日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

百日紅

2017年08月30日 | 日記
百日紅、さるすべりの花の良さが昔はよくわからなかった。
遠目にはビンを洗うブラシみたいで、近くで見ると子どもだましのきれいなひらひらしたおもちゃみたいで。
綺麗というより何か面白くて笑いたいような気持ち。
だけど少しずつその変なところに慣れてきて、この夏はただただきれいだった。

もう何年も前にこどもが入院した病院の近くに百日紅が咲いていて、風に散った赤ピンク白のふわふわをそうっと手のひらに乗せてお土産にしたことがあった。

今年も同じように咲いている百日紅が少しほころび始めて、夏がゆっくり背を向ける気配。

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しあわせ

2017年08月28日 | 日記
うまくいったり、いかなかったりすることと
しあわせでいることは別のことみたい。

しあわせって条件ではなくて、自分の状態みたい。

いろんなことがあるのは、生きていることそのものだから、そのまま受け入れる。

せっかくだから、なるべくその趣きを味わう。

揺れる感情も、そのまま眺める。

大騒ぎしない。

与えられたものをありがたく受け取る。

どこに行く必要も
誰になる必要もない。

愚痴も後悔もない人生。

とてもしあわせ。

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空を見あげる

2017年08月21日 | 日記
空が好きなんです。

特に夕方の空。くも。

時々、傾く太陽を自転車でピューっと追いかけて空の広いところで眺めます。

一人で上を見てしあわせにひたる。

そんなことができるようになるまで

ただ空を見てしあわせになるまで

人間って何十年もかかるんだなあ。

でもそれだけの価値があるね。


あとちょっとの夏、みなさまもお楽しみください。

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早すぎるし、遅すぎる

2017年08月16日 | 命について
ふと思ったことを、忘れないように書いておきます。

まあ忘れちゃってもいいんだけどね。
なんでもかんでもどんどん忘れちゃうんだけどね。えーと、いい意味で。

ともあれ。

人が変わっていく、回復したり成長したりするスピードは、横で見ている人の頭で想定しているスピードとは違うことが多いんじゃないかな。
頭ってわかりやすい直線的なものが好きだからそういう展開を期待するけど、生き物って実際はもっと複雑でわかりにくい気がする。
ぐるっと遠回りしたり、三歩進んで二歩下がったり、斜め後ろから急に浮上したり、見えなくなったり。
あるいは変わる時には半年前とは別人だったり。

とりあえず人は短期的にすぐに結果を欲しがるほど早くわかりやすくは変わらないし、長期的には油断してる間にすっかり変わってたりする。
変わらないものはないものね。

伴走する人の切ない願いがわかるからこそ(わかりますとも)理解しようとし続けることの大切さと共に、命の行程の全貌は理解できない、全てを理解することはできないと思うことの価値もある、って思う。





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100日

2017年08月14日 | 死について
女友達と待ち合わせて私の実家へ。

母が好きだったからと持って来てくれた涼しげな色合いの花束とお菓子を仏壇に供える。
せっかくだから母のもの何かもらってと、二人で母の部屋で試着大会。
これよく着てたね、あの時羽織ってたとか言いながら。
その後近くでランチしてお茶して、お店を楽しくぶらぶら見て彼女と別れた。

思い出す母はだんだん生き生きと元気になる。
最初に声を次第に体の自由を無くしていった母が昔どんなだったかここ数年思い出せなくなっていたのに、死んでから母はどんどん若くなっていく。思い出すと懐かしい声が聞こえる気がする。

帰り道、通りすがりに見かけた素敵なテイッシュケースを、頭の中で母が私に買ってあげたいと言う。
元気だった頃にお土産にとよく買ってきてくれたフルーツタルトも、買ってあげたいわと言う。

ちょっと考えてせっかくの気持ちだから、母に買ってもらったつもりで両方買って帰った。

昔みたいに今日は女友達と母と三人で遊んでたみたいだった。

母の愛に包まれている気がして、とてもしあわせだった。


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