日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

木の下にいる

2018年02月26日 | 命について
私はものすごく上手くやってきた

多分すごくがんばって

できないことは他のやり方で間に合わせて

それでもだめなところは深く覆い被せて

もともとの自分からしたら

考えられないくらい強く大きく育った

今は大きく繁った木の下に戻って

一番最初のところにあたらめて立ち戻っている

もともとの苦しさともう一度出会って

和解するための時なんだと思う

だから急がず逃げず立ち止まっている

一番小さな自分とゆっくり過ごしている

その後にどんな風景が見えるのか

さっぱりわからないけれど

楽しみにしている

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言ってもだめ

2018年02月23日 | 苦しむ人とともにあること
しみじみ思うんだけど

苦しむ人がすぐそばにいるとして

「元気になって」って言っても何にもならない。

本当に元気になってほしくても

その気持ちが本当だったとしても。

だって自分が言われたとして

元気になる?

言われてそうなるんなら便利だけど。

「しあわせになって」

「元気になって」

なったら魔法の呪文だよ。

じゃあなにもできない、なにも言えないかしら

そんなことないと思う。

ちょっと元気が出ることを言ったりしたりすることはできる。

ただそれは、元気を出して、じゃないんだよね。





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2018年02月17日 | 命について


普通の大人がやっているようなこと

普通にやるべきなこと

何もうまくできない

本当はきちんと家を整えたり

美味しいお料理を作ったり

お金や書類を管理したりができたりしたいのに

管理したり(されたりも)

全くできない

けれど

広く深く見ることができるので

本質的に必要なことができる

命が流れたいように出会いたいように

手助けできる

こんなに変なデコボコなかたちだけど

これが私に与えられたかたち

全部そのまま見て抱きとめて

与えられたものを返していきたい





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勇者の口笛

2018年02月16日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
朝、階段をとんとん降りてくる足音と一緒に、調子のいい口笛が近づいてくる。

バタンとドアが開いて「寝坊したー!」と娘。

「じゃあ送ってあげるから早く支度しな」

「ありがと!」


口笛が聞こえるとうれしい。

昔この家には悪夢にうなされる悲鳴が聞こえていたから、口笛ならどんな馬鹿な歌でもうれしい。

しかもこの娘は「いってきます」と出かけていくのだ。

外になんて出られなかった娘なのに。

「いのちのきけん」があって会えないことも

ただの会話すらできないこともあったのに。

「普通の人が普通にすること」だったとしても

そんなこと全然関係ない。

こうやって育っていく子どもたち、みんな、私には勇者に見える。

今は苦しんでいる子どもたちもみんな、助けようとしている親もみんな、私には勇者に見える。




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どうしたらいいかわからない

2018年02月12日 | 苦しむ人とともにあること
すぐそばに苦しそうな人がいて

どうしたらいいのか考えて

考えても考えてもわからなくて

考えすぎなのか

考えなすぎなのか

考えて

考えるのをやめて

ただいるようにして

でもね

ふと思った

それは案外、悪くないことかもしれない


いつも傍らにいて

自分に問い続けて

その時その時の

どうしたらいいかわからない、に居続ける

とてもむつかしい

辛いことだけれど


間違えた正義を押し付けるより

例えなんの力にもなれなかったとしても

それ以外のあり方は

もしかしたらないのかもしれない








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