ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

アルチュール・ランボーにおける詩人像(四)・小林稔詩誌「ヒーメロス」最新31号掲載。

2015年11月05日 | ランボー研究

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十三)

詩誌「ヒーメロス」最新31号

小林 稔

 

 47 来るべき詩への視座

 アルチュール・ランボーにおける詩人像(四)

 

 『イリュミナシオン』の製作時期

 ランボーの『イリュミナシオン』の製作時期が、『地獄の季節』以前か以後かでいろいろ論議されてきたが、決定的な答えはないようだ。『地獄の季節』はランボーの詩作への決別の書として読まざるをえず、久しくそう思われてきたのだが、H・ド・ブイヤーヌ・ド・ラコストの、一九四九年『ランボーとイリュミナシオンの問題』で自筆研究の分析により、いくつかの詩篇が『地獄の季節』以後に書かれたという推測が可能になった。ボヌフォアは著書『ランボー』で、「一八七四年に写された詩があることは、それが同じ年に書かれたことを証明しない」という。後に書き直されたこともあり得るからである。しかし、彼は『青年時(若い日々)』に出てくる、フローベールの《聖アントニウスの誘惑》という語句と、その「三、二十歳」の小題から推測し、一八七四年以降に書かれた詩篇であると主張する。ラコストやボヌフォアの推測を受け入れるとすれば、「ランボーが詩に対して二回目の別れをしたと認めなければなるまい」とチャールズ・チャドウィックは述べている。さらに彼は『イリュミナシオン』が、「一八七二年の後半から一八七三年の前半にかけて書かれたものでないとすると、ランボーはこの時期に何も書かなかった」ことになるとして、この時期に『イリュミナシオン』を書いたのは議論の余地はないという。ヴェルレーヌは、『地獄の季節』の後に書いたと主張するが、ランボーが文学を棄てたのは自分のせいだという非難を逃れるための嘘であると、チャドウィックは主張した。さまざまな意見が成立可能だがいつまでも解決しない不毛な議論のように思えてならない。西脇順三郎は、『イリュミナシオン』と『地獄の季節』とは初めから一つの計画であったかも知れないと述べている。(一九七一年「ユリイカ」4月号ランボオ総特集)私もその可能性は大いにあると考えるが、推論の域を出ない。

 およそ詩人は、漠然としてではあるが、前もって詩集のテーマが存在し、作品を重ねるごとに明確化されていくのではないか。ランボーにおいては一八七一年の二通の「見者の手紙」以降、後期韻文詩を書いていたころは特にその傾向が強い。私たち読み手は、詩が書かれた状況や詩人の心境を、書かれた作品から読み取る場合が多く、両者をそのまま等しいものと考えがちであるが、事実は決してそうではない。特にランボーのような見者の詩法で詩作する場合は、意識から遠い深層から言葉を投げ出すのだ。それらの言葉を基底にしてさらに未知の領域に進んでいこうとする。つまり言葉は先駆けるものであり、事後において理性の秤に架けられるのである。『イリュミナシオン』の構想による詩篇を書き継ぎながらも、以前の言葉の限界や挫折を感じた経験が浮上し、『地獄の季節』として後に完成させたような文学の断念をテーマにした詩集が脳裏を過ったと考えることも十分可能だ。ボヌフォアも西脇氏のように、作家は同じ数か月の間に二つの対立する直観にしたがうこともよくあることだ。つまり二つの形式上の実験を同時に行うこと、『地獄の季節』と同時に『イリュミナシオン』のある数節を書いたりすることができるのだという。詩集の構成段階ではあくまで目論見であり決定されてはいない。したがって詩人は一冊の詩集を完成させることでそれ以前の自分を変革したと言えるのだ。そのようにして次の作品集を目指していくのであるから、かつての作品とは決別しなければならない。『イリュミナシオン』は『地獄の季節』の前後に書かれたものであるというのが私の考えであり、したがって文学の断念は二度あったことになる。二度目の断念は文学のテーマにはならず、断念の理由はエクリチュールと本質的には関係しないと考えるしかないであろう。

 

『イリュミナシオン』の絵画的構成

 詩集名は中世の写本やミサ典書に描かれた極彩色の挿絵と言われている。『イリュミナシオン』のいくつかの詩篇では絵画的構成が意識的になされているが、意味を伝えようとするのではなく、生々しいタブローとしてそのまま定着させていると、宇佐美斉氏は『ランボー私註』で述べている。彼は空間がどのような特徴をもって構成されているかを次のように分析している。

 第一に「地球上のありとあらゆる地域の名前が見出される」ことである。ヨーロッパ大陸、アラビア半島、アフリカ大陸、中国、日本、アメリカ、北極など。例えば「岬」でh、世界中の半島や岬が同一空間の中に納められ、混合され、絢爛たるヴィジオンを作る。さらに「時の流れそのものをも超越しまった一瞬のあいだの出来事、もしくは光景のうちに」描かれている。

