大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ルカによる福音書2章8~20節

2017-12-25 19:00:00 | ルカによる福音書

2017年12月24日 大阪東教会主日礼拝説教 「メシアの誕生」吉浦玲子

<日本とクリスマス>

 数年前のイブ礼拝のおり、俳句で初めてクリスマスという言葉を使ったのは正岡子規であることをお話ししたことがありました。クリスマスという言葉が初めて俳句に登場したのは、明治28年、1895年であると言われます。その翌年、明治29年の俳句に「八人の子どもかしましクリスマス」というものが残っています。1882年の大阪東教会の設立より10年以上後のことです。大阪東教会設立の頃は、まだキリシタン迫害のなごりがあり、大阪東教会の設立者であるへール宣教師が伝道をしても、一般の人々の中に「耶蘇」への嫌悪感を持つ人々が多くて、なかなか話をきいてもらえなかったことが記録に残っています。しかし、大阪東教会が設立されて10年ほどたったとき、つまり正岡子規が俳句にクリスマスを詠んだころには、世間の雰囲気も変わり、それほどキリスト教への嫌悪感や、怖さというものが消えていっていたのかもしれません。もっとも正岡子規という人はとにかく新しもの好きな人で、日本で野球を最初に熱心にやった人としても知られているくらいです。ですから、当時、まだまだ新鮮な目新しい言葉としてクリスマスという言葉を子規はあえて使ったという側面はあり、逆に言えばまだそれほどクリスマスは一般に広くは定着していなかったともいえます。

 その物珍しかったクリスマスが、本格的に現在のようなお祭りのようなクリスマスとして日本に定着したのは20世紀に入ってから、日露戦争の後、明治の終わりごろだと言われます。それまではキリスト教国である欧米に対して<日本は三流国である><遅れた国である>というコンプレックスがあって西洋の風習はいってみれば敷居が高い感覚があったかもしれません。でも日露戦争の勝利で、一気にコンプレックスが吹き飛び、何の屈託もなく、うまく日本のカルチャーに欧米的なおしゃれなものを入れ込んで楽しむようになったのがクリスマスの広まりであるといわれます。このころから、現代のように、社会全体として日本の年中行事の一つのようにクリスマスを楽しみ出したと言われます。ノンクリスチャンの方々がクリスマスを楽しむこと自体は、否定されるべきことではないと考えます。私自身も、ずっとそうでした。ただ、ここにいる私たちがしっかりとわきまえなければいけないことは、クリスマスは神の出来事であるということです。そして神の出来事、神がなさったことを、人間の都合、人間の視点で勝手に捉えてはいけないということです。人間の側の視点で捉える時、クリスマスはただのおとぎ話のようなものになってしまいます。耳触りのよいお話だけがあって、私たちの都合や感覚に合わせて好きに解釈できることになってしまいます。しかし、本来、神の出来事であるクリスマスは、私たちの命に関わる切実なことがらです。その神の出来事に私たちは謙遜に耳を傾けなければなりません。

<町の中にいることのできない人々>

 さて、今日の聖書箇所では、羊飼いたちは「その地方に」にいたと記されています。その地方、つまりベツレヘム郊外の野に彼らはいたのです。町の中ではありませんでした。町の外にいたのです。町の外で野宿をして羊の群れの番をしていました。長く教会に来られている方は繰り返しお聞きになった箇所で、ご存知かと思いますが、これは牧歌的な状況ではありません。町の中の人々は眠っている時間に、羊の番をしているという厳しい労働の現場でした。羊は彼らのものではおそらくなかったと考えられます。彼らは雇われた羊飼いだったでしょう。自分の羊の番をしてるわけではなく、雇われて人の財産である羊の番をしているのです。ことに夜は夜行性の動物に羊が襲われる可能性があります。羊が襲われ死んだ場合、たぶん、彼らは雇い主に対して死んだ羊の弁償をしないといけなかったでしょう。気を抜くことのできない仕事に彼らは従事していました。

 来る日も来る日も彼らは羊の世話をしていました。彼らはそんな生活が不満だったでしょうか?彼らは自分たちの生活が改善されることを願っていたでしょうか?それは聖書の記述からはわかりません。しかし、おそらく、彼らは生活が変わることをそれほど積極的には願っていたわけではないと思います。諦めというより、その生活があまりにも自分たちにとって当たり前すぎたからでしょう。他の選択肢があるとは考えられなかったのではないでしょうか。

