説教「十字架の上のイエス」
<あなたもそこにいた>
いよいよ主イエスは十字架におかかりになります。カトリックの教会や修道院に行くと、主イエスが「されこうべの場所」まで歩まれ十字架におかかりになる場面~十字架の道行~といいますが、その十字架の道行が描かれた絵やレリーフのようなものがあって、それに従って、主イエスの苦難を黙想することができます。だいたい全体で14枚から15枚あります。「イエスさまが十字架をかついでを歩まれる」「ここでイエスさまが倒れられる」「キレネ人のシモンが十字架を担いだ」とかイエス様が十字架を担って歩まれた道行きの場面がひとつひとつ描かれているのです。この道ゆき、この道のりをヴィアドロローサともいいます。
この受難節、わたしたちは、普段以上に主イエスの御受難を覚えて、そのことのゆえに神との平和をわたしたちが今、得ていることを感謝したいと思います。しかし、わたしたちはたとえば、さきほど申しましたキリストの十字架の道行の絵に従って、一枚一枚をどのように詳細に主イエスの御受難を思い描いても、黙想しても、本当のところは主イエスが味あわれた御受難のほんの少ししか理解することはできません。キリストの十字架の道行きは、ヴィアドロローサは、人間の想像を、また体験をはるかに超えたもので、そのようなとてつもない苦難をイエス・キリストは受けてくださったからです。
そのキリストの受難の場面において、おおまかにいって、三種類の人間が出てきます。
一人は通りすがりに無理やりに主イエスの十字架をかつがされたキレネ人のシモン、そして大勢の主イエスを罵る人々、そしてまた本日お読みしました聖書箇所にはまだ直接出てきませんが、主イエスを遠巻きに見守っていたと考えられる婦人たちです。
何回かお話ししたことがある話ですが、あえて話をさせていただきます。わたしは洗礼を受けましたとき、もちろん、理屈としては主イエスの十字架のことは、ある程度理解していたのです。イエスさまの十字架によってわたしたちの罪が赦された、わたしたちは救われた、そのことは頭では理解していました。そしてわたし自身、その救いを渇望していたのは事実です。しかし、ほんとに、「ああ本当にこのわたしが主イエスを十字架につけたんだ、私の罪によってイエス様が十字架につかれたんだ」と理解したのは受洗して、しばらくしてからでした。
イースターの前の週に、洗足木曜日の礼拝がありまして、これは朗読礼拝でした。受難に関わる聖書箇所を次々と読んでいく礼拝でした。わたしは何人かの人たちと共に聖書朗読の奉仕をしました。そのときわたしが朗読担当をした箇所がマルコによる福音書の15章の主イエスが十字架にかかられる場面でした。今日お読みしましたマタイによる福音書と同様、十字架上のイエスが、人々からあざけられる場面でした。「おやおや、神殿を打倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」あるいは「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」マルコによる福音書ではそのような言葉が並んでいました。あんまり読みたくない場面でした。いやだなあと思いながら読みました。
でも、礼拝の時、読んでいるうちに、その十字架の場面が異様にリアリティをもってわたしの心の中に湧き上がって来ました。人々の雰囲気とか、土の匂いとか、血なまぐさい感じとか、そういうものが突然、立ちあがって来ました。そしてその時、はっきりとわかりました。この十字架の場面で、イエス・キリストを罵っていたのはわたしだ、ということが。変な言い方ですが、わたしはあの時、2000年前のあの場所にいた、とすら思ったのです。
わたしはキリストに唾を吐きかけ、口汚く罵ったのです。自信を持って思ったというと、とても変ですが、わたしは主イエスを遠巻きにして心配しながら嘆きながらついて行った婦人たちの中にはいなかったと思ったのです。この私は、祭司長や律法学者と一緒に罵っていたと、はっきり思ったのです。
