合だったという意見がありました.ただ,その意見も一つの推測に過ぎず,今後いろんな人たちと議論して,答えを探していきたいと考えているところです.

ご存じかもしれませんが,明日(2/5)13時より熊本県立装飾古墳館(山鹿市鹿央町岩原)で,論文の共著者である杉山真二さんの「阿蘇大草原の成り立ち」の講演があります
(http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/special/index.html).その話題の中心は,今回の論文の内容です.
当日はもう一人の方の講演が予定されていたのですが,それがキャンセルとなり,急きょ私も阿蘇の火山活動に関する講演をすることになりました.
お時間がございましたら,ぜひお出で下さい.

今後もいろいろとご意見をいただければ幸いです.どうかよろしくお願いいたします.
まずはお礼まで




よ~し,明日は装飾古墳館に出動だ!!。

って,ちなみに今日は,一人で芝居を観にいってきた。その感想は明日の午前中にでもさらっと書こう。
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阿蘇の草原

2006-02-04 09:41:45 | 読書の記録
阿蘇の草原って,いつ頃から草原なんだろう。

そんな疑問を解明した研究結果が発表された。

その研究者に送ったメールをブログしとこう。



宮縁 育夫さま

突然のメールをお許し下さい。私は地元の地質コンサルに勤務している○○と申します。

この度,宮縁さんの論文(第四紀研究Vol.45)を読んでメールする次第です。

大変興味深く拝読いたしました。
仕事で阿蘇方面に向かうことも多いのですが,外輪に広がる草原を見るたびに,この草原は何時頃からできたものだろうかと疑問に思っていました。草原を維持するためには火入れが欠かせないことは知っていて,だから,時には地元の方々に,この火入れは何時頃からやっているのかと質問をすることもありました。多くの方は「昔からだ」と答えるだけでした。

ま,それはさておき,宮縁さんの論文では,そうした火入れが1万年前から行われてきた可能性が高いとのこと。
正直,ビックリです。
もし,1万年前から人為的に火入れが行われているとすれば,その理由を考えなければならないでしょう。

私は,外輪台地を業務で踏査をした経験から,台地状の緩やかな斜面では草原が発達する一方で,沢沿いでは多様性に富んだ生・植物環境が形成されていることを知っています。

狩猟生活を営んでいた古代人のことを考えると,草原よりも,やはり多様性に富む森という環境のほうが,彼らの生活を豊かにしたのではないのかと思うのです(古代人が当時から牧畜を営んでいたというなら話しは別ですが)。しかし,その環境を無理やり破壊する行為が火入れであったとすれば,それは一体どのような理由だったのでしょうか。


1万年前の火入れは,ヒョットして宗教的祭事ではなかったのかと考えるのは,トンデモ的な発想でしょうか。

押戸石に初めて行ったとき,外輪が草原でよかったなと私はつくづく思いました。草原でなければあの景観は得られないなと思ったし,この景観を得られるならば,火入れもOKだろうと思いました。
また,その小高い丘に立って火入れによって燃え上がる炎を想像しながら,それは阿蘇地域の神社に伝わる火に関する神事に底通するのではないかと考えてしまったことを,宮縁さんの論文を読んで思い出しました。

なんだか,論文の感想になってないようですが,これからも宮縁さんの研究に期待しています。

頑張って下さい。
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博士の愛した数式

2006-01-20 15:40:34 | 読書の記録
休憩時間に,テレーっとブログ検索していたら,「博士の愛した数式」を紹介した記事が目に留まちゃった。

ボクもいい小説だと思った。ふあぁ~っとした感じがよかったな~。

映画になるんですね~。しかも,公開間近なんですね。

そう言えば,この本はカミサンの紹介で読んだのだけど,読後に,もし映画にするなら博士役は誰がいいかなぁなんて会話したことを思い出しました。

で,誰が博士役なのかなぁ。

気になってきた。

わかりました。寺尾聰かぁ。最有力候補だったかも~。



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「新リア王」読了

2006-01-19 23:48:21 | 読書の記録
高村薫の「新リア王」を,先週末(2006/1/14)に読了!。

ハードボイルドの金字塔と感じてしまったのはボクだけだろうか?。

55年体制を生きた老練政治家と仏家になった外腹の息子との対峙を軸に,時代や政治を問いながら,社会は人間の欲と嫉妬と憎悪の中に成立していて,それが今なお連綿と続いていることを物語った作品だ。こう紹介すると,何処がハードボイルドと言われてしまうかもしれないけど,読者に対する挑戦的とも言える難解な表現(文学的)が,逆にハードボイルドに思えてならないのだ。で,かつ,強烈に現政権を批判しまくってるその態度!,まさにHB!。(現政権誕生時に世論がニューリーダーとか騒いでいたとき,文壇で唯一臆面もなくそれを痛烈に批判しとった作家が高村女史であったことを記憶している!。あの小泉の「言葉」がキライと言ってた。)

このほか,面白かったのは,小説の時代設定が80年代の中頃で,ボクらの記憶にも残ってる政治スキャンダルや身近な政治家,当時読んでいた小説などもチョロっと出てきたり,はたまた,抜き差しならぬ父子の確執,男女の機微,ドブ板選挙,政治における権謀術数が織り込まれていてエンタメとしてもよかったし,読み手が仏教(禅)に造詣があればなおよし。

それと~,話はかわるけど,あのヒューザーのコジマ社長が相当程度「新リア王」を読んでいたのではと訝るのボクだけか?。

で,結論だけど,高村女史は実は「オトコ」となんじゃないかなぁ。こう思うボクはどうかしているかもしれんけど,処女作?の「黄金を抱いて飛べ」を読んだとき,書き手が女性であると微塵も想像することできなくて,しばらくして本人が女性であることを知ってスッゲー驚いたのだけれど(実はしばらく栗本薫と勘違いをしていた,笑えね~),その時の読了感となんら今回も変わらんところを考えると,書評で高村薫は変わったと言われても,ボクにはナンダカナーって感じなのだな。

しか~し,今でも,高村薫が女性であることが信じられん!。

でも,オモシロイ小説であるのは確かなのでした!。
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