 自分たちにとっての生活とはこのようなもの。自分の人生とはこんなもの。その日々は、あまりに当たり前の日々であって、いまさらどうこう願うこともない、そんな人々ではなかったかと想像されます。ここに社会的に疎外された人々の姿を見ることができます。町の中にいる人々から疎外され、顧みられない人間の姿がここにあります。町の中にいる人々は少しでも自分の暮らしが良くなること、良い生活を望んでいたかもしれません。しかし、彼らにはその余裕はなかったと考えられます。

 しかし、余裕がなかったのは町の外にいた羊飼いだけではありませんでした。主イエスの両親であるヨセフとマリアも、ベツレヘムには「泊るところがなかった」のです。夫ヨセフの本籍地であるとはいえ、もともとすんでいたガリラヤのナザレから遠く離れて若い夫婦はやってきました。最低限の施設もないところで子供を出産せねばなりませんでした。

 神はそのような、人々から疎外されているような、力ない貧しい人々へと救い主の誕生を知らされました。主イエスがお生まれになって飼い葉おけに寝かされているのをベツレヘム中の人々が押し掛けて見に来たということはありませんでした。ただ、町の郊外の野原にいた羊飼いが特別に選ばれ、その誕生を告げられ、やってきたのです。

<救い主は必要か?>

 イスラエルは長い長い年月、救い主を、メシアを待っていました。貧しく弱い国を強国の支配から解放してくださる救い主を待っていました。メシアは油注がれた者という意味です。かつてイスラエルの王たちは、ダビデもソロモンも頭から油を注がれて王となったのです。特別に神から選ばれた人、それが油注がれた者でした。その油注がれた者、メシアという言葉はやがて救い主、イスラエルを救う者と考えられるようになりました。旧約聖書の預言者の時代から何百年も待望されてきました。しかし、福音書に記されているのは、その待望されていたメシアの到来が、宗教的に熱心だった人々や聖書学者ではなく、野原にいた羊飼いに告げられたということです。羊飼いたちは、メシアのことを考える余裕もない生活だったしょう。羊の世話をして安息日も守れない、宗教的なところからも離れている存在であった彼らがなぜか選ばれ、メシアの誕生が知らされました。

 神は、特別に宗教的な人、信仰深い人、立派な人に恵みを与えられる方ではないからです。日々を生きることに精いっぱいで、神のことなんて考える余裕もない、そんな人たちを選び、恵みを与えるお方だからです。羊飼いたちだって、イスラエルに伝えられる救い主、メシアの話は聞いていたでしょう。しかし、その救い主、メシアが直接自分と関係のあることだとは考えてもいなかったでしょう。考える余裕もなかったでしょう。そんな人々へと神は語りかけられるのです。

 日本ではどうでしょうか。冒頭にお話ししましたように日露戦争の後、日本はクリスマスを広く楽しい行事として受け入れました。もう三流国ではない、いや一流の国になった、立派になった、言ってみれば、もうわれわれは寂しい野原にいるのではない、堂々と町の中に住んでいる、そんな感覚になった人々には、クリスマスをお祭りのように祝いながら、その中心にある救い主、メシアとは遠い存在のままです。都会でも田舎でもクリスマスを祝いながら、ほんとうにメシアと出会うことの少ない国になりました。

<「あなた」の救い主>

 さて、野原にいた羊飼いに告げられた言葉は、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」でした。ここに<しるし>という言葉があります。ある方がここを説明されていたのですが、この<しるし>とは何かというと、私たちは、さらっと読んで、飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子のことだと考えてしまいます。乳飲み子は確かに救い主、メシアその人です。しかし、ここで<しるし>というのは、他の赤ん坊とは違う特別な赤ん坊のことをさすのではなく、<あなたがたは飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つける>こと自体、つまり羊飼いが救い主を「見つける」ということをさすのだと説明されます。

