そうか
“普通”が違うんだ
“普通”は皮が世界と我を隔てている
ない時のダイレクトさ
鮮やかさ
みずみずしさ
ノックアウトされたように眠る眠りの深さ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/00/6559f194933cec52fa2190095ed18e3b.jpg?1714397844)
マミさんが短くしてあげるというのでカーテンを持って川沿いの部屋に集合した
大好きなパン屋さんで選んだパンでお昼にして
思いつくまま話をして
測って折って切ってピンをうち
途中歯医者に行ってくるねとでかけてただいまと帰ったら
カーテンが綺麗に出来上がって畳まれていて
ありがとねまたねと家に帰った
何にも特別なことをしていないのに
花々も風も極楽の様相
私が/私を生きる
クオリティの高さにふるえる
摩擦係数がバグってるみたいに時間の感触が滑らかで
これはあれだ以前山に呼ばれたように無意識に早朝に一回りして帰ってきた後の「あれ私山に行ったんだっけ」という心地
つるつるするする時間が日々が痕跡を残さずさらさら流れていく
あまりにも抵抗のない流れの速さに
いや
もしかして
全ては完全に止まっているのか
用事を済ませて山あいの役場を出ると満開を少し過ぎた桜が散り始め早くもつつじが蕾を膨らませて夢心地の様相だ。
よく5月にある完璧な1日のような薫る風がピンクを降らしている。
友だちと絵を描いておしゃべりしてお菓子を食べてお茶を飲んできた帰り道。
自分が変わったのはわかっているけれど、わからないのはこの全てに生きることの最上が宿るのは相が変わったからなのか、見る自分の目が変わったからなのか、相互の共同作業的な働きなのか。
私の中から湧く泉と世界が同じ旋律で歌い奇跡のようにふるえている。
これは夢かな、と少しぼんやりして。