 

 険しく起伏する小道から小道。丘を蔽いつくす、えにしだ。大気はじっとしている。

ああなんて遠くに鳥の声、泉の音! 進んでいけばこの世の涯しかないだろう。

(『イリュミナシオン』「少年の日」Ⅳ拙訳)

 

 極限、終境、極地など、ランボーは早くから極限の観念に取りつかれていたと宇佐美氏はいう。

 

 それは彼女だ、死んだ女の子だ、薔薇の茂みの後ろに。―亡くなった若い母親が階

段を降りてくる。―いとこの四輪車が砂の上で軋る。―弟だ―(インドに行ってい

るのだが!)―あそこ夕日の手前、カーネーションの咲く草地の上に。ニオイアラ

セイトウの茂る城壁のなかに垂直に立つ埋葬された老人たち。(『イリュミナシオン』「少年の日」Ⅱ拙訳)

 

インドにいるはずの人や、死んでしまったはずの人が同一空間に同居している、つまり生者と死者、現在と過去、此処と彼処とが入り乱れ、日常的な時間と空間の限定を完全に脱しきった夢幻の世界が描かれていることを宇佐美氏は指摘する。時間と空間の無際限な広がりの中を、縦横無尽に、目まぐるしい速度でかけめぐる時のダイナミズムが『イリュミナシオン』の魅力の一つだと宇佐美氏は主張している。次に現実の風景から出発しながら、ランボー自身の精神の働きによって作り変えていく詩篇を解説する。

 

 灰色がかった水晶の空。橋の奇妙なデッサン、こちらのまっすぐな橋、あちらの

反り返った橋、また他の橋は、最初の橋の上に角度を作って斜めに降りてくる。

これらの図形は、運河の明るく照らされた他の円型の中に入れ替わり立ち代わり

姿を見せている。しかし、すべての橋はほんとうに長く、軽やかなので円屋根を

背負った両岸はますます低くなり、小さくなっていく。これらの橋にはあばら家

を載せたものもあれば、旗竿や信号、壊れやすい欄干を支えているものもある。

 (『イリュミナシオン』「橋」部分、拙訳)

 

ロンドンの橋を描いたと言われるこの詩篇には、宇佐美氏によると、「視点移動によるデフォルマシオン」の手法と呼ばれるものがあるという。ある特定の視点から見える光景を描くのではなく、各視点ごとの異なった光景を同一画面に繋ぎ合わせたり重ね合わせたりして描く手法でり、遠近感がなくなったり、逆になったりして、絵の中のものが動き出しそうに見えたりするという。いずれにしても造形美術の世界で用いられる手法である。

 

次に宇佐美氏は「海景」という詩篇に言及している。

 

 銀と銅の車がー

 鋼と銀の舳先がー

 水の泡を打ち

 茨の株を舞い上げる。

荒れた陸地の潮流と

引き潮の巨大な轍が

東の方へ輪を描いて流れていく

森の列柱の方へ

埠頭の柱の方へ

その角は光の渦巻きと衝突する

(『イリュミナシオン』「海景」全編 拙訳)

 

 ここでは海の光景と陸地の光景が混然と入り乱れ、一つの生の印象を形づくっているという。プルーストの長編小説『失われた時を求めて』に登場する、モネをモデルにしたというエルスチールという画家の絵画の特徴を、作家自身が説明する言葉を宇佐美氏は引用して解釈する。「物を示す名は、私たちの真の印象とは無縁な理知の概念に呼応するのであって、理知は、その概念に合致しないものをすべて、私たちの印象から覗き去ってしまうのである」から、「表現された事物のメタモルフォーズ」とは、理知の概念を忘れ去り、真の印象のみで再創造することを意味するのであろう、つまりランボーのこの詩篇も、理知が介入する以前の「生のままの印象」を描いたものであると宇佐美氏は分析するのである。「陸と海の境界線を取り外し、視覚がもたらす第一印象をまず尊重しようとしたのだというのだ。

 その他、遠近法の観念を取り払うことによる超現実空間の出現を、「大洪水の後」や「都市Ⅰ」に宇佐美氏は読み取っている。印象派の画家たちが自分自身の内面の真実を重視し、自然の風景を独自の見方で再創造しようとしたことから始まり、立体派において極端にまで推し進められ、やがてダダやシュルレアリズムを誘発したと宇佐美氏は指摘する。ランボーも印象派の画家たちとは同時代人であり、高踏派の古典的な造型空間を棄て新しい世界を作り出そうとしたことと無関係ではなく、「精神によって再創造された現実」を描き出そうとしたことが、ロートレアモンと並んで、シュルレアリズムの先駆者と見なされるゆえんであり、「自己の精神の働きにしたがって自然に何らかの積極的な意味を付け加え、大胆にも新しい自然を作り出そうとさえした」と宇佐美氏はいう。