 羊飼いは「見つける」のです。自分のために生まれてくださった乳飲み子を見つける、彼らはその場に行って、確かにその目で見つけるのです。そのこと自体が、<しるし>なのです。メシアがお生まれになっても、そのお方が自分たちと何の関係もないお方なら何の意味もありません。人類全体を救うお人、地球を救う人であれば、それはありがたいです、よろしくお願いしますね、ですむ話です。でも、羊飼いは見つけることが出来るのです。それは今日お生まれになったお方が、なにより自分と関係を持ってくださる救い主、メシアだということです。「<あなたがたのために>救い主がお生まれになった」といわれるように、まさに自分たちのための救い主がお生まれになった、そのことが羊飼いたちにはわかったのです。ですから、羊飼いたちはベツレヘムへとメシアを見に行ったのです。

 この羊飼いの物語と並んでクリスマス物語として語られることの多い東方からやってきた学者たちもまた救い主を見に来たのです。星に知らされた王の誕生が、自分たちと関係のないことではないと感じたからこそ彼らも遠い道のりをはるばるとやってきたのです。「見ることができる」救い主、訪問できる救い主だからです。

<救い主とは>

 そもそも救い主という言葉は、日本語からも分りますが、「救う」という動詞と結びついています。ギリシャ語で「σῴζω(そーぞー)」という言葉です。「私を助けてください」という言葉は「σῶσόν με(そーぞーめー)」となります。この「σῶσόν με(そーぞーめー)」という言葉を主イエスの弟子であったペトロが発している聖書箇所があります。それはイエス様が湖の上をお歩きになるという奇跡の場面でした。ペトロは無邪気に子供のように自分も湖の上を歩きたい!とイエス様に願って、実際に自分も湖の上を歩きます。ところが風が吹いてくると、はっと我に戻ったのか、怖くなってしまいます。そうすると、それまで意気揚々と湖の上を歩いていたのにぶくぶくと沈みだします。その湖に沈みかけたペトロがイエス様に向かって「主よ、助けてください」と言った言葉が「σῶσόν με(そーぞーめー)」です。おぼれそうになって「助けて!」と叫ぶペトロの姿はおっちょこちょいのようでもあり、教会学校などでは面白く話をする場面です。もちろん、主イエスはそんなペトロにすぐに手を差し出して助け上げてくださいます。私たちはその場面でペトロのおっちょこちょいぶりを笑うのですが、でも、湖に沈みかけて助けて!と叫んでいる姿は、本来は私たちの姿です。

 私たちは自らの罪によって、沈みかけていた存在です。ほんとうは湖で自らの罪のためおぼるべき存在である私たちが、神の恵みによって、神の支えによって、意気揚々と、自分たちの力であるかのように歩いていました。もう三流国ではないとクリスマスを年中行事として楽しみだしたように、私たち一人一人も救い主などはいらないと自分の足で歩いていました。風が吹いて本当に沈みかけないと自分が助けが必要な存在であることがわかりません。本当はそんな私たちも神から隔てられた、町の中にいることのできなかった存在でした。神と共に歩んでいない時、それは神とも、ひいては他者とも豊かな関係を結ぶことができない疎外された存在なのです。しかし、それに気づいていませんでした。私たち一人一人も羊飼いのように、本当は疎外された存在でありました。

 そんな私たちのために救い主は来られました。私たちが沈む前に、手を差し出して、助け上げてくださる方として、来てくださいました。救いは、大きな網で100人、200人とまとめて掬い上げるようになされるのではありません。主イエスが一人一人に手を差し出し、掬い上げてくださいます。私たち一人一人に救いの物語があります。クリスマスの物語があります。

そして救いは、ただキリストお一人から来るものです。湖で救われたペトロはのちにその主イエスに関して「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間にはあたえられていないのです。」と使徒言行録の中で語っています。救いはただイエス・キリストからのみ来るのです。あすこからもここからもくるのではない、ただひとりの救い主でありメシアであるキリストからのみ救いはきます。

 そして、その主イエスご自身が、私たちに語りかけてくださいます。呼びかけてくださいます。羊飼いたちが天使に呼びかけられたように、私たちも選ばれ、呼ばれました。キリストを救い主を見ることができるのです。ほかの誰でもない私たちの、私の救いのためにお生まれになったお方を見ることができます。救いのしるしは、いま礼拝をお捧げしている私たちへも与えられました。救いのしるしとして私たちはいまキリストのもとにいます。そしてみどりごのキリストをみて神を賛美して帰って行った羊飼いたちのように私たちも神を賛美します。私たちへの救いのしるしがたしかに与えられたことを喜びます。ほんとうのクリスマスを喜び祝います。


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