ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

異教の血 小林稔『砂の襞』思潮社2008年9月25日刊からの一編。

2012年01月12日 | 小林稔第7詩集『砂の襞』
異教の血

   小林 稔



一つの種がもう一つの種とかけ合わせ
新しい花を現出させるように
古くから継がれた文化が、他の地域の文化と混じりあい
喜ばしい収穫を迎えることがある。
仏陀の教えが、タクラマカン砂漠を越え
中国の神仙と合体して、敦煌の壁画に遺された。
だが、文化の次元を異にして悲劇を生み出すこともある。

カブールからまだ明けやらぬ早朝
バーミヤンに向かうバスに乗り込んだ。
着いたのは日が暮れてからであった。
電灯のないこの村では石油ランプが点っていた。
さっそく宿を確保して食事をした。
まもなく宿の主人からもてなしを受ける。
主人が太鼓を叩き歌うと、それにあわせ
二人の男の子が客の周りを跳びはね踊った。
夜も更け、絨緞敷きの床で一枚の毛布に包まり寝た。

朝早く目を覚まし宿の裏手に回ると
二体の石仏が山の背丈いっぱいに立ち、私たちを待ち受けていた。
顔面は無残にもイスラーム教徒によって破壊され
頭上に翼のある馬が一部分残されていた。
車で一、二時間行ったところに
雲一つない空を映したバンデアミールと呼ばれる美しい湖があるという。
トラックの荷台に乗り、砂ぼこりの立つ道を揺られ
たちまちにして白髪になって、まつげにも砂がつもる。
湖に着くと、少年が私を出迎え、彼の引き連れた白馬に跨る。
少年は走り出し、馬は土の盛り上がった湖の縁をぎりぎりに駆けめぐる。
彼はしきりにチップをせがんだので、恐ろしさのあまり小銭を渡すと
こぶしの利いた民謡を歌い出した。

翌日、カイバル峠を越えてアフガニスタンを抜けると
バスは小さな村に立ち寄った。
一人の日本人旅行者から思わぬ事件を聞いた。
エメラルドの青をたたえた湖に、銃口が狙いを定めていた。
やがて全裸で泳いでいたフランス人女性の血が、湖面を赤く染めたと。








ガラタ橋 (『砂の襞』)から

2012年01月11日 | 小林稔第7詩集『砂の襞』
ガラタ橋
       小林 稔



金角湾の対岸に架かる浮橋、ガラタ橋を渡れば
次第にアヤソフィア寺院、スルタンアーメットモスク
シュレイマニエ寺院が視界に迫る。
大きなドームの端から鉛筆のように垂直にそそり立つ塔が
打ち寄せる波の上に揺れ始め
手摺には釣り人が糸を垂れている。
チャイハネでは水パイプをくゆらす男たちの群れ。
ボスポラス海峡を行き来する船の向こうに
アジア大陸が横たわる。
どれほどの種族や文明が交叉したことだろう。
陽は落ち始め、立ち並ぶ塔の狭間に捕らえられていた。
この古びた橋を渡り終えると
入り組んだ急カーブの坂道を昇りつめ
旧市街にあるホテル・グンゴーにやっとのことで帰ってきた。
別名ブルーモスクの壮絶なドームをホテルの窓に見て
名も知らぬ年のころ十四、五歳
少しばかりの心残りと、悔恨の念に駆られるとは。

右に折れ、左に折れ、壊れそうな石の建物の
細い路地をくぐり抜けると、バザールの喧騒が絶たれた。
すると、私の前に幼い男の子が立ちはだかった。
訝しげな眼で見つめていたが
やがて歩き出す、私の手を引いて。
真っ黒な鉄の扉を開ければ、薄汚れた部屋に寝台が一つ
その横に色黒の少年がいて私を見つめ、招き入れた。

いくつもの塔が紺青の空に翳をつけた。
これから辿るであろうアジアへの遠い道の始まり。
私が歩いてきたヨーロッパからの道と分岐する
古くはビザンティウム、そして新しいローマ。
今見るオスマン・トルコのイスラム教寺院と
このイスタンブールの街を、やがて去らなければならぬ。