ランボーの詩篇は難解だと言われる。宇佐美氏によれば、「その難解さは多くの精神と激突することによって現実がこうむった著しい変容に起因するのであろう」という。読む人の理性が欠如しているゆえの難解さではなく逆に読み手が理性や常識を捨てきれないゆえの難しさなのだ。

『イリュミナシオン』の多くの詩篇は、ランボーが主張した「見者の詩法」の実践である。『地獄の季節』で自ら展開してみせた後期韻文詩への言及からは、文学への真の断念を読み取ることはできないと私は思う。ランボーはそれ以前からすでに『イリュミナシオン』に取りかかっていたし、その後も書きつづけていたのである。

 

「ランボーの声をよみがえらせよ!」

 先述したように、ボヌフォアは『イリュミナシオン』の少なくとも二、三編は『地獄の季節』の後で書かれたものであると考えている。しかし『地獄の季節』以前に書かれたものが一編でもあるという物的証拠となるようなものはなにもないという。それはとうぜん『地獄の季節』がランボーのなされた詩の全面的な放棄と考えているからである。堂々巡りに終止符を打つために私はこの論考で右のように結論付けたのである。ボヌフォアは『ランボー』の冒頭で、「ランボーを理解するために、ランボーを読もうではないか。彼ほど情熱をもって、自分を知ること、自分を定義すること、自分をつくりかえ自己認識によって他の人間になろうとすることにつとめた作家というものは、数多くいたわけではないのだから、彼のそうした探求を真に受けることにしようではないか、そもそもこの探求が、この上もなく真剣なものだったのだから」と述べた。このようなボヌフォアにしてみれば、『イリュミナシオン』の各詩篇を読み取るには、『地獄の季節』につづく十五ないし十八か月の時期のランボーの行動や思考が不明瞭であることは、「暗がりの中をさぐっていかなければならない」というものであった。

 私は『イリュミナシオン』のいくつかの詩篇と出逢い詩を書き始めたのであったが、その時普通の意味ですべての意味を理解して感動したのではなかった。ランボーの詩句に出会うたびに、読むことを拒絶されるような気持に満たされたのである。読むことから一刻も早く立ち去り、自ら詩を書く行為に駆り立てられたのである、武器を手にして闘いに駆り立てられる兵士のように。以後、私の人生は詩を書くことを核にして生きられたのである。それだけの刺激がランボーの詩にはあったということであろう。そして四十年以上たった現在、ランボーの思考の意味を文学全体の視野から解き明かそうとしているのである。ランボーの詳細な人生の足跡をたどる必要があるのか疑問である。ランボーの詩は経験を忠実に表現したものではなく、経験から立ち上がるポエジーを追跡していったものだから。「思想の開花に出会う」ことが詩作の意義であった。

 しかし、ここではランボーの詩を解体しようとするボヌフォアの跡を追ってみよう。

 

 おお、神聖な土地の巨大な通り、寺院のテラス! 箴言をおれに教えてくれた

バラモンの僧侶はどうなった? あの時、あそこにいた老婆たちさえ今も眼に

浮かぶ!(『イリュミナシオン』Vies「生活Ⅰ」拙訳)

 

 この手厳しい田舎の地味な空気がおそろしく活発におれの残忍な懐疑を養う。

しかし、この懐疑は今後、使うことができず、その上新しい困難に身を捧げて

いるのだから、―おれは、危険極まりない狂人になるのを待っている。

(『イリュミナシオン』Vies「生活」Ⅱ拙訳)

 

 今、さまざまな瞬間の永遠の屈折と数学の無限が、奇妙な子ども時代や巨大な

情愛に敬われて、おれがすべての市民的な成功を受けるこの世界でおれを駆り

立てる。―おれは、当然にしろ、力にしろ、まったく思いがけない論理の、あ

る戦いを夢見ている。音楽の一小節同様に簡単なことだ。(『イリュミナシオン』Guerre「戦い」拙訳)

 

鎮められぬ記憶、期待と挫折とのあいだで分け合われている曖昧な「今」についての、「固定観念」、無頓着にも不明瞭な概念を、右の詩篇にボヌフォアは読み取っている。

 

  再び構成された声。合唱やオーケストラの全エネルギーの兄弟のような親愛の目

覚めと瞬時の適用。おれたちの感覚を解き放つ比類のない機会! 

  売り出しだ、どんな種族も、どんな世界も、どんな性も、血統も逸脱した、掛け

値なしの肉体! それぞれの足どりに迸る豊かさ! 検査なしのダイアモンドの大売

り出しだ!

