日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

小網代の森

2018年10月30日 | 日記
ずっと行きたかった森に、ちっとも行く予定でなかったのにするすると行けてしまった。

考えられないくらいのいいお天気の日に
電動クロスバイクという魔法のような乗り物で
にこにこ笑う仲間たちと
その森へ

「きたよ!」と言っても
森は何も言わなかったけれど

森の佇まい、気配の中に浸ったその夜は
頭のてっぺんまで温泉に入ったように
深く深く眠った。

















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おしゃべりから駒

2018年10月27日 | 日記
好き勝手におしゃべりしてたら(あの自由に思考が走る感じ)自分の中からこぼれ出てきてわかることがあるね。

「もう少し、好きなことしないとね。
若い子じゃないんだから、時間を無駄にしないでちゃんと好きなことしないと。
あ、してるか。
でももっとしないとね。
ちょっと手を動かすことしたいな
言語的なことより
縫ったり作ったり描いたりしたい。
もう少ししたら好きなことだけしよう。
人の集まりのお手伝いは今以上には受けないことにする。
仕事も楽しいのだけやる。」

(へー、そうなんだ)

と、これが私の決意表明、らしいです。


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Flying Monk

2018年10月24日 | 出会った人たち
一照さんがある時言った。

「苦しみは生活のレベルを下げるものではなくて

人生の深い次元に向かって開かれている入り口」

ああ、そうだ。それは本当。

一照さんは時々とてもいいことを言う。

自我がクリアしている人は威張る必要がないんだろうけど、それにしてもその気さくさオープンさはちょっと常軌を逸している。

だいたいいつでもその目には面白がるような楽しそうな笑いが浮かんでいる。

なにを相談したとしても「好きなようにしたらいいんじゃないですか」と言う。

伝わってくるのは困難を恵みにするあり方

人生の「受け身」

知性、身の軽さ、しなやかさ、あたたかさ

人はみな光を発しているけれど、一照さんの放つのは強く暖かく大きな光だ。









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マギーズ東京

2018年10月22日 | 出会った人たち
カフェは飲んだり食べたりするところだけれど、その素敵な場所では何も注文しなくても、いたいだけいて構わない。

もちろんお茶もあるし、本や座りやすい椅子もある。

いつも必ずどこかに花がある。

話さなくてもいいし、話したければ聞く人はいるし、泣いてもかまわない。

説明しなくてもちゃんと辛さをわかってもらえてるから、無理して笑わなくても大丈夫。

予約も料金もいらない、全部、たくさんの人の助けたい気持ちで成り立っている。

ここに来たら、ああ、私はこのまんまいていいんだ、と思うだろう。

そうしたら少し気持ちが軽くなって、生きる力も湧いてくるかもしれない。

その場所も素敵だけれど、たくさんの人たちが、がんで苦しむ人のために作ろう!と力を合わせて実現させたのが本当にいいなと思う。

それは今も実現し続けている。

そう思うだけで世界が明るい場所に感じられる。



https://maggiestokyo.org/service/

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20161018-OYTET50022/





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蟻とかスリランカレストランとか絵本とか

2018年10月21日 | 出会った人たち
対談を聞いていたら客席に蟻が回ってきた。

生きてる蟻。
ほんとに変で面白い。

その日はなんでだか対談のはしごになってしまって、対談その2に着いたら対談その1の登壇者がいたりして。
まあ誰かいるかなとは思ったけど。

最近の趣味は対談巡り。

でも実は語られたことはあんまり意識に残っていないのだ。

飲み込んで消化して見えなくなるのか、だいたい全部忘れてしまうのかわからないけれど。

じゃあ何しに行くのかっていうと、そこに行ってその人たちが出会う場に立ち会う、そういうことをしたいみたい。

一回限りの花火のような噴水のような出会いに私もひとしずく分、参加する。

頭の中に残っていなくとも、出会いはお互いを決定的に変えている(気がする)。

森田さんは絶好調で、歩き回りながら目がきらっきらしてた。

もちろんいっぱい生き生きとした言葉を吐いていたけれど、ひとつだけお土産に。

「メッシーでノイジー
予想がつかないもの
都合の悪いものにまみれているのが生命」

森田真生













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