ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』2003年12月31日以心社刊(旧・天使舎)からの引用(5)

2012年01月09日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』
Rue Herran 75016
          小林 稔 



 ホテルの隣にあるカフェに入る。昨日、窓際に席を占めた私を見つけ
目配せして機嫌よく注文しに来た若い給仕が、今日はいつになってもや
って来ない。昨日、チップをあげなかったことに原因があるのかもしれ
ないと思った。そのまま店を出て、サン・ミシェル通りをセーヌ川の方
に向かって歩いて行くと、日本人の経営する小さな旅行代理店があった。
格安の航空券の広告が貼られている掲示板に、アパートの物件があるこ
とに気づいた。パリ十六区、家具付きの屋根裏部屋、六百フラン、マダ
ムD。日本人の名前が書かれてあった。住所と電話番号を手帳に控えて
店を出た。通りを北上し、パンテオンのある通りへ折れたところにある
文房具屋に入った。日本から持参した日記帳が終わってしまったので、
ノートが欲しかったのだ。棚に置かれたノートの表紙をめくったが、ど
れも方眼紙のような升目が引かれている。次々に手にとって探したが、
そのことが店の女主人を怒らせてしまったようだ。眼鏡の奥の眼球が光
って犬を追い立てるように何かを叫んで、手で追い払うジェスチャーを
する。私は諦めて近くのカフェに入った。店の奥に電話ボックスが並ん
でいたので、手まえのカウンターでジュトンと呼ばれているコインを買
い、先ほど見つけたアパートに電話をしたが留守であった。外に出てリ
ュクサンブール公園を散策した。ボードレールの胸像があった。しばら
くして再びカフェに入り電話ボックスに直進した。カウンターを通り過
ぎた時、老いた女(おそらく経営者であろう)が、私に向かって喚き立
てている。私が何かの間違いを犯したとしたって、そんなふうに目くじ
らを立てることもないだろうに。私はそんな状況を無視して電話をする
と、マダム・Dと繋がり、すぐに行くことを約束してカフェを逃げるよ
うに立ち去ったが、何がいけなかったのか未だに解らない。二度目に入
った時、ジュトンを買わなかったことがいけなかったのだろうか。その
憎しみが現在まで鎮まらないから不思議である。一杯のコーヒーに税金
とサービス料がかかる、それでもチップを要求し、お釣りの小銭を返さ
ないこともあった。フランス人は好きになれそうにない。運動靴の紐が
切れそうだ。これからの滞在中の食費が気にかかる。自炊ができれば安
くあげられるかもしれない。生活がしにくいのは経済のことであってパ
リの本質とは関係がない。パリの人々とも関係がないといえようか。だ
が物価が高いのはフランスの貧しさではないだろうか。精神の貧困と何
かしら連結しているのか。


  こうして人々は生きるためにこの都会に集まって来るのだが、僕には
 それがここで死ぬためのように考えられる。僕は外出して来た。そして
 いくつもの病院を見た。一人の男がよろめいて倒れるのを見た。
             リルケ『マルテの手記』望月市恵訳


 産院に向かう妊婦の後を追いかけ、街路の悪臭を吸っている乳母車の
子供を見つめ、窓から侵入する車の騒音と、街の群集の流れと市外電車
の移動が娘の叫び声を消してしまうのを目撃する。見えるものに恐怖を
感じながらもマルテは見ることをやめはしない。彼は言うだろう、「 僕
は見る目ができかけている」と。物の深部にまで降りて行く自分を強く
自覚し、それが詩人の使命であると言うだろう。ほんとうの詩人になる
ための受難をパリで実践しようとしている。詩は「感情」ではなく「経
験」である。思い出を持ったら「 忘れ去らねばならない」。そして「再
び思い出がよみがえるまで気長に静かに待つ」忍耐が必要であり「恵ま
れたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現わ
れる」と書く。科学文明の急速な進展と経済成長のもとで歪曲された人
間の精神に思いを馳せる。何千年という人間の営みが個をないがしろに
し、集合として個を概念化して来たことに異議申し立てをする。詩は一
人の人間の経験を通して証される普遍の真理であると主張するのだ。    
  
