妹が連休に京都にいってたののお土産
出町柳にある出町ふたばの豆大福。
ここ、本店の前って行列ができていて、私も並んだことあるんだけど、その後に四条の大丸に行ったら売っていてがっかりした思い出があります。
餡は京都らしいやさしい甘さの漉し餡なんだけど、外側の豆が硬めで主張してるのよね。
食べなれた岡埜栄泉(神谷町の方。上野じゃない)の豆大福が一番好きかな・・・
二条若狭屋
家喜芋(やきいも)
なんか有名なお菓子らしいんだけど、私的にはイマイチ。外側は小麦粉の皮。私が頂いたのは白餡。母が手にしたのは漉し餡でした。6個詰めだったのだけど、餡はそれぞれ違うものが入っているようです。
二条若狭屋って竹筒の水羊羹がおいしい記憶しかありません・・・
ふく栗
こっちは母へのお土産。写真とれば、と渡されました・・・中は栗、栗餡、漉し餡の層、一番上はお羊羹でコーティングしてあって艶がでています。
火曜日の授業は調理科学と自然人類学。
調理科学では味覚の話が興味深かったです。
3ヶ月の胎児で既に味蕾ができていて、胎児のときから母親の食べる食べ物の影響を分子レベルで受ける素地があるんだそうです。
生後数時間の新生児で実験したところ、甘味、旨味には心地良さそうな顔を、酸味、苦味には不快の表情を示すのに、塩味に対しては生後100日~120日までは殆ど反応しないんだそうです。これはミネラルが十分足りているからで、その後も薄味で十分とのこと(この辺は子育て経験者、現役だと詳しいだろうね~)。
離乳食も初めての経験なので好き、嫌いを感じる以前に吐き出してしまうこともあるが、タイミングなので色々なものを数回に渡って試すことが必要なんだそうです。
離乳食期をきちんと過ごすと、その後の食への対応が違うんだそうです。
ちなみに市販されているだしの素。箱に書かれているメーカー指定の「使用量」だとグルタミン酸の量は150mg/ml。だしの素ではなく鰹節などから出汁をとるとグルタミン酸の量は30mg/100mlなんだそうです。
グルタミン酸の多い量に慣れてしまうと、本来の出汁の味でも薄味と感じてしまい、だしの素に限らず、お菓子とかにもグルタミン酸等の旨味成分は添加されているの最近の若い人は味覚が鈍感になってしまっている傾向があるとか。
先日書いた食品の裏側に通じそうな内容でした。(笑)
自然人類学は先生が熱い人でちょっと引き気味・・・
でもなかなか内容は面白い。
初回の授業でだされた問題。
次の中で一番人間に近い動物はどれでしょう?
①ウシ②ウマ③イヌ④ネコ⑤モグラ
ちなみに私は、頭いいし、顔も似ている人いるし、という単純な思考?で②のウマに手を挙げました・・・正解は⑤モグラです。
それを聞いて、そういえば高校か中学の生物の資料で「人間の祖先」という動物の写真でネズミみたいなのがいたのをその瞬間思い出しました・・・。
ウシやウマは非常に進化した高等動物、人間は途中で進化することを放棄した下等動物(そこから枝分かれして進化しているんだとは思うんだけど)なんだそうです。
2回目の授業ではチンパンジーのアイちゃんのビデオを見ました。
アイちゃんのことは新聞やテレビでなんどか見て知っていましたが、3年前に死んでしまっていたとは知りませんでした(涙)
死因を先生に伺った所、不明なんだそうで。勉強のさせすぎじゃないかとも言われているそうです。私も死んじゃうかも~っ(そこまで勉強してないけど)
ビデオの中で面白かったのは野生のチンパンジーの群れで、あるグループだけが石器を使うんだけど、群れの大人のやり方をみて子供が真似して憶える、という方法なのね。「教える」という作業をするのは人間だけで動物は見て憶えるんだそう(確かにチーターの狩猟とかもそうよね。母チーターのを子供が見て、真似て憶えていくんだよね)
確かに人間て「教える」ことをするかもしれないけど、教えて無くても子供って大人を真似ているよね。
最近の若者はマナーがなってない、とかいうけど、それを批判する前に「手本」となるべき大人に問題があるんじゃないのかなと思う。
所詮、人間も動物だし。と考えさせられました。
この石器を使うチンパンジーの群れは1つだけで、他の群れには広がらないんだそうです。それは疫病と同じで文化は人口(個体)密度が高いと伝播して水準を上げるんだそうです。個体数が少ないと遺産としては伝わらないんだそう。
今、人類の文化(国による違いはあれ)がこれだけ発達しているのは密度が高いからこそ成し得たことなのかと納得。
考えてみれば江戸時代後期の江戸の町はパリやロンドンよりも人口が多く、平和で文化的な日々を暮らしていました。
かつて西洋人が開国を迫って江戸に来たときに人々が貸し本屋の前で立ち読みしている姿を見てその知的水準の高さを目の当たりにし、日本を他の東南アジアの国のように植民地化できないと思った、という話も聞いたことがあります。
人口多かったからこそ、読み書きも上から下まで広まり、江戸の文化が花開いたのかもしれません。
うーん、でもやっぱり狭い視野でしか物事を考えられない私としては、毎朝通勤してくると人が多くて嫌だなぁ・・・と思ってしまいます・・・(笑)
今度からは人ごみも文化水準向上のためには必要なんだわ、と考えてみようかな・・・
