日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

パン

2019年05月31日 | 日記
パンが好きか嫌いかと言ったら好きだけど、ご飯が一番好きで、パスタも麺類も好き。

毎日欠かさずパンをたべたり、あの店のあのパンをと買いに行ったりするいわゆるパンが好きな人ではないと思う。
よく食べるのは超熟6枚切りのトーストだし。

だけど今目の前にあったパンを深く親しく大好きになってしまい、中毒、いや執着してしまったらどうしようと思う。

だってそれはお店に売っていない、お願いして焼いてもらった特別なパンだから。

厚めにスライスしてそのままゆっくり食べる。

なんて、美味いんだ。

サワークリームを乗せてチェリージャムをほんの少し垂らす。

大きなパンの8分の一くらいが無くなってしまう。

無くなってしまったパンの前で(座っているけど)立ち尽くす、私。




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踊り場にて

2019年05月30日 | 命について
一休みの踊り場でじっとしていると
目の端をちょろちょろする小動物みたいに
普段あんまり見ないものを見かける

例えば、寂しさ(とてもレア)
体の中を風がさっと吹くような
全てを見送る時の
懐かしさと切なさが混じった
さようならのような

例えば、動かなさ
深い水底から
浮足立っていた自分や
じたばた苦しんでいた自分を
熱を差し引いて見る
そのバンテージポイントの利点と
つまらなさと不敬とをそのまま受ける

季節がゆっくり変わっていく

多分まだうまく殻を脱ぎ切れていない
引っかかっていなければ
自由に軽くハミングするはずだから

でも今は
これで

このまま
います




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アイスコーヒーは飲んじゃだめ

2019年05月29日 | 日記
もういいかげん大人なんだし、学んでもいいはず。

あの夏やこの夏に思ったよね?

アイスコーヒーは私の体に合わない。

‥‥そうだった、アイスラテならいいんだけど。





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汽水域から踊り場を見る

2019年05月28日 | 命について
言語と非言語の意識が混ざる汽水域で
視界が一瞬チラと開けて自分が見えた

コロコロ転がるビー玉が穴から転がり出て
小さなスペースに出たところ
そこからまた選べる道はいくつもある
ここはいわば踊り場

しばらく動くつもりはない

この春は家族がみんな飛び立とうとしている
まだはっきりと形にはなっていなくても私にはわかる
背中に彼らの重みと形の後がすうすうとあるから

いつものように
(ああ、そうか)
見えたからようやく

身をくねらせ引っかかりから自由になる

重みが頭のてっぺんから剥がれて落ちていく
不要になったロケットの加速装置みたいに

軽くなったところでやっと落ち着いて
しばらくは動かない

毛羽立ちを整えてひきつれをゆるめ
無理な力がかかったところをあやす

私であるというものの最適化

そのプロセスも私であるというものだから
丁寧にバランスを調整する

一番小さいところもそのままに置いて

どこにも力みのない綺麗なニュートラル

そこから初めてまた転がっていける



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贈りもののお礼

2019年05月27日 | 出会った人たち
講演会が終わって帰りがけ友達がガラス越しに森田さんの写真を撮ったんだけど、それに気づいた気のいい森田さんはこっち向いて笑ってポーズを取ってくれた。

サイン終わったんなら、ちょっと挨拶してくる!と素敵なログハウスみたいな会場へ戻った。

「贈りもの
(本のタイトルが「数学の贈り物」だからね)
ありがとうございました。
ここにちゃんと届きました。」

お礼を伝えたら、講演の森田さんとちょっと違う反応だった。

すごいスピードとエネルギーで飛び出してくるおしゃべりとは、違う様子。

その気配をまた大切にもらって。

友達とお茶をして帰った。



https://book.asahi.com/article/12257713
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