ヒーメロス通信


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井筒俊彦『神秘哲学』再読(二)

2015年11月25日 | 日日随想

井筒俊彦『神秘哲学』再読(二)

小林稔

序章Ⅱ

 

 井筒にとって思想とは、「言語や風土や民族性を軸としてその周囲に現象し結晶する有機的にして流動的な実存的意味構造体として措定される」ものである。この言語意味構造体が後に「言語アラヤ識」として成育していく井筒哲学の最も重要なキーワードの一つである。このあとがきで井筒自ら説明するところを解読してみよう。あらゆる存在を認識するのはコトバであり、さまざまな言語体系によって哲学的思考がなされる。つまり言語の数だけ世界観があり、価値観がある。その内的世界は「言語アラヤ識的存在者」で満ち溢れている。したがって多種多様な言語意味単位で構成された、多種多様な「各言語文化組織」は、言語意味単位すなわち存在単位が「インターカルツュラリー」に展開し、やがて「人類の未来にひとつの集団的無意識界を構成する契機となるのではなかろうか」と井筒はいう。このような普遍的、融合的文化の成立は、無数の言語意味単位郡の有機的構造体として花開いた多種多様な文化の構造的分析と探求の彼方に求められるべきものであり、普遍的主体性が絶対無分節的なるものの自己分節的展開の秘境裡に探求されるであろうという。つまり、『意識と本質』で説明された、分節(Ⅰ)から「深層意識的事態」である無分節に至り、無「本質」的分節である分節(Ⅱ)の領域のことである。井筒が「修行道としての禅」の三角形として形象化したものであり、「深層意識的言語哲学」と呼んだものであった。ここでは「言語意味論的世界観学」と言い換えているが、主体的に学問にかかわり続けてきた、井筒の思想探求にとって不可欠な方法論にとどまっていることを告白している。

 

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