  売り出しだ、大衆のための無政府状態、高級な愛好家のための抑えきれない満足、

信者と恋人たちのための惨たらしい死。(『イリュミナシオン』Solde「売り出し」拙訳)

 

希望されたものが、夜によって運び去られる前の一瞬のかがやきを見せ、「声」や「目覚め」という語によって、人間の本性のいわば交響楽的な成就を、人間の本質の中にふくまれた潜在的可能性の、荒々しいが、リズムをもって、首尾一貫して、踊りを踊るような解放を、指し示しているのではないだろうかとボヌフォアは解釈する。そしてランボーの、このうえないエネルギーと発明の精神を見るには、フランス語で書かれた最も美しい詩、「Genie」を読みさえすればよいとボヌフォアは言うのだ。「精霊」とも「守護神」とも「天才」とも訳すことが可能である。

「おれたちの感覚を解き放つ比類のない機会」は、「精霊」の中で言われた「彼の肉体! 夢に見た解放…」(「精霊」)であり、「精霊」は耳目を聳動させんばかりの直観の行為であり、ひとつの思案がそこに成就される、暗闇のないヴィジョンの瞬間であるとボヌフォアはいう。

「精霊」は、法悦の幸福でとぎれとぎれな熱烈さをもって、一人の存在、「現在」であると同時に、「未来」であり、現実の空間を通っての無限の「旅」であるがゆえに、もはや限界をも場所をも時間的不具性をも知ることのない一人の存在を、そのすみやかな通過のうちに、それがちらと垣間見られもするが消えることもできるような瞬間において、示しているとボヌフォアは言い、この存在は「永遠」であるという。「一瞬ごとに、われとわが身の痕跡を、即座の自由と所有のうちに消失して、かつての「我Je」の彼方に絶対的な「彼Il」の思考の幸福をとりもどすような一人の存在」。「理性」「節度」「愛される機械」はギリシア思想の世界像を思わせるとボヌフォアはいう。善は節度に同一なものとして、世界の魂は天体の永遠で厳密な機械仕掛けに、愛は感覚界の深部においての、数の無限の合奏と普遍的理性との発見に同一なものとして啓示されているからだという。

 

おまえの指が太鼓を一打ちすれば、すべての音が解き放たれ、新しい調和が始まる。

おまえが一歩踏み出せば、新しい人間たちの招集、彼らの前進。

おまえがあちらを向けば、新しい愛! こちらに向けば、新しい愛!

「おれたちの運命を変え、災いをふるいにかけよ、手はじめに時間おいうものを」

と、この子どもたちがおまえに歌う。「おれたちの運命と祈願の実体を築け」とお

まえは頼まれる。

おまえはいつでもやって来た、どこへでも立ち去るだろう。

(『イリュミナシオン』Á une raison「ある理性に」拙訳)

 

 愛とは、規則正しい運動において、太陽と天体を動かす魂、「宿命的な諸資質に愛される機械」ではないのかとボヌフォアは主張し、法というものが、ランボーがかつて苦しんだ道徳的強制、善と悪の娘である道徳的強制ではなくなり、秩序の反映として節度として存在の理解可能な本質への参加なのであることが表明されていると解釈している。

 

「四つのランボー像」

 プルースト全集の完全個人訳を完遂したフランス文学研究者、井上究一郎氏の「四つのランボー像」(『アルチュール・ランボーの「美しい存在」』に収録)を読み、他のランボー評論家にはない視点を探ってみることにしよう。「四つのランボー像」とは「田舎者ランボー」「透視者ランボー」「ハシッシュ服用者ランボー」「天才ランボー」とされる論考である。

 

まず一つ目は「田舎者ランボー」の像。

十九世紀芸術家の気質、生き方、表現に、肉感的と官能的から暗示されるニュアンスを感じとらなければならないと井上氏はいう。ボードレールの友人であり、彼の肖像画を描いたクールベとランボーを比較し、両者に共通する田舎者気質を取り出す。「肉感的」とは「欲望の原始形態に直入して感覚的合一をとげること」であるのに対して、「官能的」とは「むしろ欲望の形而上的喚起のなかに幻想的快楽を夢みることであるという。もちろんクールベとランボーは前者である。「みずみずしい肉感を通して対象の写実を山野の精霊の呪縛力でからめとる魔術師の肖像をランボーにも認めている。「野生、朴訥、飄々とした歩きぶり、とりわけ眼の美しさ」を特徴とするランボー。ドラエー=カザルス未発表資料によれば、「背丈は少なくとも一メートル八十。顔の輪郭は楕円形、目鼻立ちは繊細ではなく、鼻は少し上反り、唇は厚く、あごは角ばっている。頬はまるくばら色で、腕は長い。田舎者だが、ひどく粗野という感じではなかった。その眼は、真剣になったときは、すべてを擲つ覚悟ができているという勇敢な表情になり、彼が笑ったときは、あどけない子供のような、なんともいえないやさしい表情になる」(筆者短縮)。ヴェルレ―ヌの妻が記憶するのは「青くて美しい眼、しかしそれは陰険な表情をたたえていた」という像であるという。官能の詩人ボードレールと野生の肉感を身につけたランボーの詩句にもそれぞれの欲望の違いが見られるという。『地獄の季節』の「言葉の錬金術」はボードレールの「共感覚的詩法」を強く意識したものであった。ここで見えてくるのは、ボードレールの正統の子と意識していたパリの詩人たちの存在であり、その中の一人にヴェルレーヌがいたという。彼の評論に『シャルル・ボードレール』(一八六五年)があり、第一作品集『サチュルニアン詩集』(一八六七年)がある。ちなみに一八七〇年、十五歳のランボーの前に姿を現したのが、文学の熱を注いだ教師イザンバール。その七月、プロシアに宣戦布告、ランボーはベルギー経由でパリに着く。逮捕、投獄。一八七一年、故郷シャルルヴィルがドイツ軍に占拠され再びパリに発つ。三月、徒歩でシャルルヴィルに帰郷。その八日後にパリ・コミューン成立。ランボーはコミューンの反乱軍に参加したと言われている。このころのランボーの詩には反抗的レアリズムが開花しているという。ヴェルレーヌの『サチュルニアン詩集』には目立たないような反抗的リアリズムに通じるものが数篇あり、「反宗教をひそかにつつみ隠す虚偽と羞恥」をランボーは見破ったであろうと井上氏は指摘し、二人の不幸な出会いの原因がすでにここにあったという。背後にプロシア兵をひかえながら、のんびりとした無気力な、「坐るひま」をもつブルジョワたち。ランボーは初期韻文詩『坐ったやつら』でそのような男たちに対する嫌悪を露わにしている。