翌朝、石畳の道を転びそうになりながら
ガラタ橋の袂にきて、足を止めた。
向こう岸はさらに遠ざかり、橋はどこまでもつづいていた。








小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』2003年12月31日以心社刊(旧・天使舎)からの引用(5)

2012年01月09日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』
Rue Herran 75016
          小林 稔 



 ホテルの隣にあるカフェに入る。昨日、窓際に席を占めた私を見つけ
目配せして機嫌よく注文しに来た若い給仕が、今日はいつになってもや
って来ない。昨日、チップをあげなかったことに原因があるのかもしれ
ないと思った。そのまま店を出て、サン・ミシェル通りをセーヌ川の方
に向かって歩いて行くと、日本人の経営する小さな旅行代理店があった。
格安の航空券の広告が貼られている掲示板に、アパートの物件があるこ
とに気づいた。パリ十六区、家具付きの屋根裏部屋、六百フラン、マダ
ムD。日本人の名前が書かれてあった。住所と電話番号を手帳に控えて
店を出た。通りを北上し、パンテオンのある通りへ折れたところにある
文房具屋に入った。日本から持参した日記帳が終わってしまったので、
ノートが欲しかったのだ。棚に置かれたノートの表紙をめくったが、ど
れも方眼紙のような升目が引かれている。次々に手にとって探したが、
そのことが店の女主人を怒らせてしまったようだ。眼鏡の奥の眼球が光
って犬を追い立てるように何かを叫んで、手で追い払うジェスチャーを
する。私は諦めて近くのカフェに入った。店の奥に電話ボックスが並ん
でいたので、手まえのカウンターでジュトンと呼ばれているコインを買
い、先ほど見つけたアパートに電話をしたが留守であった。外に出てリ
ュクサンブール公園を散策した。ボードレールの胸像があった。しばら
くして再びカフェに入り電話ボックスに直進した。カウンターを通り過
ぎた時、老いた女(おそらく経営者であろう)が、私に向かって喚き立
てている。私が何かの間違いを犯したとしたって、そんなふうに目くじ
らを立てることもないだろうに。私はそんな状況を無視して電話をする
と、マダム・Dと繋がり、すぐに行くことを約束してカフェを逃げるよ
うに立ち去ったが、何がいけなかったのか未だに解らない。二度目に入
った時、ジュトンを買わなかったことがいけなかったのだろうか。その
憎しみが現在まで鎮まらないから不思議である。一杯のコーヒーに税金
とサービス料がかかる、それでもチップを要求し、お釣りの小銭を返さ
ないこともあった。フランス人は好きになれそうにない。運動靴の紐が
切れそうだ。これからの滞在中の食費が気にかかる。自炊ができれば安
くあげられるかもしれない。生活がしにくいのは経済のことであってパ
リの本質とは関係がない。パリの人々とも関係がないといえようか。だ
が物価が高いのはフランスの貧しさではないだろうか。精神の貧困と何
かしら連結しているのか。


  こうして人々は生きるためにこの都会に集まって来るのだが、僕には
 それがここで死ぬためのように考えられる。僕は外出して来た。そして
 いくつもの病院を見た。一人の男がよろめいて倒れるのを見た。
             リルケ『マルテの手記』望月市恵訳


 産院に向かう妊婦の後を追いかけ、街路の悪臭を吸っている乳母車の
子供を見つめ、窓から侵入する車の騒音と、街の群集の流れと市外電車
の移動が娘の叫び声を消してしまうのを目撃する。見えるものに恐怖を
感じながらもマルテは見ることをやめはしない。彼は言うだろう、「 僕
は見る目ができかけている」と。物の深部にまで降りて行く自分を強く
自覚し、それが詩人の使命であると言うだろう。ほんとうの詩人になる
ための受難をパリで実践しようとしている。詩は「感情」ではなく「経
験」である。思い出を持ったら「 忘れ去らねばならない」。そして「再
び思い出がよみがえるまで気長に静かに待つ」忍耐が必要であり「恵ま
れたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現わ
れる」と書く。科学文明の急速な進展と経済成長のもとで歪曲された人
間の精神に思いを馳せる。何千年という人間の営みが個をないがしろに
し、集合として個を概念化して来たことに異議申し立てをする。詩は一
人の人間の経験を通して証される普遍の真理であると主張するのだ。    
  
