日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

ランデブー

2021年10月28日 | 関係を紡ぎ命を展開する

じゃあどうしたらそのalienationの距離を潜りコンパチブルな地点に行くことができるか。


「自分がしていること」にまず気がつく。


自分がやっている「害になること」を止める。


「頭で考えること」に振り回されずオープンである。


隣にいる、側面の体感を大切に。


フラットな土台、

できれば動いているか

作業しているといい。


何かが進行中で、お互いに関わってもいいし、関わらなくてもいい自由と余白があるといい。


ただ、いる。








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compatible/alienate

2021年10月26日 | 関係を紡ぎ命を展開する

いくつかの異なる事柄に共通点があるのにしばらく前から気がついてた。


それをコンパチビリティ、と言ってみる。

(互換性ではなく適合性の方の意味で)


それは不登校のこどもが引きこもりの穴から抜け出して回復に向かうプロセスで必要とする最初の梯子。


ドラマで王様(あるいは大スター)が異国の庶民と恋に落ちる出会いの条件。


大きな悲しみや苦しみとともにある友人とやりとりする時に必要なもの。


たとえそれが憧れ、敬意、憂慮、心遣いであったとしても、全く異なるものとして大きな距離ごしに見てしまうと、相手にとってそれは疎外alienation になり、関係性を築くことができない。


「素晴らしい」存在としてあるいは「気の毒な」存在として、あくまでもこちら側の想定上の役を、その人個人のその時の状態に覆い被せるように押し付けることになる。

相手は無言でそれを受け入れるか、不快を表現するか、あるいは去るしかない。


何者でもないひとりの人として、自分と同じ存在として、ただ普通に話しかけること。

同じ土壌に立って目の高さが合うところで話しかけること。

そういうコンパチビリティがない限り、生きた関係性は生じない。


もちろんただ近づけばいいってもんでもない。

も覚悟と意思を持ってそこまで行かないと、その人と出会うことはできない。









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