仕事が終わったところで少し気が抜けてて
ぼんやりしてて
そんな気はなかったんだけどうっかり素になって
ねえほら見て見て、って言ってしまって
たまたま隣にあったクッションにもたれるように素手で話しかけた
あー
まずかったか
と思ったら
やっぱり後でその人の目がちょっときらきらしてた
ごめん
最近使ってなかったけどまだ使えるんだ、魔法のこな
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仕事が終わったところで少し気が抜けてて
ぼんやりしてて
そんな気はなかったんだけどうっかり素になって
ねえほら見て見て、って言ってしまって
たまたま隣にあったクッションにもたれるように素手で話しかけた
あー
まずかったか
と思ったら
やっぱり後でその人の目がちょっときらきらしてた
ごめん
最近使ってなかったけどまだ使えるんだ、魔法のこな
生きていけるかな
暮らしていけるかな
座って頭を抱えて考えてたけど
そうだ
そうだった
もう生きているんだった
というか生かされている
座ってる場合じゃない
できる間に
生きるんだ
いろいろ言ったりじたばたしたりしたるけど、要するに私はこの地に生える一本の毛/草みたいなものだから。
大きなものが動いていく時に何ごともなくいられるわけもない。
きゃーっと揺られてつぶれたりもするかもしれない。
ただし
ひとつかみの土であれ一個の小石であれ、ただの土もただの石もない。
毛も草も土も大地も空も、同じものでできている。
同じものの違う表れ。
小さなここを大切に守り、大きな世界を抱くように暮らすのだ。
時には湿ったり
あるいは乾いたり
静電気を帯びたり放出したり
柔らかく風になびいたり
せめて一本の毛の役割を果たすのだ。
何年か前の冬の夜のこと。
昔からある賑やかな商店通りに今ではもう珍しい占い師が座っていた。
ほら道端にあの四角い灯籠みたいな灯りを灯した小さな机に座っているやつ。
灯りには手相とか顔相とか書いてあって看板と宣伝を兼ねている。
通り過ぎながら見るともなく見ていて、ふうん顔相と目線を上げたらその占い師と目が合った。
若くはないけど年取ってもいない女の占い師だった。
ぼんやりとした意識にダウンロードされるように情報が入ってきた。
(とても情に厚いところがあるけれど
(神経質なところがあり苦労している
(そして頑固
(近くに近親の男性がいてよく言い争っている
え?そういうのが顔相なわけ?
微かな期待をこめてこちらを見る彼女から視線を外し足を緩めず通り過ぎた。
うーんと、結構です。
遠い街に行くことになったので、その街に住むともだちにご飯でも食べませんかと声をかけた。
ついにその街にやってきたのは長い旅の終わりで大概疲れてもきていたので、会おうと言ったけどどうだったかなとちらっと浮かばないでもなかったけど、雨の予報に折りたたみをバッグに入れて会いに行った。
一緒にあったかいうどんを食べてお土産ものを冷やかして家族にとひとつ買ってもらってお茶をしておしゃべりをしてではまたねと別れた。
会うっていうのはすごいことだね。
なんというかその人だけに会うんではなく、その人に向けて開かれた私とも会うということなんだな。
誰に言っていいのかわからないからこの街にも降ってきた雨に言おうかな。
ありがとね。