  
  僕のカラーは清潔で、肌着もよごれてはいない(中略)僕の手はすく
 なくとも良家の子弟らしい手であって、毎日四回か五回かは洗っている
 手である(中略)しかし、たとえばサン・ミッシェル通りやラシーヌ街  
 には僕の手にだまされなくて、清潔なふしぶしをせせら笑う人種がいる。
 かれらは僕を一目見て、すべてを感づいてしまう。僕はほんとうはかれ
 らの同類であって、すこし芝居をしているのだということを(中略)そ
 して、なによりも不思議なことは、僕がその合図の意味するある秘密の
 申し合わせにおぼえがあって、その場面は僕が予期しなければならなか
 った場面であるような気持ちをたえず禁じられなかったことである。                                     前掲書『マルテの手記』

 
 人生の舞台から奈落へ落ちた敗残者たちにマルテ(リルケ)は出会う
が、彼の心の奥底を覗き込む彼らに恐怖を感じつつ、同類意識を棄て切
れないのは、彼が詩人であるからであり、また彼らと相違するものとは
何かを知るのは詩人であるという自覚である。詩と聖性は深く結ばれて
いるターム(term)である。人間であることの最低条件とは何であろう
か。労働であろうか。だが、詩人であるとは何を意味するのだろうか。
パリという街の持つ独自の風土が人々を引き寄せ、歴史を堆積した。生
きているとは生きている実感を持つことであるならば、それを容易にさ
せない場所でこそ可能なのだ。生は死といつも隣り合わせだ。昔も今も
人々がこの街の厳しさに底知れぬ魅力を感じているではないか。人を孤
独に直面させる街なのだ。だからここで脱落したら救いはない。マルテ
が恐怖を覚えたのは、詩人がほんとうの詩を獲得しなければ、あの敗残
者と同じなのだということである。マルテはそういう境遇に進んで身を
置いたのである。貧困と孤独。職を持たず身を投じていること。詩人と
は彼らの視線の位置まで身を落とさなければならない存在に違いない。
マルテ(リルケ)が見ることから学んでいこうとしたように、私もパリ
を見ることから始めよう。これまでの旅よりも厳しいものを感じる。旅
行者はパリの人々の合理主義を冷たさと思い、パリを罵倒するが、私が
旅の途上で思考してきた事柄を追究していく過程にこの厳しさは相応し
いものだ。耐えなければならない。それだけのものを私はパリから甘受
するだろう。構築的精神を生んだ理由が、街の外観からも読み取ること
ができそうだ。孤独が深まる程に、それだけこの街の美しさが煌いて見
えてくる。私の美の感覚がどれほどのものであるか試される時である。


 地下鉄のポンプという駅で降り地上に出た。高い塀で囲まれた建物に
沿いながらロンシャンという名の通りをさらに折れると、エランという
狭い通りに辿り着いた。番地を確かめ、木製の丈高い扉のまえに立った。
後ずさりして仰ぐと、最上階に屋根裏部屋の突き出した箱型の窓がある。
その上にいくつもの煙突が立っている。左手の呼び鈴を押した。ロック
がひとりでに外れ扉が開き、その奥の闇が垣間見えた。重厚な扉を押し
て中に入ると、右手に深紅の絨毯を真鍮の金具で留めた大きな階段があ
った。階段の左に鉄の檻に納められたエレベーターがあり、さらに左手
は中庭に続いている。途中、管理人の部屋の窓が見えた。昔は馬車がこ
の扉から入り中庭に繋げたのではないだろうか。

