日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

悩みがなくなるのではない

2017年11月28日 | GRACE 死にゆく人とともにあること
そして一照さんの締めの言葉。

GRACEも仏教もマスターしたら
全てOKというものではなく
それはちゃんと悩むための心棒であり
ストラクチャーである。

その都度ちゃんと悩んで
そのことに疲れない悩み方
意味のある悩み方を教えてくれる。

うーん、そうそう。

本当にそう。

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愛すること

2017年11月25日 | 命について
もう何年も前に「人を愛することは難しい」と友達に話したのを覚えてる。

確かその時「大きなことは許せるのに、小さなことを許すのが難しい」とも言った。

今考えるとその頃私の心ではいつも自他が争って苦しんでいた。
相手が夫でも家族でも。

自分の中を覗きこむと、煮詰めた底の底には「じゃあ私のことはどうなの?」が必ず残っていた。
その観点でなにかを誰かを愛することは確かに不可能に近かった。

愛することが少したやすくなったのは自分が少し大人になったからだろうか。

年をとってシワが増えても、こんな風に成長できるのだとしたらなんて素晴らしいことだろう。

少しずつ自分を自分で満たすことができるようになった。

そうしたらいろんなことがとても簡単になってきた。

愛することも。







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こんなやり方

2017年11月24日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
どうしてこのホームエデュケーションでの関係性は他の団体と違うんだろうと仲間がつぶやいた。
他とは手ごたえが違う、力をもらう、と。

それはね、偶然じゃない。

(もう書いたけど大事なことだからここでも書いとく)

お互いに競争して少しでも自己に有利になることを追求することが「現実」なんだと、広く信じられているけれど。

しかも表向きには表面はとりつくろってきれいに(みんななかよく、とか)しておくのが「大人」とされていますが。


そうじゃない、競争ではない。

一人ひとりがそれぞれらしくあり、協力し共存する在り方もある。

心に嘘をつかず生きる方法もある。


それが私たちのホームエデュケーションの中心にあるからです。

みんなそこを土台として子どもを自分を育てている。

だからどこにでもありふれている妬み嫉みゴシップ悪口足の引っ張り合い派閥作りお山のてっぺん争い仕事の押し付け合い、がない。

そんな場。
仲間。
コミュニティ。

そういう人や社会とのつながり方があることを見せてあげてそれが子どもに伝われば、いずれその子もそのようにつながれる人になる。

それ以上に「教育的」な(っていうか実際に役に立つ)ことってないんじゃないかな。

まともな教育者なら見学させてくださいって来てもおかしくないと思うんだけど。



photo by Tetsu
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文化祭

2017年11月23日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
文化祭で親も出店するんだって話したら、高校生を持つ友達が、面倒だけど資金集めだから仕方ないよねとなぐさめてくれた。

うーんと、違うの。
私たちは親も子も楽しいからやるんだよと答えた。

そうだった、外の世界だとそうなんだった。
学校の世界だと、そうなんだった。

実際にはホームエデュケーションのみんなと口々によかったね楽しかったねと言いあいながら帰ってきた。

無理がなくて不満がなくて思いやるばかりで笑いに満ちていて、いやなとこはひとつもなかった。

ずっとこんな風にエネルギーを出して仲間とつながって楽しく生きていきたいって思うくらいに。

そういうことができるって信じない人もいるけど、できるんだよね。

どこが違うかって?

全部違う。

なにもかも違う。

うそがなく無理がなく争いがない。

それぞれがそれぞれになりたいようになっていく。

それをお互いがよろこびあう。

生きるエネルギーがもっとも効率よくいきいきと回転する交流する発露する。

そんなこと、できるの?

できるんです。



photo by Tetsu
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なによりもまず

2017年11月23日 | 命について

世界は生きるに値する

ひとは家族は社会は

つながるに値する

自分は愛されるに値する

そこを徹底的に気にした方がいい

そこを外したら何も届かない

体に感じさせ

肝に染みこませ

腑に落ちるように

知識ではなく

手段ではなく

ことばではなく

気がつけば自然に

そう感じられるように


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