ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔詩作品「夏の碑」詩集「遠い岬」(以心社2011年)より

2015年11月23日 | ヒーメロス作品

夏の碑(いしぶみ)

             小林  稔

 

時の蹠(あしうら)が ぶしつけに水辺の草草を踏みしだいていく

かつて あれほどまでに信じられた夏の一日は

いま牡蠣の殻にきつく閉ざされ 煌きを増している

腐蝕がすでに始まっている私の肉体が 

命の綱を離す瞬間まで 私は携えていくだろう 

かたわらで見守りつづけた きみの十四度目の夏を

 

稲妻と豪雨に襲われ 

駆け込んだ民家の軒下でびしょぬれて

やがて宿舎に向かうタクシーの車内は 

きみの身体から放たれた草いきれで満ち

遠い記憶に呼び止められ 

私は息をすることさえはばかれた

明るい室内と夜の森を隔てる 一枚のガラス戸に 

等身で立つきみが写されている 闇の向こうに 

湖が月の破片を浮かべ ひっそりと眠っているだろう

 

素足をそっと踏んでは ためらい後ずさり

おそれ あこがれ 羽ばたき

繁茂する樹木と燃える草草に触れ

たましひは もがき 苦しんでいた

ふるさとへ向かう折り返し地点で

(私もぞんざいで若さにあふれていた)

きみの瞼から包帯を解き放ち

悦びと哀しみの邦をともに訪うための

出発はいく度も夢見られ やむなく見送られた

 

いくつもの夏が背を向けて通り過ぎ

荒涼とした原野に独り立たされる

私の眼前 無防備に投げ出された

うだるような熱風にあてられ伸びた四肢 

時の位層に残された記憶のかけらを 

蒐めては丹念に縫い合わせ

かつての追憶を在りし日のようになつかしむ 

あの日 郷愁の網にからめ捕られた私のたましひは

豊饒なあまりに生産される種子を唆(そそのか)して

私の脆弱な杖に言葉の葉叢を繁らせるだろうか

 

歳月の高みでよろけ 刻印された地上の夏の

あらかじめ失われ ふたたび失われた王国を俯瞰する

やがては空蝉を枝に懸けるように たましひは縛めから解かれ 

落ちていくだろう 湖面に映された さかしまの空に 

 

copyright2011以心社・無断転載禁じます。


小林稔詩作品「はしばみの繁みで」詩誌「ヒーメロス」掲載より

2015年11月23日 | ヒーメロス作品

榛(はしばみ)の繁みで

小林 稔

 

   一、死

 

榛(はしばみ)の繁みで身を隠しているものたち! 真昼時、通り抜けるたびにどこかで

子供たちの真鍮(しんちゅう)を打ち叩く音、火事を報せる消防車の遠くから響く警報に似た

それを耳にしているような思いがしてならなかったが、繁みに見出すのは淀ん

だ闇だけであったし、ずいぶん長く会っていない人たちの気配がそこから立ち

昇ってくるのであった。いやそれはぼくの思い違いでぼくのどこか頭の片隅か

らやってくるのかもしれない。それにしてもそこから立ち現われてくるのは、

不慮の事故や病気で亡くなったと知らされている友だちだ。もっともぼくが知

らないだけで、遠くで近くでもう死んでしまっている友だちがもっといるのか

もしれないのだ。

 

裸足で庭を駆けてきて縁側で西瓜を頬張(ほおば)っているのは誰? 

 

満水の川岸に辿りきれず溺れ死んだのは誰? 

 

別れて何十年も経ち、ぼくの記憶に居場所を落ち着けてしまった人たちには時

間が止められていて、ぼくだけが老いてしまっているから会うことが億劫(おっくう)にな

る。ある時ある場所を共有していたことは事実だから記憶は永遠に生きつづけ

ることになる。永遠だって? どんなに長く生きてもぼく自身があと三十年あ

るいは二十年しか生きられないというのに。それならむしろ書きとめるべきで

はないのか。しかし記述は再現でなく記述する時間を言葉で生きることになる

ので、新しい生が始まるともいえるのだ。

 

そうであるならば、ぼくの命あるかぎり亡者たちを(そのなかには生存者も

いるかもしれない!)登場させようではないか? 書物に永遠に(とりあえず

は)記されることになる。ぼくのこれまでの時間の鍵が解き明かされるかもし

れない。ぼくの経験から、犇(ひし)めき合っているたくさんの他者たちの声を救い出

し、新しい命の出産に立ち会おうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

   二、空

 