 マダム・Dの住居は二階にある。私は階段を昇って行き、部屋の扉に
あった呼び鈴を押すと、しばらくして日本人女性が姿を見せた。三十代
後半にはなろうか、落ち着きのある物腰で私をリビングに招いた。ベト
ナム人男性と結婚して、彼女は学校の事務の仕事をしていると私に語っ
た。いくつかの部屋の扉が並んでいる通路を抜けて裏口から出ると、狭
い螺旋階段があり、彼女の後について昇って行った。この建物の最上階
まで辿ると、それぞれの階に付属した屋根裏部屋が並んでいる。昔は各
階の女中が住んでいたという。扉の鍵を開けてマダム・Dは私に部屋を
見せるため中に入った。広い台所がすぐ見えるところにあった。窓がエ
ラン通りと反対側についているため、硝子越しに屋根が見えるだけであ
った。台所の奥に六畳程度の広さの部屋があった。マントルピースがあ
ったが、使わないように彼女から言われた。この部屋の小さな窓は通り
に面している。先ほど下から見上げ時に見えた窓に違いない。簡易ベッ
ドと机と椅子がある。ここに日本人が住んでいるが、二日後に日本に帰
るため次の借主を捜しているのだ、とマダム・Dは言った。私は借りる
ことに決めて内金を払い、螺旋階段をいっしょに降りて二階の裏口で彼
女と別れ、中庭に出て通路を抜け外に出たのであった。


 青春時の、絶えず何ものかに追い立てられているような感情。死が隣
り合わせていることにも無知で、失望と陶酔が交互に訪れ、眼差しは遠
くへ引き寄せられた。すれ違いに見た人や自然や街々の佇まいに感動し、
心痛め、怒り、不安に脅え、はたまた夢に胸を躍らせた旅の途上での想
いが忘却の淵から浮上して私の血潮を湧き立たせる。旅立たなければな
らなかったほんとうの理由を問いただしても、記憶の抽斗はどれも空で
足がすくんで身動きできなくなる。宿題を忘れて教室に立たされた小学
生のように、真っ白になった脳髄を、哀しみが突然のように襲ってくる。 


 二日後に、再びマダム・Dを訪ねた私は、部屋の鍵をもらうと一人で
螺旋階段を早足で駆け上っていったが、途中で照明が消えると、壁にい
くつもついているスイッチの一つにを手を伸ばす。時間が経つとひとり
でに電気が切れる。最上階に行くまで二回ほどそれを繰り返さなければ
ならない。部屋の扉を開け台所に立つと、食器と鍋がないことに気づい
た。奥の部屋には寝具を取り払ったベッドと、机と椅子があったが、机
の上の電気スタンドがない。家具付きの部屋という約束は嘘だったのか。
マダム・Dのおとなしそうな表情の裏に、人を平然と騙す冷酷な顔があ
ったのだ。すぐに訴えに行こうと思ったが。おそらく彼女は取り乱すこ
となく言い訳をするに違いない。確認しなかった自分がいけなかったの
だし、もう一度立腹して負けを認めることも嫌だ。又貸しをして自分た
ちの家賃を浮かしているに決まっている。四ヶ月もすれば、また私は旅
を再開するのだ。


 渡り鳥が船上に翼を休めるように、寝具のないベッドが横たわる屋根
裏部屋で、リュックの紐も解かぬまま、遠くの建物にのしかかる雲の狭
間に青白く姿を見せる夜明けの空を見ていた。サクレクール寺院の白い
ドームが見える。世界が終わってしまったような静けさだ。私はここで
何をしているのだろう。パリの生活は私には無理なことだったのか。不
意にロートレアモンを昔、読んだ時の孤立した感情が甦った。この寂寞
とした部屋で私はほんとうに生きていけるのだろうか。一筋の薄紅色の
雲が、混在した建物の彼方の空に尾を曳いている。行こう。そう自分に
言い聞かせると、リュックを背負い、螺旋階段をゆっくり降りて行った。


