花の名前は判りませんが、永く咲いています
花びらのフリルが可愛いです
懐かしい写真が見付かりました
満5歳で亡くなった妹が写って居るので、
昭和14年の正月ではないかと思います
和服の女性は、母の洋裁を手伝いに
岡山から住み込みで来ていた遠縁のお姉さんです
後ろの左側は、日本劇場、右は朝日新聞社、
寄りかかっているのは、今は無くなった数寄屋橋です
右に写っている男性が和服で、角襟のコートを着ていますし
日劇側に写っている女性も和服姿ですね
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数寄屋橋は 岸恵子<君の名は>の橋ですね。
モノクロでも保存がいいんですね。
きれいな写真です。
父が暗室を持っていて、自分で現像焼付けをして居たので、水洗いを充分にして居たからでしょう。
狭い家に玄関は要らないと、玄関が暗室でした。出入りは商店なので、店からと勝手口からでした。
時代を感じさせます。
昭和14年というと太平洋戦争前ですね。
何となく穏やかな様子が嵐の前の静けさでしょうか。
勿論、私はまだこの世にいませんでしたが
銀座はまだ和服姿が多いのですね。
とても良いお写真だと思います。
こんなに長閑な銀座でも、人が多いなと思っていました。何しろ実家は駅前通りでしたが、石蹴りや、今年のボタンや、だるまさんが転んだなど遊んでいても、誰も文句を言わなかったし、弟が蝋石で道路一杯に飛行機を描いて、近所の子供達を乗せて遊べたのですから。