ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

季刊個人誌「ヒーメロス」バックナンバー

2012年01月27日 | 季刊個人誌ヒーメロス」バックナンバー

ヒーメロス バックナンバー              


ひいめろす 創刊号 1998年7月1日 紀行詩 牛とアコーデオン 小林稔
ひいめろす 2号 1999年5月15日
          詩 オベリスク 小林稔 紀行詩 蛇行するセーヌ(4) 小林稔
         訳詩 ミケランジェロ・ブオナロッティ トマソ・カバリエーリに献ずるソネット 一、二
         「ミケランジェロの詩」私注 小林稔
      エセー アンテロースの恋 プラトン「パイドロス」をめぐって 小林稔
ひいめろす  3号 2000年3月20日  詩 石の来歴  遠近法のショパン  蛇と貨幣 小林稔
ひいめろす  4号 2001年8月1日  詩 彼方――伽藍、譚、ヴィンセント 小林稔
      紀行詩 インドを去る 小林稔 寄稿 エセー 召命と贖罪 高橋優子
ひいめろす  5号 2002年9月20日   詩 亡霊 砂の襞  円蓋  小林稔 
ヒーメロス  6号 2004年1月25日
       寄稿 詩 忘れもの 笹原玉子  兜虫あるいは喪章 河江伊久  楔 小林 稔 
       ヒーメロス通信 前編1-6 小林稔
          ワークショップとは何か、近代詩からの百年 現代詩はなぜ一般から敬遠させるのか
          現代詩の源流を江戸時代の俳文や行分け詩に求められないか 
          萩原朔太郎研究第一回から第四回
ヒーメロス  7号 2004年6月6日
           詩 水の記憶 小林稔  寄稿 詩 漆黒の鳥 高橋優子
           ヒーメロス通信 後編7-12 小林稔  金子光晴研究第一回、第二回 
           放浪の始まり 変遷する詩人 コスモポリタンとしての詩  
           西脇順三郎研究 戦後詩を読む  小林稔詩集「蛇行するセーヌ」寸評
ヒーメロス  8号 2005年5月20日
         詩 詩人と竪琴 三叉の辻 テレマコスの航海 小林稔 
           寄稿 詩 冬の夜しずかな声がして 河江伊久
        評論 ポエジーの泡立つところについて 「蛇と幼年」 小林稔  
           詩集「白蛇」アンソロジー ヒーメロス通信報告 小林稔  
           ジョゼッペ・ウンガレッティ 砂漠から来た男広報「ながれやま」市民文芸の作品
ヒーメロス  9号 2009年3月5日
          詩 アマルガム 小林稔  天人の帰還 河江伊久  ユメの単位 笹原玉子  
            さなぎ捕り 原 葵  
          評論 「自己への配慮」と詩人像(一) 小林稔 
ヒーメロス  10号 2009年7月5日
          詩 夏の終わりに 河江伊久 四月の桜 北条裕子 献身 小林稔
            ささやき走法 原 葵 「自己への配慮」と詩人像(二) 小林稔
ヒーメロス  11号 2009年9月25日
          詩 アナムネーシス 小林稔  石炭庫について 河江伊久
          書評 ディオニソスの系譜 酒井健『バタイユ』(青土社) 小林稔
          評論 「自己への配慮」と詩人像(三)小林稔
ヒーメロス  12号 2009年12月5日
          詩 火 小林稔  しずかな家 河江伊久  わたしたちは生臭い息をして 原 葵
          生成する音楽、ビートルズ 小林稔
          評論 「自己への配慮」と詩人像(四) 小林稔
ヒーメロス  13号 2010年3月5日
          詩 脾肉之嘆 小林稔  忘却 笹原玉子  瑠璃色の蟹 河江伊久
            春近き夜には 原 葵
          評論 「自己への配慮」と詩人像(五) 小林稔
ヒーメロス  14号 2010年6月10日
          詩 脾肉之嘆(二) 小林稔 彼方の水 高橋優子 日向坂 河江伊久
          評論 「自己への配慮」と詩人像(六) 小林稔
ヒーメロス  15号 2010年9月10日
          詩 脾肉之嘆(三) 小林稔  六本木猫坂 河江伊久  秋には、オモシロ橋で 原 葵
          評論 「自己への配慮」と詩人像(七)小林稔
ヒーメロス  16号 2010年12月10日
          詩 脾肉之嘆(四) 小林稔  モーリー、あるいは午前五時の集会 河江伊久
          評論 「自己への配慮」と詩人像(八) 小林稔
             誤読の活用「詩はどこにあるのか」(谷内修三の読書日記)から 小林稔
ヒーメロス   17号 2011年3月25日
          詩 胡椒あふれる水びたしの邦に 小林稔
            キュー農園の春 河江伊久  肉球を舐めながら 原 葵
            現実熟視と詩人の生 長谷川龍生「倦怠」について 小林稔
            評論 「自己への配慮」と詩人像(九) 小林稔
ヒーメロス   18号 2011年6月25日
          詩 他者たち 小林稔   家族、あるいは叫び声 河江伊久
          評論 「自己への配慮」と詩人像(十) 小林稔
ヒーメロス   19号 2011年10月25日
          詩 榛(はしばみ)の繁みで 小林稔  ある渇望について 河江伊久
            いつか、最終列車に乗って 原 葵
          評論 「自己への配慮」と詩人像(十一) 小林稔
          書評 プラトン哲学の将来 3・11以後の世界に向けて 小林稔
ヒーメロス   20号 2012年3月25日
          詩 榛(はしばみ)の繁みで(二) 小林 稔
            秋には,第十七号河岸で  原 葵
          書評 情念のエクリチュール 小説「ショパン 炎のバラード」ロベルト・コトロネーオ
          現代詩への提言① 現代詩のデフレスパイラル現象 小林 稔
          長期連載エセー「自己への配慮」と詩人像(十二) 小林 稔
ヒーメロス   21号 2912年7月20日
          詩 榛(はしばみ)の繁みで(三) 小林 稔
            鐘     山中真知子
            ももいろうさぎ  河江伊久
            猫よ、今夜はもう 眠らせてくれ  原 葵
            樺太から   二宮清隆
          長期連載エセー『「自己への配慮と」と詩人像』(十三)
                            小林 稔
          現代詩への提言②ブログ「ヒーメロス通信」2012年6月8日より
                 詩の相互批評について 小林 稔