ぼくたちの日常を、そこでは人に好意を抱いたり憎しみに身を引き裂かれたりし

ているのだが、すべて包み込んでいる空があった。十歳にならないころ、ぼくは

麦をいちめんに刈り取った畑の真ん中で、雲雀(ひばり)の鳴き声を遠くに聞きながら眠り

についてしまった。気がついたときは辺りが薄暗くなり始めていた。畑の向こう

に民家が孤島のように点在する風景がまどろむ瞼にも見えたし、その先は黒い帯、

(おそらく庭木や森の樹木)が地平にコンパスをひろげて張りめぐらされていた。

 

帰ろうと立ち上がり歩くと、あのうろこ雲がぼくを追ってきた。空は地平の果て

にもつづいている。夕日に映えた空は血を滲(にじ)ませ、おまえを襲うぞという脅迫を

与えたし、空が落ちてきてのみ込まれてしまうというぼく自身の恐怖でもあった

のだ。誰も助けてくれる人がいない(その後、何度そう感じたことか!)、そう

した孤独をぼくがはじめて身をもって知ったときだった。

 

十四歳になったころ、庭から見上げる夜の空は静まりかえっていた。以前の、恐

怖を圧しつけた夕暮れの空ではなかった。この世の事象をすべて闇で蔽(おお)っている

空であった。昼と夜の世界があって二つの領域をぼくはこれから生きていかなけ

ればならないのだ。この空で煌(きら)めく星たちにも孤独というものがあると知ったの

であったが、そのとき空は孤独のもつ峻厳(しゅんげん)と勇気をぼくに教えてくれた。

 

現象の世界と永遠の世界を所有するぼくたち! じつは同じ一つの世界に過ぎな

いのではないか。というのも、現象は永遠のただなかにしか存在しないからだ。

昼の孤独を嘗(な)めつくすさなかにあの金色の光を煌めかせる強靭(きょうじん)さは、無数の傷口

(そう、騙(だま)しあい裏切られ、時に他者や自分を打ちのめしたいほど嫌悪するぼく

たち)が、それぞれの角度に光を放つ鉱石のそれではないのか。その光は、ぼく

たちの胸の深海の波が空を、鏡にして写す海面から超え出ようとする言葉たちだ。

 

copyright2015以心社・無断転載禁じます。

 

 

 

 

 

 

 

 


小林稔詩作品「返礼と祝福」・詩誌「へにあすま」掲載より

2015年11月23日 | ヒーメロス作品

返礼と祝福

             小 林  稔

 

 

私はとも綱を解かれ海洋に漂う一艘の舟。

寄る辺なき港を探りあぐねては

朝靄の起ちこめるなかに

揺れる波の動きに身を委ねるしかなく

耳を引きちぎる爆音がいく度も鳴り響き

穿たれた視界で事の経緯を知るすべもない。

時折激しい波が舟底を突き上げ

転覆かと命運に身をゆだねることもあったが

なんとか生きながらえている。

いまやそれほど遠方に航路を辿るべきではないと

人ひとは口々にいう、なぜなら

そこからたれひとり帰還した者はなく

虚無を私たちに与えただけだったから

至近の幸せを温めて夢の骨で礼賛すべきだという。

だが死者たちが退去した空より

とめどなく落下する無常の破片を

返礼もせず土にもどしてよいかと自問する。

遠方に言葉を訪うべきではなく

廻りきた命をみなで祝福すべきだ。

意味の地上で謎解きを迫られた私たちは

可能な限りわかりやすく読み解いていく。

地殻の転変におびえる日々の

波止場は言葉で氾濫し、

肉体に刻まれた記憶を反芻する。

いまはうしろに人影見えぬ孤絶の未路に

氷島を切り裂きつき進んでいく

なぜにおまえは誹謗と中傷のなかを。

 

舟よ、おまえの曳く航路を追う者はいない。

日常を即座にたたんで帆を揚げるには

強靭な刃を研ぎつつ隠しもつ凶暴さと

呪文を授ける杖の魔法が必要だと人はいう。

壊れやすいひとつの肉体が背理する

不確実なこの世界を仕留める執着と離脱。

ひとは己の死を知ることはできない

ならばおそれず舟を漕ぎ進めよう。

そこには私の生のすべてと汲みとられた

書物に記したすべての詩句がある。

他者と私をかろうじて貨幣がつなぐように

指の隙間からこぼれる砂の言葉を置こう

たとえ漂着した岸辺が私のたましひの

生誕の地であると知るとしても。

 

copyright2015以心社・無断転載禁じます。