2000年前に十字架におかかりになったイエス・キリストと、20世紀に生まれたわたしが何の関係があるのか、そんな思いはすべてそのとき、かき消えました。キリストを十字架につけたのは、ほかならぬこの私なんだとはっきり悟りました。わたしはあの時、あの場所に、ヴィアドロローサにそしてされこうべの場所に、たしかにいたのだと感じました。
ところで讃美歌21の306番に「あなたもそこにいたのか」という讃美歌があります。<あなたもそこにいたのか 主が十字架についたとき ああ、いま思いだすと 深い深い罪にわたしは震えてくる>という歌詞です。これはとても有名な黒人霊歌です。黒人として苦難の日々を送っていた人々がなお、自分たちの苦難を嘆くのではなく、むしろ自分自身がキリストの十字架に場面にいて、そしてその自分の深い深い罪に震えるという歌です。とても深い歌だと思います。
わたしたちもまたこの歌の歌詞のように、震えるのです。キリストを十字架につけることをなんとも思わず罪を犯してきた自分自身に。自分の罪ゆえにキリストを十字架につけておきながら、その苦しみを、徐々に衰弱して、人々の罵りの中、残酷な形で死んでいくその有様をみて、なお罵ることのできる自分自身に震えるのです。
キリストがメシアであると知らなければ、民衆に一時期もてはやされただけの、ただの愚かな偽預言者として、わたしたちはキリストを罵ることができるのです。「他人は救ったのに自分は救えない。」そう人々は罵りました。たしかにキリストはメシアとして他人を救ったのです。病を癒し悪霊を追い出し、目の見えない人が見えるようになり、歩けない人が歩くようになったのです。その事実を人々は確かに見たのです。しかし、その救いを見ながらキリストがメシアであることに気づけなかった。それが罪ある人間の限界です。そしてキリストをメシアだと理解できない人々は、キリストが自分は救えない、その無力なさまも見て馬鹿にしました。なぜキリストは自分を救わなかったのか、それは自分を罵る人々を救うためでした。「自分で自分を救え」とキリストに対して罵っている、まだ救われていない罪深い人々を救うためでした。
<強いられた恩寵>
ところで今日の聖書箇所に出てくるキレネ人のシモンと言う人は、この十字架の出来事の中で、ある意味、とばっちりを受けた人です。キレネと言いますから、アフリカの北部、現在のリビアから来た人です。当時、ユダヤ人が多く住んでいたようです。きっとこのシモンは、過ぎ越し祭に合わせてエルサレムに巡礼に来ていたのでしょう。ところが、たまたま、主イエスをされこうべの場所へ引いていくローマの兵士と出会ってしまって、主イエスの十字架を無理やり担がされてしまったのです。主イエスは十字架をかつがされる前、鞭打ちを受け、またそれ以外にも、ローマの兵士から暴行を受けておられました。ですから、この時点ですでに重い十字架を担ぐだけの体力がなかったのだと思われます。映画「パッション」などで、ご存知の方もおられるかと思いますが、ローマにおける鞭打ちというのは残酷なものです。鞭には肉がえぐれるような突起がついていました。その鞭で打たれると、その鞭うちだけで死んでしまう人がいるくらいえげつないものでした。そんな鞭打ちを受けられた主イエスの十字架をシモンは無理やり担がされました。おそらく家族や親族と一緒にエルサレムに来ていたのではないでしょうか。ある意味、楽しい家族旅行的なことでもあったはずです。それが、これから死刑になる男の十字架をかつがされるというとんでもないことに巻き込まれました。
「強いられた恩寵」という言葉があります。神の恵み、恩寵というものは、いつもいつも素直に感謝できるものではありません。むしろ、いやちょっとそれだけは勘弁してほしい、そういうことを、言ってみれば、強いられてしまう、強制されてしまう、そういうことも時にあるのです。そして私たちはたいへん迷惑で困ったことだと思うのです。いやだな逃げたいなと思いながらそのことをやっていくうちに、やらざるを得ないうちに、やがてそれがたいへんな恵みであったことに気づく、そういうことがあります。ああまさに神に「強いられた恩寵」だったなあと感じるのです。
キレネ人のシモンの強いられた恩寵もまた、衝撃的なものだったといえます。やじうまたちの騒ぐ中を何の関係もない自分が、十字架をかつがされる、迷惑千万なことです。しかし、ローマの兵に命令された以上、逆らうわけにもいきません。
