日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

旅の仲間

2019年06月22日 | 命について
多分家族や友人たちは、旅の仲間みたいなもんなんだと思う。
それぞれ歩くのは自分でも、みんなで励ましあったり道を相談したり時々ケンカしたりしながら旅をしている。

出会う景色もだけれど、そういう仲間と過ごすということも、とても貴重な旅の思い出なんだと思う。

私たちはいつも日常は永遠に続くと思いたいし、一番近くにあるものほど大事にするのを忘れてしまう。

そんなことを立ち止まって時々、思い出す。

旅の終わりに自分すらあやふやになった頃、最後に残るのは勲章でも思い出ですらなくて、共に過ごした感触かもしれないから。

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てい子の話

2019年06月21日 | 日記
朝、娘のてい子は支度しながら前の晩に見た夢の話をしてくれる。

昨日の夢では全身に苔のような水草のような産毛がふわふわ生えていて、それで光合成ができるので、やばい太っちゃう!と一生懸命にむしっていたそうだ。

いつか話してくれた川の名前の人魚たちの物語は、実際読んだコミックスよりも娘の話の方が数段面白かった。
聞いた方の本をいつか読みたい。

寝る前にちょっと寄ってく?というから彼女のベッドに寝っ転がってしゃべっていたら、こないだベランダで転んだ傷がついに治ったと教えてくれた。
「触る?」って聞いてくれたけど、なんか気前がいい子だね。











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蝶々

2019年06月20日 | 命について
裏山を歩いていたら蝶々が枝に止まっていたので、足を止めてしばらく見ていた。
見ているうちになんとなく飛び立つのを待つような心持ちになったけれど、蝶々は飛ばずにそこに止まっていた。

そうか、とまた歩き出して数歩先。

そうか。

蝶々にとって、飛ぶことはリスクなのだ。

いつか家に迷い込んできた蝶が吹き抜けの高い窓に行ってしまい一晩捕まえることができなかった。やっと捕まえて外に出した朝の息も絶え絶えな様子を覚えている。

どんなに軽く効率化されたデザインとはいえ、あんなに小さな身体で大きな羽を羽ばたくことは、エネルギー切れに向かって力を振り絞る死へのダイブなんだろう。

人の目には見えない蝶道を最短距離で飛び、蜘蛛の巣を避け、繁殖の相手を見つけ、風に乗り、蜜を吸い、日向で身体を温め、短い時間を狂おしく生きる。

命を燃やしながら生きている。

どんな命も、そうなのかもしれない。







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家族アリーナ

2019年06月19日 | 命について
どう考えても一番ぐちゃぐちゃでドロドロで、人にとって難しいのは家族だと思う。
家族でなければ、否定するなりお別れするのは比較的簡単だから。

例えば家族みんなの左足の小指を、30センチくらいのヒモで結び合わせて暮らしているような。
わかる?このぎこちなく鬱陶しく常にリミットを試される感じ。

弱みも苦手も全部晒して、なのに案外大切なところはみせなかったりして。

(家族もいろいろですので家族という言葉が当てはまらなければ適宜入れ替えてください)

自分の家族って難しいですよねという話が出た時に、厳しい修行をしている人が、手も足も出ませんと言ったので正直さに笑った。

そこで向き合う、日々という波をくりかえし、なんとかかんとかやっていく。

必要なものは全部、生活の中に入っている。








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講義

2019年06月18日 | 出会った人たち
特別に許されて教室の片隅で「サンスクリット語から見る言語世界」を聴講させてもらった。
(先生方、ありがとうございました)

私はずっと言語に興味があって語学科に進んだけれど、大学でも本当に知りたいようなことはやってないんだなとわりと早々に諦めた。
今から考えるとリサーチも足りなかったけれど、それだけじゃなくいろいろ足りてなかったんだろう。
長いまわり道に見えるものは全て私の必修科目だったのだろうから、今また学び語りあえる巡り合わせをとてもしあわせだと思っている。

窓際で遠慮しつつなるべく体を小さくして講義を聞いていた。ここから見ると先生も学生とほとんど変わらない可愛らしさだ。

今この席から見えるものを、隣の大学生あるいは学生だった私に聞かれたとしたら。

生きることと学ぶこと、働くことと遊ぶこと、家族であり友人であることは、全部同じものの違う顔だよ、って答える。

教室の前で踊るように歌うように語りかけるあの人をみてごらん、と。

そういう風に、伝わっていくんだ。

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