日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

みんな、ありがとう

2019年10月27日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校

全国のホームスクール仲間たちとの年に一度の合宿から帰ってきた。

バタバタと大忙しであんまり寝てないし、お昼も食べずに歩き回って倒れそうにくたくた。

もっとゆっくり話したかった。
温泉ももっと入りたかった。
せっかくだから自然の中を散歩したかった。

とにかくとっても忙し過ぎた。

なのに。

一緒にいることの満足感が、体の中にたぷたぷと満ちている。

話さなくったっていいんだよ、一緒にいればそれで、って誰かの言った通りだった。

頭はブーブー言うし体はくたくただけど、そんな小さな部分じゃないところで私たちは深く満足した。

人が人といることのよろこび。

コミュニティの、場の、大きな力。

あちこちで小さな奇跡を目撃した。

みんな、ありがとう。





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仏教徒、ではないんだけど

2019年10月25日 | 日記
いつの間にかお寺と縁が増えていて、師走はお寺で忘年会‥それってよく考えたらすごい。

でも仏教徒ですか?と聞かれたら違うと言うと思う。
あ、英語でBuddhist?って聞かれたらyesって言うかな。
どっちだよ。

誰かや何かを追いかけているわけじゃない。
自分の外にある教義を「信じて」いるわけじゃない。
誰かに何かを「教えてもらって」いるわけじゃない。

私は私を生きることから学ぶ。
そこからしか、学べない。

私が自分を通して知った世界の在りようを、同じように捉えようとしている人と話したいと思うだけ。

仏教の達人もそうだけど、仏教に限らず人生の達人には興味がある。
宗教じゃなくても例えば武術、数学、教育、哲学、生活や育児、どの分野でもつきつめるとみんな同じことを話している。

真剣に子どもと向き合うホームスクール仲間も。

話が通じる。
私の頭が狂ってないってわかる。

もしかしたらZen follows me ってそういうことかな。

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することとしないこと

2019年10月24日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
これじゃだめでしょうという家族の状況があるとします。
不適応とか不登校とか依存症から派生して。
(不登校他それ自体が悪いということではありません)

毎日、どうしたらいいのかなと模索する。
考えるんじゃなくて、実際に関わりながら。
考えてもね、全部はわからない。
相手があるものだし、その場その時のダイナミックな関わりの中にしかないものを見つめ続ける。

決定的に重要なのは
それを
人を
「なんとかしよう」と「しない」こと。

え?

そうなんです。
なんとかしようとしない。

それはね、氷山の一角だけ見て小手先で動かそうとするようなもの。
氷山というより氷河かな。

その人の課題、その人の人生は、私のものではない。

どうにかするんではなくて、一番近くで応援する。

なんというか、動かそうとしてはいけない層の下に、きちんと繋がって支える層があるように思う。そのまた下にはそれぞれが独立して存在する層が、そのまた下はひとつながりが。

応援するのに絶対必要なのが、自分がきちんと立っていること。

きちんと立っているかな?

ちょっと座って考えてみる。

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着陸 〔第1ラウンド 4月〕

2019年10月22日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
一泊二日の新入生キャンプの帰り、迎えに行った私を見つけた娘は手を振って笑った。

まだみんなバス停にいるよと言うので、少し遠くから声をかけて挨拶した。

せっかくだからちょっと景色を見て行きたいなと言ったら、見晴らしのいい丘まで案内してくれた。

海を見下ろし遠く富士山や江ノ島も見える。

「お菓子パーティーの後、ここに来てみんなで写真を撮ったよ」

車に乗ったとたん疲れが出て動けなくなって帰宅後はこんこんと眠ったけれど、起きてきた顔はすっきりしていた。

「楽しかった」

私は胸のうちに握りしめていた安全ベルトをそっと離す。

着陸。

とりあえず、着陸。

(もちろんこの後、嵐は来ます)

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バスケットボールコート

2019年10月21日 | 日記
ダンダンダン、とボールの音が体育館に反響する。
走る若者たち。
遠慮のない発声、笑い声。

それを四角い空間の底の端っこから眺めている。
どこから見るかで視点が入れ替わる。
「私」を見て笑う娘を見る、母親の視点。
チームメイトを見る娘の視点。
先輩たちのナイスシュートを仰ぎ見る子どもの視点。
生徒たちを指導するコーチの視点。
気がつけばそのコーチすら子どものように若い。
コーチの親の気持ちで息子の仕事を見る。
カメラアングルが変わると見える光景が変わる。
時間は昔思っていたように、linear線状なものではない。
時間はりったい。
時間は立体になっていく。
重層的に有機的に積み上がっていく。
体育館の空間をたぷたぷと豊かな水のように満たしていく。
りったいになっていくんじゃない。
元々立体だったんだ。
それを生きて、思い出していく。
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