日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

年末

2018年12月31日 | 日記
カートを押して鮮魚お節コーナーにさしかかったら繰り返し再生されるそれが聞こえた。

「ご家族そろって」
「一家だんらん」
「しあわせのひと時」

あーこれは呪いだな、と思った。
呪いじゃなければ呪文。
同じか。

ただスーパーで買い物するだけだって私たちはこんなに「こうあるべき」に晒されている。

足元をすくわれないよう、落ち着いていこう。

年末年始もみなさまが健やかでありますように。

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お終いのご褒美

2018年12月28日 | 日記
フラワーセンターの年内営業終了一時間前に滑り込んで

誰もいないバラ園を独り占め

バラの匂いかぎ放題

の、おすそ分けだよ













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弱っちいのは弱くない、かも

2018年12月27日 | 命について
勝ちに行くならそれなりのやり方があるだろう。

勝ち負けを否定してるわけじゃない。
もっと早くもっと強くどこまでも遠く誰よりも高く、っていうドライブが生きること、正確には生きてる間にはあるけれど、それだけではない。
生きることには勝ち負けを超えた、勝ち負けの外が存在すると思う。

すぐ近くの横並びのライバルだけ見てたら勝ち負けだけで話は済むけれど、本当に重大な事柄はそれでは解決しない。例えばいざ自分の命の終わりを感じたらなんの役にも立たない。

その両方を見ながらそこにいられたら立っていられたら、いいような気がするんだけど。

だから弱っちいのは弱いようでいて弱くないかもしれない。

何が違うかっていうと、ちゃんと世界に向かって開いてるかどうかってことじゃないかな。

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弱っちいのに教わる

2018年12月26日 | 命について
昨日、歯医者が隣に座って、保険の事務的な手続きのことで詰め寄ってきた。
言葉の使い方は普通なんだけれど、押し付けてくる圧の強さから彼が相当憤慨しているのがわかった。
一月いっぱいは待ちますけれど、と彼の考えた譲歩案の提示はとても丁寧な脅しに聞こえた。

弱っちいのが真ん中にいる私は腹が震え上がって、すぐさまそれを誰かにぶつけたくなった。

強いのが真ん中だったら交戦してたかな。

落ち着いて。
電話を一本かけて。
確認したことを歯医者に伝えたら解決した。

すごくわかったのは、正しいことって何の役にも立たない。

正しいことを掲げて、私たちは本当は何をしたいのか。

人を責めて勝ち負けで争っている限り、何も本当には解決しない。

それを自分に当てはめて‥







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弱っちいの

2018年12月25日 | 命について
自分の中にいくつかキャラクターがいるとするでしょ?
その中の一番弱っちいやつを慎重にセンターに配置して、(私)っていう玉乗りを任せるの。
一番弱っちいから当然ふらふら揺れたり動揺して落ちそうになったりするじゃない?
そこからほろほろ出てくるものを拾いつつ、弱っちいやつを落ち着かせる。
大丈夫、大丈夫って。
背中の上の方、肩甲骨の辺。
そこの力が抜けるようにする。
そうするとね、弱っちいやつでもちゃんとやれる。
いろいろバリア張らずにちゃんとそこにいられる。
若い頃、昔だったら迷わず一番強いキャラクター使ったよね。
勝つ、でなければ、負けないのが目的だったから。
でも今は違うんだなあ。
違うゲームをしている。

遊び方も変わっていくんだ。

面白いなあ。




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