  
  僕のカラーは清潔で、肌着もよごれてはいない(中略)僕の手はすく
 なくとも良家の子弟らしい手であって、毎日四回か五回かは洗っている
 手である(中略)しかし、たとえばサン・ミッシェル通りやラシーヌ街  
 には僕の手にだまされなくて、清潔なふしぶしをせせら笑う人種がいる。
 かれらは僕を一目見て、すべてを感づいてしまう。僕はほんとうはかれ
 らの同類であって、すこし芝居をしているのだということを(中略)そ
 して、なによりも不思議なことは、僕がその合図の意味するある秘密の
 申し合わせにおぼえがあって、その場面は僕が予期しなければならなか
 った場面であるような気持ちをたえず禁じられなかったことである。                                     前掲書『マルテの手記』

 
 人生の舞台から奈落へ落ちた敗残者たちにマルテ(リルケ)は出会う
が、彼の心の奥底を覗き込む彼らに恐怖を感じつつ、同類意識を棄て切
れないのは、彼が詩人であるからであり、また彼らと相違するものとは
何かを知るのは詩人であるという自覚である。詩と聖性は深く結ばれて
いるターム(term)である。人間であることの最低条件とは何であろう
か。労働であろうか。だが、詩人であるとは何を意味するのだろうか。
パリという街の持つ独自の風土が人々を引き寄せ、歴史を堆積した。生
きているとは生きている実感を持つことであるならば、それを容易にさ
せない場所でこそ可能なのだ。生は死といつも隣り合わせだ。昔も今も
人々がこの街の厳しさに底知れぬ魅力を感じているではないか。人を孤
独に直面させる街なのだ。だからここで脱落したら救いはない。マルテ
が恐怖を覚えたのは、詩人がほんとうの詩を獲得しなければ、あの敗残
者と同じなのだということである。マルテはそういう境遇に進んで身を
置いたのである。貧困と孤独。職を持たず身を投じていること。詩人と
は彼らの視線の位置まで身を落とさなければならない存在に違いない。
マルテ(リルケ)が見ることから学んでいこうとしたように、私もパリ
を見ることから始めよう。これまでの旅よりも厳しいものを感じる。旅
行者はパリの人々の合理主義を冷たさと思い、パリを罵倒するが、私が
旅の途上で思考してきた事柄を追究していく過程にこの厳しさは相応し
いものだ。耐えなければならない。それだけのものを私はパリから甘受
するだろう。構築的精神を生んだ理由が、街の外観からも読み取ること
ができそうだ。孤独が深まる程に、それだけこの街の美しさが煌いて見
えてくる。私の美の感覚がどれほどのものであるか試される時である。


 地下鉄のポンプという駅で降り地上に出た。高い塀で囲まれた建物に
沿いながらロンシャンという名の通りをさらに折れると、エランという
狭い通りに辿り着いた。番地を確かめ、木製の丈高い扉のまえに立った。
後ずさりして仰ぐと、最上階に屋根裏部屋の突き出した箱型の窓がある。
その上にいくつもの煙突が立っている。左手の呼び鈴を押した。ロック
がひとりでに外れ扉が開き、その奥の闇が垣間見えた。重厚な扉を押し
て中に入ると、右手に深紅の絨毯を真鍮の金具で留めた大きな階段があ
った。階段の左に鉄の檻に納められたエレベーターがあり、さらに左手
は中庭に続いている。途中、管理人の部屋の窓が見えた。昔は馬車がこ
の扉から入り中庭に繋げたのではないだろうか。

 マダム・Dの住居は二階にある。私は階段を昇って行き、部屋の扉に
あった呼び鈴を押すと、しばらくして日本人女性が姿を見せた。三十代
後半にはなろうか、落ち着きのある物腰で私をリビングに招いた。ベト
ナム人男性と結婚して、彼女は学校の事務の仕事をしていると私に語っ
た。いくつかの部屋の扉が並んでいる通路を抜けて裏口から出ると、狭
い螺旋階段があり、彼女の後について昇って行った。この建物の最上階
まで辿ると、それぞれの階に付属した屋根裏部屋が並んでいる。昔は各
階の女中が住んでいたという。扉の鍵を開けてマダム・Dは私に部屋を
見せるため中に入った。広い台所がすぐ見えるところにあった。窓がエ
ラン通りと反対側についているため、硝子越しに屋根が見えるだけであ
った。台所の奥に六畳程度の広さの部屋があった。マントルピースがあ
ったが、使わないように彼女から言われた。この部屋の小さな窓は通り
に面している。先ほど下から見上げ時に見えた窓に違いない。簡易ベッ
ドと机と椅子がある。ここに日本人が住んでいるが、二日後に日本に帰
るため次の借主を捜しているのだ、とマダム・Dは言った。私は借りる
ことに決めて内金を払い、螺旋階段をいっしょに降りて二階の裏口で彼
女と別れ、中庭に出て通路を抜け外に出たのであった。


