ヒーメロス通信


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鈴木東海子「朗読の人」、詩誌『櫻尺』第39号2012年2月28日発行

2012年04月10日 | 同人雑誌評

鈴木東海子「朗読の人」詩誌『櫻尺』39号2012年2月28日発行

小林 稔


 イギリス文学に目を馳せるとき、イギリスの美しい自然の風景が瞼に浮かび上がってくる。
エリオットの現代詩「荒地」にいたるまで、イギリスの詩と自然の光景は切り離せないもの
であろう。鈴木東海子氏の「朗読の人」は、朗読をこよなく愛する詩人ならではの詩である
と思った。彼女が実際にイギリスを訪れて書いたのかどうかは判然としないが、心は完全に
イギリスに降り立っている。

 四月が旅のはじめにちがいなくいつも四月がわたしをせきたてた。
                  「朗読の人」第三連の部分

 四季の始まりである四月。「旅のはじまり」とは人生の始まりと重ねあわされる。四月に
命の花を咲かせ、夏に繁栄期を迎え、秋は実りと収穫期であり、厳しい冬は死に支配される。
そしてそこから命をよみがえらせる春。この自然の循環のなかで、私たち人間は自然の草花
や樹木と違い、「知」からもたらされる言葉を繁らせ実らせようとする。次世代へと引き継
がれていくために。詩人、鈴木氏は女性であり、前世代の女性の「歩いてきた道のり」を振
り返る。チョーサーの「カンタベリー物語」の一節を引用して、さらに彼女の脳裡にその詩
を読むシルビア・プラスという詩人の声が聞こえてくる。そして「わたし」の詩の朗読は始
まる。

 物語はどこからでも変えることができる。省略すること
 もできるのであったがカンタベリーへの道のりは省略す
 ることができなかったように今日ここにいるために昨日
 を省略するわけにはいかなかった。
                 「同」第七連の部分

 とつぜん詩人は女詩人吉原幸子を思い起こす。「傷口が開くように血が流れ出す日本の詩
人」と詩の中で表現している。「プラスと同年に生まれ詩人」であり、「プラスの倍を生き
て沈黙した。十年の沈黙を車椅子のうえで。」

 裏切りは完膚なきまでにわたしたちを切り裂いた。
                  「同」第九連の部分
 
 ここまで読みついてくると、詩人が何をこの詩で伝えたかったのかが見えてくる。「四月
は一番残酷な季節」と書いたエリオットの「荒地」の冒頭から暗示される、豊かな自然と人
間の精神の不毛に、ただ嘆き酔いしれている男(=私)ではいられなくなるというものだ。

 野を歩く女達は
 母であったかもしれない
 少女であったかもしれない
 沈黙することは
 全部であったかもしれない
 朗読するように
 歩くのであった。
                「同」最終連の最後の七行

 言葉において自己表現をする女性に必ず内在するであろう、男性社会による「女性蔑視の
歴史」を見つめる眼差し。私たちは歴史を操ってきた権力というものから目をそらさずに、
理性というものを形成してきた西洋の思考を解読していかなければならないだろう。最後の
一行に詩人の決意を読み取ることができる。そのようなことを私に考えさせた一編であった。






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