しかし、このシモンは、やがて知るのです。主イエスの十字架を担ぐことになったのは、ローマの兵に無理強いされたのではない、まさに野次馬たちの中から、神ご自身が自分を選び、召して、その役割につけられたことを。十字架を運ばされたのは、まさに大いなる恩寵、強いられた恩寵であったことを。
このシモンはおそらくこののち、主イエスを信じるクリスチャンになったと考えられています。マルコによる福音書は、「アレクサンドロとルフォスとの父」とこのシモンのことを記しています。このように名前が記されているということは、アレクサンドロとルフォスという人物が初代教会において良く知られていた人物だからだと考えられます。そのよく知られている人物の父がシモンなんだとマルコによる福音書に記されているわけです。実際、パウロはローマの信徒への手紙の16章13節に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」とルフォスという名を書いています。このルフォスは十字架を担いだシモンの子供だと考えられます。また、使徒言行録13章1節には「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」と記されていて、この中のニゲルと呼ばれるシメオンというのが、シモンのことだと考えられます。ニゲルというのはアフリカ系の人を指す言葉ですし、シメオンというのはシモンのラテン語的な呼び方なのです。ですからシモン自身ものちに教会の指導者となったと考えらえます。つまり、シモンとその家族は、皆、クリスチャンになって、やがて宣教の業に励むことになったのです。そして伝道者パウロを助けたのです。
シモンの回心がどの時点でなされたのか詳細はわかりません。
しかし、やがて主イエスを救い主と信じることになったシモンの目にも、主イエスは最初はただの無力な弱々しい囚人としか映らなかったでしょう。せっかくの巡礼を台無しにされた、いまいましい相手であったかもしれません。主イエスは、おそらく同時に十字架につけられた他の囚人たちと比べても弱々しく、また惨めな有様であったと思われます。いくたびも道で倒れるその姿を見ながら、しかしなお、シモンの心に何かが生まれていったのかもしれません。
しかしなによりシモンは、イエスと共にヴィアドロローサ、涙の道を歩いたのです。シモン自身は望んではいなかったのですが、十字架の道行をシモンは主イエスと共にしたのです。そして、歴史上ただ一人、主イエスが担われた十字架の重さを自分自身のその腕に感じたのです。血と汗のにじんだ十字架の生々しさを感じたのです。聞くに堪えない、主イエスに投げかけられる罵詈雑言や嘲笑を聞いたのです。土埃の中を汗を流してシモンは主イエスと共に歩んでいったのです。シモンはまさに讃美歌21の306番に「あなたもそこにいたのか」と歌われた、その現場に、いたのです。そして、やがてその十字架の重さが、血と汗のにじんだその十字架の生々しさが、他ならぬ自分の罪の重さであり、生々しさであることに気づいたのです。そしてそのとき、十字架を担い主イエスと共に歩んだ道行がヴィアドロローサが恵みであったことに気づいたのです。
なぜならヴィアドロローサは死で終わるものではないからです。無力でみじめに見えたキリストは実は勝利者だったのです。やがて復活され死に勝利をされる方でした。その方によって自分が救われたことをシモンは知りました。わたしたちも救われました。罪を贖われました。そんな私たちはまた歩み出すのです。自分自身の十字架を背負って。シモンのようにキリストと共に日々のヴィアドロローサを歩んでいくのです。
しかしその道は、すでにキリストが歩んでくださった道です。そして勝利してくださった道です。私たちの十字架は私たちが担いきれないようなものではないのです。時には耐えられないように思われる強いられた恩寵であったとしても、なおキリストと共に歩むとき、それは喜びへと向かう道なのです。勝利へと向かう道です。その歩みをキリストと共に歩んでいくのです。
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