 

二番目に「透視者ランボー」の像。

ランボーが己の詩を開花させるにはパリ・コミューンに参加し、その現実を肌身で感じる必要があったと井上氏はいう。なぜならランボーはイザンバールとドメニーへの手紙で、支援部隊に加わり兵隊たちに性的対象にされたことを基底にしたと思われる詩、『しごかれた心』『パリの軍歌』『道化の心』を同封し、「透視者の手紙」(見者の手紙)を送ったが、「私はいま私の思想の開花に直面しているのです」と書いているからである。その「思想」はコミューンという「酔いどれ船」の男たちの体臭から革命を肉感として体験し、シャルルヴィルに帰ったランボーは、「私とは一人の他者」という言葉になって自らを透視者(見者)に仕立てようと強く意識するのである。

井上氏は、ランボーに萌芽した「透視者」の考えの経路を辿っているが、それによるとボードレールの死後に発表された『悪の華』第三版のゴーチエの「序文」を指摘する。ゴーチエはボードレールをヴォワイアンと評していることを挙げている。ゴーチエはボードレールの「コレスポンダンス」(万物照応)と「宇宙の諸関係に対する神秘な直観」、それに「予測されない言葉のアナロジー、類推を発見したこと」を賞賛しているという。先述したように、ヴェルレーヌは一八六五年にすでに『ボードレール論』で誰よりも早く『悪の華』の価値を認めていた。さらに井上氏は、「詩人とは真に火を盗む者であります」と記すランボーの言葉から、ヴォワイアン(見者)という言葉は、ユゴーの『観想詩集』の中の詩「われ行かん」で「空から永遠の火を奪い、神を盗み、裸身のまま、おそるべき未知の幕屋にはいる」から学んだのであろうと推測する。その他、ネルヴァルの『オーレリア』やルコント・ド・リールやフランソワ・コペーにもヴォワイアンという言葉は出てくるが、ランボーの「透視者」(見者)はそれらを越えたものだという。それは「あらゆる感覚の、長い時間をかけた、大がかりな、熟慮された錯乱を通してヴォワイアンになる」ことであり、「未知なるものに達し、その狂気の状態で、自分の視線の識別を失うに至ったとき、そのときはじめて自分の視像」を見ることである。この「未知なるもの」とはボードレールの『悪の華』の最後の詩篇「旅」の最後の呼びかけから発した語であり、「詩は行動を韻律化するものではなく、行動に先駆するもの」というランボーの言葉がその呼びかけに答えるものと言えるだろうという。だが、「詩人たちの王、真の神」とボードレールを讃えるものの、「ボードレールはあまりにも芸術的な環境に生き」、「形式もけち臭いもの」であり、「未知なるものを発明するには新しい形式を要求される」とランボーは批判し、ボードレールの文体にはない散文詩集、『地獄の季節』と『イリュミナシオン』を作り、ボードレールを凌駕したと井上氏はいう。

 

おお 死よ、老いた船長よ、錨を揚げる時がきた!

おれたちはこの国に飽き飽きしているのだ、おお 死よ! 出航だ。

空と海が墨汁のように黒いとはいえ、

おれたちの心はおまえも知るように光明に満ち溢れている!

 

おまえの毒をおれたちに注いでくれ、おれたちに力を取り戻させるために。

その火焔におれたちは脳髄を烈しく焼かれ、おれたちは望んでいる

深淵の底に身を投げることを、地獄であろうと天国であろうとどこでもよい

未知なるものの奥底に、新しさを見つけ出すために!