 夜明けの冷気が頬を刺した。空は重く垂れ込めている。地下鉄の駅に
降り立ち、機械にコインを入れてキップを買い、ホームで列車を待った。
人の気配がない。やがて列車が来る。いく人かの乗客を運んで列車は素
早く停止した。私が腰を降ろした席の真向かいに座っている成熟した女
の、私を観察しているような視線があった。私が視線を向けると、女は
床に視線を落としたが、頬笑んでいるのは明らかだ。通勤客が乗り込ん
で来て遮断され、女の視線から解放されたので、さっきまでアパートの
床にうずくまっていた自分を思い起していると、いとおしみの感情が沸
き立った。「引き返せ」。そういう声が胸の奥から聞こえてきた。ちょ
うどその時、駅に列車は止まって、反対側のホームに別の列車が滑り込ん
だ。そして反射的に私は飛び乗ったのである。


 シテ島に架かるいくつもの橋を見ながら、その一つ、サン・ミシェル
橋を私は渡っていた。百貨店で買った寝袋を胸に押し当て、喜びと哀し
みで泣きそうになった。抑えようとする気持ちがいっそう感情の波を揺
さぶり続ける。立ち止まり冷気を大きく吸い込んだ。夕闇はすでに降り
て、欄干から視線を投げると、対岸の建物が黒い輪郭を映し出している。
このユーラシアの東に、私の辿るべきアジアの大地が横たわっているの
だ。どんな困難が待ち構えているか。私は生きて日本に帰ることができ
るのだろうか。
 
 パリよ、若い日の愚行と、不幸と背中合わせの希望に胸を燃やしてい
た私を、あなたは静かに見ていた。あの時の心の震えが、昨日のことの
ように何度も甦って、私は今も胸の痛みを覚えるのだ。



生き神、小林稔第3詩集『白蛇』以心社(旧・天使舎)刊1998年11月1日からの一編

2012年01月06日 | 小林稔第3詩集『白蛇』
生き神

        小林 稔


 ダカンは、チベットとネパールの国境に二分される、アン
ナプルナが夕日に 美しく生える村である。
 ヒマラヤの雪解け水が まだ手に冷たい浅い春、僧侶がダ
カンの家々を廻り歩き、若毛が 唇の上に影をつけ始めたば
かりの男の子を探し出す。毎年 行なわれる、この生き神の
習いは、カトマンズの少女神と対をなすものであるという。
 仲間との遊びに疲れ、泥まみれのまま独り、川辺に立ちす
くむ男の子が僧侶の目に止まった。連れて帰ると 水を浴び
せ、それからお経を唱える。地鳴りのような声の中で 少年
は、日一日と神性を帯びていく。
 詳細なアジア地図のどこにも記されていない、このダカン
を知ったのは、パキスタンを訪れたときのことである。
『断食するブッダ』を見て帰ろうとしたとき、光が差し込む
窓際のショーケースに置かれた細密画に 目を奪われた。遠
近法を無視した図面のように区分された部屋で、いましも動
き出しそうな二人の老人が 敷物に座して、何やら語り合っ
ている図だ。凝視すると 私自身が絵の中に捕らえられてし
まいそうだ。
 肩に何者かの気配を感じ、振り返った。するとそこに一人
の男がいた。奥の部屋に導かれ 見ると、暗闇に火が走り 
お堂の真ん中に 年の端いかぬ男の子がいて、それを囲んで
何百人とも思われる僧侶が 赤い僧衣を身に纏い合掌してい
る。透き通るような皮膚、生まれたままの立ち姿、桃のよう
な尻も露に 僧侶にかしずかれ身を清めている。神としか讃
えようのない美しさが 軀からみなぎっていた。
 お堂を後にし 山門を過ぎたところで、男がいない。はて、
と いま来た道を引き返すと 寺は跡形もなく消え、礎石だ
けが残されていた。
 渺渺(びょうびょう)として見晴るかすヒマラヤ山系の後
方、傾きかけた夕日は 索漠としたダカンの地を照らしてい
た。