ヒーメロス   22号 2012年10月12日

          詩 泉 小林 稔

          エセー「自己への配慮」と詩人像(十四)小林 稔

ヒーメロス   23号 2012年12月20日

          詩  何処で  二宮清隆

             残照   小林 稔

          エセー 「自己への配慮」と詩人像 (十五)小林稔

              高橋六郎「詩歌の国の住人として」を読んで 小林稔

ヒーメロス   24号 2013年6月30日

          詩 老体 小林稔

            藁の中の水 河江伊久

            たましいをかえて 原 葵

            タペストリー1,2 小林稔

          エセー「自己への配慮」と詩人像(十六) 小林 稔

             ボードレールについて(一)小林  稔

ヒーメロス   25号 2013年10月25日

          詩 タペストリー3,4,5 小林 稔

            殺すな   二宮清隆

            影たちの時間 河江伊久

            あたしは、猫のキヨコ 原 葵

          エセー デリダ論序説 小林稔

              「自己への配慮」と詩人像 (十七) 小林 稔

ヒーメロス   26号 2014年5月十日

          詩 水の変成  小林 稔

            プラウマ  天野 英

            あたしを、見つけて 原 葵

        エセー「自己への配慮」と詩人像(十八) 小林 稔

ヒーメロス   27号 2014年9月30日

          詩 タペストリー6 小林 稔

            トビーの壜 河江伊久  
            寝台の下の暗闇 原 葵

            長いほうのたましいは 原 葵

            小雨の降る庭園は  天野 英

          エセー「自己への配慮」と詩人像(十九) 小林 稔