              (ボードレール『悪の華』「旅」より拙訳)

 

「ボードレールのこの未知なものへの旅のなかに、ランボーの「酔いどれ船」や「母音」の萌芽を読み取ることができると井上氏は指摘する。(「旅」の二に「酔いどれの船乗り」という言葉がある)「未知なるものの奥底に新しいものを見つけ出す」がボードレールから汲んだ第一の源泉であるとすれば、第二の源泉は他者の世界であるという。ボードレールがポーから発想した散文詩、『パリの憂鬱』の「群衆」を井上氏は挙げている。彼は咀嚼して要約しているが、私はさらに要約して述べてみよう。群衆と孤独という言葉は、才能豊かな詩人には、自分であり他者であるという特権を持つことができる、普遍的に交流できることを意味する。それは「群衆と容易に婚姻するものの熱狂的な快楽、行きずりの未知のものに詩と慈愛を捧げる魂の悪魔的な酒宴、魂の聖なる売淫」であり、これに比べれば人間愛は小さなことである。「植民地の建設者、民衆の牧人、この世の果てをさすらう伝道師は」、この神秘的陶酔を知っている。このような考えを伝える詩のなかに、ランボーの詩と人生の方向が封じ込められていると井上氏はいうのである。

 これら二つのボードレールから汲む源泉をもつランボーが、パリのブルジョワ詩人でしかないヴェルレーヌに「酔いどれ船」を携え会いに来たのである。

 

三番目は「ハシッシュ服用者ランボー」の像。

 ヴェルレーヌはパリ・コミューンを支持しながら「流血の一週間」に脅え卑怯な態度に出たこと、政府の極左アナーキスト狩りに密告を怖れ行方をくらませ、転向者の生活おさまったことは同志への裏切り行為として彼の良心に深い傷を残したであろうと井上氏はいう。『敗北者たち』という詩集で書いたように「生活は勝ち、理想は死んだ」のである。「サチュルニアンと反抗者の影は合体し、いっそう深いオプセッシオンになって沈んだ」。パーンの神が死んだとしても、ジェニー(精霊、天才)は、ミシュレが言うようにどこかの田舎の野生の子のなかにひそんでいるかもしれないとすれば、ヴェルレーヌは滅んだ自分の夢が他者のジェニーのなかに宿ることもできるという幻影を抱いたであろうという。そのときランボーが現われたというのである。ヴェルレーヌの詩集、『愛の罪』や『叡智』においてランボーの幻影を描いているが、ヴェルレーヌの詩が美しいのはまれにある誠実な瞬間が慚愧の歌になっていることであろうと井上氏は指摘する。

 ランボーがヴェルレーヌとハシッシュを飲用していたのは疑いえないと井上氏はボヌフォアと同様の見解を持つ。井上氏は、その時期を境に文体が著しく詩的時間,詩的空間を広げていることが理由の一つであるという。『イリュミナシオン』の製作時期を、一八七八年にまで延長してもいいのではないかと主張しているアントワーヌ・アダンは、ランボーの「陶酔の午前」は、最初のハシュシェ体験の直後に書いているとする。「見者の詩法」の実践であるという。自己の潜在力を意志的、方法的に開発し、自己のなかに「さまざまの視線」を挑発し、自己の肉体から前代未聞の快楽を引き出すことである。アダンの考えはボヌフォアに引き継がれ、そのランボーの服用の痕跡を詳細に解き明かしているが、ここでは割愛しよう。とにかくゴーチエの麻薬三部作があり、ボードレールには『ハシッシュの詩』があり、ミシュレの『魔女』の序章、「毒草をつかさどる魔女がかつては民衆のための唯一の医師であった」という記述を、井上氏は指摘する。魔女は「よい女」「美しい女」と呼ばれ、悪が善であり幸福で美であるような世界が異教の詩として存在するということ、そんな要素が民衆の、劣等の、賎しい血のどこかに潜んでいるということであり、ランボ―の散文詩集の詩学にうかがわれると井上氏はいう。

 

四つ目は「天才ランボー」の像

 

Lautomne deja!―Mais pourquoi regretter un eternal soleil,si

nous sommes engages à la decouverte de la clarte deivine,loin des

gens qui meurent sur les saison.

すでに秋! だがなぜ永遠の太陽を惜しむのか、神聖な光の発見に

おれたちが携わっているのなら、―

季節のまにまに死に行く人々から遠く離れて。

Lautomne.Notre barque elevee dans les brumes immobiles

Tourney vers le port de la misere,la cite enorm au ciel tache

de feu et de boue.

秋。不動の霧のなかにそびえ立つ船は、火と泥に染みた空の下、

悲惨の港へ、巨大な都市へ舵を切る。

              (『地獄の季節』「別れ」の冒頭 拙訳)

 

井上氏によると、永遠の太陽を惜しむのがボードレールであり、ゴーチエである。

 

Jai cree toutes les fetes,tous les triomphes tous les drames.

Jai esseye dinventer de nouvelles fleurs,de nouveaux astres

de nouvelles chairs de nouvelles langues.