 青春時の、絶えず何ものかに追い立てられているような感情。死が隣
り合わせていることにも無知で、失望と陶酔が交互に訪れ、眼差しは遠
くへ引き寄せられた。すれ違いに見た人や自然や街々の佇まいに感動し、
心痛め、怒り、不安に脅え、はたまた夢に胸を躍らせた旅の途上での想
いが忘却の淵から浮上して私の血潮を湧き立たせる。旅立たなければな
らなかったほんとうの理由を問いただしても、記憶の抽斗はどれも空で
足がすくんで身動きできなくなる。宿題を忘れて教室に立たされた小学
生のように、真っ白になった脳髄を、哀しみが突然のように襲ってくる。 


 二日後に、再びマダム・Dを訪ねた私は、部屋の鍵をもらうと一人で
螺旋階段を早足で駆け上っていったが、途中で照明が消えると、壁にい
くつもついているスイッチの一つにを手を伸ばす。時間が経つとひとり
でに電気が切れる。最上階に行くまで二回ほどそれを繰り返さなければ
ならない。部屋の扉を開け台所に立つと、食器と鍋がないことに気づい
た。奥の部屋には寝具を取り払ったベッドと、机と椅子があったが、机
の上の電気スタンドがない。家具付きの部屋という約束は嘘だったのか。
マダム・Dのおとなしそうな表情の裏に、人を平然と騙す冷酷な顔があ
ったのだ。すぐに訴えに行こうと思ったが。おそらく彼女は取り乱すこ
となく言い訳をするに違いない。確認しなかった自分がいけなかったの
だし、もう一度立腹して負けを認めることも嫌だ。又貸しをして自分た
ちの家賃を浮かしているに決まっている。四ヶ月もすれば、また私は旅
を再開するのだ。


 渡り鳥が船上に翼を休めるように、寝具のないベッドが横たわる屋根
裏部屋で、リュックの紐も解かぬまま、遠くの建物にのしかかる雲の狭
間に青白く姿を見せる夜明けの空を見ていた。サクレクール寺院の白い
ドームが見える。世界が終わってしまったような静けさだ。私はここで
何をしているのだろう。パリの生活は私には無理なことだったのか。不
意にロートレアモンを昔、読んだ時の孤立した感情が甦った。この寂寞
とした部屋で私はほんとうに生きていけるのだろうか。一筋の薄紅色の
雲が、混在した建物の彼方の空に尾を曳いている。行こう。そう自分に
言い聞かせると、リュックを背負い、螺旋階段をゆっくり降りて行った。


 夜明けの冷気が頬を刺した。空は重く垂れ込めている。地下鉄の駅に
降り立ち、機械にコインを入れてキップを買い、ホームで列車を待った。
人の気配がない。やがて列車が来る。いく人かの乗客を運んで列車は素
早く停止した。私が腰を降ろした席の真向かいに座っている成熟した女
の、私を観察しているような視線があった。私が視線を向けると、女は
床に視線を落としたが、頬笑んでいるのは明らかだ。通勤客が乗り込ん
で来て遮断され、女の視線から解放されたので、さっきまでアパートの
床にうずくまっていた自分を思い起していると、いとおしみの感情が沸
き立った。「引き返せ」。そういう声が胸の奥から聞こえてきた。ちょ
うどその時、駅に列車は止まって、反対側のホームに別の列車が滑り込ん
だ。そして反射的に私は飛び乗ったのである。


 シテ島に架かるいくつもの橋を見ながら、その一つ、サン・ミシェル
橋を私は渡っていた。百貨店で買った寝袋を胸に押し当て、喜びと哀し
みで泣きそうになった。抑えようとする気持ちがいっそう感情の波を揺
さぶり続ける。立ち止まり冷気を大きく吸い込んだ。夕闇はすでに降り
て、欄干から視線を投げると、対岸の建物が黒い輪郭を映し出している。
このユーラシアの東に、私の辿るべきアジアの大地が横たわっているの
だ。どんな困難が待ち構えているか。私は生きて日本に帰ることができ
るのだろうか。
 
 パリよ、若い日の愚行と、不幸と背中合わせの希望に胸を燃やしてい
た私を、あなたは静かに見ていた。あの時の心の震えが、昨日のことの
ように何度も甦って、私は今も胸の痛みを覚えるのだ。