小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』2003年12月31日以心社刊(旧・天使舎)からの引用(4)

2012年01月03日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』
アンバリッドとロダン美術館
           小林 稔



 ポートロワイアルからモンパルナス通りを歩くと、年上の青年にいく
度も声をかけられた。フランス語を解さない私はきょとんと立ち止まっ
た。困ったという表情で彼らは立ち去った。ロダンの反り返ったバルザ
ックの銅像を見上げていた時、車が一台舗道に乗り上げているのが見え
た。車から背広を取り出し、行商人だろうか、男が道行く人にそれを見
せ声をかけている。道を一直線に進んで行くとモンパルナス駅が見えた。
近代的な建物があることに驚く。地図を見ながらさらに歩いて行くとア
ンバリッドに辿り着いた。ナポレオンの霊廟である。石棺を取り囲んで
中学生が先生の話に聞き入っている。いく人かは私の存在が気になるら
しく視線を向けている。見学が終わると、彼らは急に騒がしくなり、廻
廊のある中庭に飛び出して行った。男の子たちが声を上げて追い駆け合
ったり、円柱に背を凭れて睦まじく話をしたりしている。私にもあった
のだろうか。あんなふうに友人と時の経つのを忘れ楽しんだ時代が。


 通りを越えるとロダン美術館があった。庭のあるこじんまりした建物
である。接吻する男女の彫刻を見て、愛に満ち足りたエロティシズムに
引き込まれ、官能的でありながらしかも動物的ではない、かつての他者
と接触した記憶が、見ている私の肉体に引きずり込まれ、意識の淵で溺
れているような想いに陥った。階段を上ったところ、『 青銅時代』と名
づけられたブロンズ像が、硝子窓から注ぐ光を背後から浴びて、青年の
裸体の美をシルエットのように伝えている。ロダン美術館を出てあても
なく歩いた。路地から路地を迷子になる快さを感じながらしばらく歩き
続けた。地図にはサンジェルマン通りとあるが、この通りがそれか確証
はない。教会があり、扉のまえに張り紙があったが、モーツアルトとレ
クイエムの文字が目に留まった。ステンドグラスの嵌った廻廊に椅子が
礼儀正しく並んでいる。その半数近くに聴衆が背を向けて座っていた。
しばらくすると演奏が始まった。壮厳な空気が礼拝堂を充たしてしまう
と、男性のコーラスと女性のそれが螺旋を描きながら追いかけるように
舞い上がって行った。モーツアルトはこの曲を未完のままにして生を終
えた。かつて彼は母を連れてこの街に来たことがあった。ピアノソナタ
作品三三一。第一楽章の、春の喜びにあふれた主題を指で鍵盤に辿る時、
少年の本質にどこかで触れたような気持ちになる。主題の後に五つのヴ
ァリエーションが続く。彼はこの街で母を亡くしたのであった。モーツ
アルトとは、少年から老成へと一気に走り抜けた、一人の悲劇的な芸術
家に思えて仕方がない。パリに着いたばかりの私が、名も知らぬ教会で、
レクイエムに魂を揺すぶられていることが不思議でもあった。


 サン・シュルピス広場に立った私は、いくつかある小路に視線を走ら
せ、ホテルと書かれた小さな看板をつけた建物を見つけた。雨風にさら
され汚れた石の壁が手まえに傾いている。二階に導く階段を昇ってドア
を叩いた。ここがホテルの入口に違いない。厚化粧をした女の微笑んだ
顔が、引かれるドアの奥から現われた。「部屋はありますか 」と訊ねる
私に、彼女は囁くように早口で何ごとかを語った。老いと疲労から、塗
りたくった白粉が肌に浮き上がっている彼女の顔に眼を奪われ、動けな
くなった私に気づき、彼女の眉が歪んだ。私のような旅行者の来るべき
ところではなかったのだという想いに駆られ、立ち去ろうとした。パリ
で暮らす女の隠された生活の襞に触れてしまったのだろうか、私は足裏
を石段に吸い取られるように重く感じながら降りた。