 

 おれはあらゆる祝祭を、勝利を、劇を創った。おれは新しい花を、

新しい星を、新しい肉を、新しい言葉を発明しようと試みた。おれ

は超自然的な力を獲得したと信じていた。なんということだ!おれ

はおれの想像力と思い出を地面に埋めなければならない! 芸術家

と語り手のすばらしい栄光は奪われて! (「別れ」拙訳)

 

Moi! moi qui me suis dit mage ou ange,dispense de toute morale,

Je suis rendu au sol,avec un dvoir à chercher,et la realite rugueuse

à etreindre! Paysan!

おれが! すべての道徳を免除され、道士とも天使とも称したこの

おれが、求めるべき義務と、抱きしめるべきざらざらした現実と共

に地面に返される! 百姓だ!    (「別れ」拙訳)

 

義務と現実に戻されるランボー。

 

Suis je trompe? la charite serait elle sæur de la mort,pour moi?

Enfin,je demonderai pardon pour metre nourri de mensonge.

Et allons.

Mais pas une main amie! et ou puiser le secours?

おれは裏切られているのか? 慈愛はおれにとっては死の姉妹なのか?

とにかく、嘘に耽ったおれは許しを乞おう。そして出かけよう。

だが友の手などありはしない、どこに救いを求めることができようか?

 

Il faut etre absolumont modern.

Point de cantiques:tenir le pa gangne. Dure nuit! le sang seche fume

  sur ma face,et je nai rien derrier moi,que cet horrible arbrisseau!…

Le combat spiritual est aussi brutal que la bataille dhommes;mais la

  vision de la justice est le plaisir de Dieu seul!

絶対に近代的でなければならない。

聖歌はない。勝ち取った歩みを保ちつづけよう。耐えがたいな夜!

乾いた血がおれの顔の上で煙っている。そして、おれの背にはこの

恐ろしい灌木しかない。…精神の闘いは、人間たちの戦いと同様に

烈しいものなのだ。だが、正義の光景はただ神だけの楽しみだ。(「別れ」拙訳)

 

Cependant cest la veille. Recevons tous les influx de vigueuur et

de tendress reelle. Et à laurore,armes dune ardente patience,nous

entrerons aux splendides villes.

ところで前夜だ。みなぎるすべての生気と真の情愛を受け入れよ

うではないか。そして明け方に、燃える忍耐で武装して、光り輝

く街々におれたちは入っていくだろう。 (「別れ」拙訳)

 

 井上氏も指摘するように、「nous」(おれたち)はかつての地獄の夫婦ではなく、精神の闘いに就こうとする、荒々しい男たちを指す。このランボーの言葉に励まされ立ち上がる一人ひとりの「私」、「彼と共に生を変えた私」である。

 

Que parlais je de main amie! Un bel avantage,cest que je puis rire

Des vieilles amours mensongeres,et frapper de honte ces couples

menteurs,― jai vu lenfer des femmes la ba;―et il me sera loisible

de posseder la verite dans une ame et un corps.

おれは友の手について何を話していたのか! ひとつ良いことがある、

偽りの昔の愛を笑い、あの嘘つきの夫婦に恥辱の鞭を放つことができ

る。下方に女たちの地獄を見た。―やがておれは、真理を一つの魂と

一つの肉体の中に所有することができるだろう。(「「別れ」拙訳)

 

予告された真理は『イリュミナシオン』で示されることになる。百姓になったランボーは再び家を開け放つのだ。

 

Au bois il y a un oiseau,son chant vous arrete et vous fait rougir.

Il y a une horloge qui ne sonne pas.

Il y a une fondriere avec un nid de betes blanches.

Il y a une cathedrale qui descend et un lac qui monte.

Il y a une petite voiture abandonee dans le taillis,ou qui descend le sentier

en courant,enrubannee.

森には一羽の鳥がいて、その歌があなたの歩みを止め、顔を赤くさせる。

時を打たない時計がある。

白い生き物が巣をつくる沼がある。

降る大聖堂、昇る湖がある。

雑木林に見捨てられた小さな車がある。そう思っている、とリボンで飾られ

て、小道を走りながら降りていく。

                                (『イリュミナシオン』「少年の日」拙訳)

 

ランボーはミシュレが『民衆』で出現を促したジェニー(天才)に一致するものをもっていたと井上氏はいう。ボードレールもまた、「少年の小さな悲しみ、小さな喜び、それが絶妙の感受性によって途方もなく大きなものになり、やがて大人のなかで、いつもまにか、一つの芸術作品になる」(ボードレール『阿片吸飲者』井上久一郎訳)と予感していた。ボードレール以降の時代には、ランボーのような天才の登場を待ち望む土壌が熟成していたと言えよう。しかしランボーは、ボードレールをあまりにも芸術的であると誹謗したのではなかったか。言葉は絶えず事物を裏切る。言葉は今を生きる現象世界を引き裂くだけだ。しかしランボーよ、言葉から逃げることは不可能なのだ。