出町柳にある出町ふたばの豆大福。
ここ、本店の前って行列ができていて、私も並んだことあるんだけど、その後に四条の大丸に行ったら売っていてがっかりした思い出があります。
餡は京都らしいやさしい甘さの漉し餡なんだけど、外側の豆が硬めで主張してるのよね。
食べなれた岡埜栄泉(神谷町の方。上野じゃない)の豆大福が一番好きかな・・・
二条若狭屋
家喜芋(やきいも)
なんか有名なお菓子らしいんだけど、私的にはイマイチ。外側は小麦粉の皮。私が頂いたのは白餡。母が手にしたのは漉し餡でした。6個詰めだったのだけど、餡はそれぞれ違うものが入っているようです。
二条若狭屋って竹筒の水羊羹がおいしい記憶しかありません・・・
ふく栗
こっちは母へのお土産。写真とれば、と渡されました・・・中は栗、栗餡、漉し餡の層、一番上はお羊羹でコーティングしてあって艶がでています。
火曜日の授業は調理科学と自然人類学。
調理科学では味覚の話が興味深かったです。
3ヶ月の胎児で既に味蕾ができていて、胎児のときから母親の食べる食べ物の影響を分子レベルで受ける素地があるんだそうです。
生後数時間の新生児で実験したところ、甘味、旨味には心地良さそうな顔を、酸味、苦味には不快の表情を示すのに、塩味に対しては生後100日~120日までは殆ど反応しないんだそうです。これはミネラルが十分足りているからで、その後も薄味で十分とのこと(この辺は子育て経験者、現役だと詳しいだろうね~)。
離乳食も初めての経験なので好き、嫌いを感じる以前に吐き出してしまうこともあるが、タイミングなので色々なものを数回に渡って試すことが必要なんだそうです。
離乳食期をきちんと過ごすと、その後の食への対応が違うんだそうです。
ちなみに市販されているだしの素。箱に書かれているメーカー指定の「使用量」だとグルタミン酸の量は150mg/ml。だしの素ではなく鰹節などから出汁をとるとグルタミン酸の量は30mg/100mlなんだそうです。
グルタミン酸の多い量に慣れてしまうと、本来の出汁の味でも薄味と感じてしまい、だしの素に限らず、お菓子とかにもグルタミン酸等の旨味成分は添加されているの最近の若い人は味覚が鈍感になってしまっている傾向があるとか。
先日書いた食品の裏側に通じそうな内容でした。(笑)
自然人類学は先生が熱い人でちょっと引き気味・・・
でもなかなか内容は面白い。
初回の授業でだされた問題。
次の中で一番人間に近い動物はどれでしょう?
①ウシ②ウマ③イヌ④ネコ⑤モグラ
ちなみに私は、頭いいし、顔も似ている人いるし、という単純な思考?で②のウマに手を挙げました・・・正解は⑤モグラです。
それを聞いて、そういえば高校か中学の生物の資料で「人間の祖先」という動物の写真でネズミみたいなのがいたのをその瞬間思い出しました・・・。
ウシやウマは非常に進化した高等動物、人間は途中で進化することを放棄した下等動物(そこから枝分かれして進化しているんだとは思うんだけど)なんだそうです。
2回目の授業ではチンパンジーのアイちゃんのビデオを見ました。
アイちゃんのことは新聞やテレビでなんどか見て知っていましたが、3年前に死んでしまっていたとは知りませんでした(涙)
死因を先生に伺った所、不明なんだそうで。勉強のさせすぎじゃないかとも言われているそうです。私も死んじゃうかも~っ(そこまで勉強してないけど)
ビデオの中で面白かったのは野生のチンパンジーの群れで、あるグループだけが石器を使うんだけど、群れの大人のやり方をみて子供が真似して憶える、という方法なのね。「教える」という作業をするのは人間だけで動物は見て憶えるんだそう(確かにチーターの狩猟とかもそうよね。母チーターのを子供が見て、真似て憶えていくんだよね)
確かに人間て「教える」ことをするかもしれないけど、教えて無くても子供って大人を真似ているよね。
最近の若者はマナーがなってない、とかいうけど、それを批判する前に「手本」となるべき大人に問題があるんじゃないのかなと思う。
所詮、人間も動物だし。と考えさせられました。
この石器を使うチンパンジーの群れは1つだけで、他の群れには広がらないんだそうです。それは疫病と同じで文化は人口(個体)密度が高いと伝播して水準を上げるんだそうです。個体数が少ないと遺産としては伝わらないんだそう。
今、人類の文化(国による違いはあれ)がこれだけ発達しているのは密度が高いからこそ成し得たことなのかと納得。
考えてみれば江戸時代後期の江戸の町はパリやロンドンよりも人口が多く、平和で文化的な日々を暮らしていました。
かつて西洋人が開国を迫って江戸に来たときに人々が貸し本屋の前で立ち読みしている姿を見てその知的水準の高さを目の当たりにし、日本を他の東南アジアの国のように植民地化できないと思った、という話も聞いたことがあります。
人口多かったからこそ、読み書きも上から下まで広まり、江戸の文化が花開いたのかもしれません。
うーん、でもやっぱり狭い視野でしか物事を考えられない私としては、毎朝通勤してくると人が多くて嫌だなぁ・・・と思ってしまいます・・・(笑)
今度からは人ごみも文化水準向上のためには必要なんだわ、と考えてみようかな・・・