一八七五年すでに、ランボーの中の意識的人間は、「人生を変える」ことを断念していた、とボヌフォアはいう。彼によると、「人生を変えようと欲することは、普遍的なるものを動かすこと、証言すること、万人共通の意識の前へと自ら進み出ることである」。それを断念することは、「一つの運命の中に閉じこもることであり、その運命の私的な性格を人に尊重してもらう権利がある」ことを意味する。したがって断念したものの後を追いかけまわすことは不謹慎であるとボヌフォアはいうのだ。私に言わせれば興味を持てないということになる。一方は詩を放棄し、一方は詩を継続しているのだから。ボヌフォアはシャルルヴィルのランボーの墓前で次のようにいう。「この墓は、ひとつの生命が人生から盗まれたこと、太陽の息子の自由を商人と労働者のひどい境遇と交換しなければならなかったことを確認しうるものである。一般に、自由とは可能性の間の選択であり、ヘーゲルのいうように、「自由とは必然の認識である」。偶然の選択をしたと考えることは好まないゆえに、客観的認識、つまり合理主義に価値を与える。しかしランボーの主張する自由は全く異なる。最善のものを見分けるために可能性を考えるのではなく、欲望を絶対の中に据えたのだとボヌフォアは主張する。「相対的な満足よりも自らのきびしい要請の方を選んだ」のである。こうした思考は、与えられてあるものをも非難する勇気をもち、ありとあらゆる欲求不満、ありとあらゆる悲惨をわが身に引き受け、ひとつの絶対的証言を目指す。ランボーのさまざまな詩句が思い出されるであろう。ボヌフォアは人間的なものの名誉とさえいい、存在を目覚めさせる偉大な拒否において、客観的思考が閉じ込めようとしている関係を、質転換させようとするものであるという。「このランボーの実践を敗北と見なすことができるだろうか」とボヌフォアは問いかける。

 ランボーが愛と呼んだ活動と信頼が、今日において「不在」であるような「真の生活」に参加することがよいと直感し、「我われの実存は、その本質においてごまかされている」と考えたであろうとボヌフォアは指摘する。ランボーは外的世界を解体することによって、「火を盗む者」(プロメテウス)こそが詩人であると考えたのであった。ボヌフォアは、『イリュミナシオン』は、ひとつの挫折の確認であるという。しかし、ランボーの生は我われにとってひとつの方舟となり、矜持が生き延びることを得たともいう。彼が告発した状況、それは「科学とキリスト教との流刑の力の合算から生まれた生の危機」であったが、現代人もまた同様の状況に依然としてあり、ランボーのような無垢な人間から学ぶことが多くあるとボヌフォアは指摘する。

ランボーの闘いは生を道徳的桎梏から解放したが、それはたた、悲劇的なものに由来する「新たな不幸、ニーチェが「よろこばしい恍惚」として描いたあれらの不幸へと、生を開くためなのである。つまり人間の疎外を証言し、道徳的悲惨から絶対との悲劇的対決へと向かう人間を促すところに、ランボーの偉大さがあるとボヌフォアは主張する。

 

  Il nous a connus tous et nous a tous aimes.Sachons,cette nuit dhiver,

de cap en cap,du pole tumultueux au chateau,de la foule à la plage,

de regards en regards,forces et sentiments las,le heler et le voir,et

renvoyer,et sous les marees et au haut des deserts de neige,suivre

ses vues,ses souffles,son corps,son jour.

彼はおれたちのすべてを知り、おれたちすべてを愛した。知ろうじゃないか、こ

の冬の夜、岬から岬へ、荒れ狂う極地から城へ、群衆から川岸へ、眼差しから眼

差しへ、力も感覚も疲れ果て、彼を呼び彼を見て、彼を送り返し、潮流の下を、

雪の砂漠の天辺へ、彼の眼力、彼の吐息、彼の肉体、彼の日に従って行くことを。

                          (『イリュミナシオン』「精霊〈天才〉拙訳」

 

「存在を目覚めさせる偉大な拒否」とボヌフォアは言った。絶対的な自由を欲望したランボーに挫折は必然であった。だが唯一、ポエジーにおいてそれは可能である。彼はそれが失敗であったと認め、詩を放棄したのだろうか。井上氏はいう、「それ(挫折)を確認したランボーと、確認するに至るまで渾身の力をふりしぼって壁と闘っていた精霊とは別物である」と。壁とは、ブルジョワジーとパリ・コミューンであった。

ランボーの詩句を目にする「私=少年」の中の「精霊」は、これからも「私」を詩作に、「書く」ことによって生を変え世界を変革していこうとする「エクリチュール」の実践に駆り立てるであろう。「ぼくは思想の開花に出会っている」というランボーの言葉にすべては要約されている。「彼Il」は、ランボーが自ら自分に与えた詩人像なのである。

 

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