日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

ヒッポウさん

2018年03月31日 | 出会った人たち
ヒッポウさんはブトウカだ。
戦う方じゃなくて身体表現の舞踏家。

去年、舞台を観に行った。

幕が開いたら三匹の蝦蟇(がま)。
みんな後ろ姿なのに、私の目は最初からヒッポウさんだけを見ていた。

舞踏のことはわからないけれど、半端なものじゃないってことはよくわかった。

中ほどのソロ(っていうのかしら)が圧巻だった。
舞台に立つヒッポウさんは白塗りで、ほぼすっ裸。
でも裸の必然性は、絶対に、ある。

斜めにあたるライトの中
震えるおんなが少しずつ歩く
なぜここにいるのか
どこに向かうのか
何もわからずに
この上なく心もとなく裸で
守るものはなにもないのに
向かう先には死が待っている
おんなは恐ろしい
恐れながら一歩
よろけて
眇め見て
一歩

私たちは恐ろしい
けれど向かう方向はひとつしかない
恐れつつ近づく
見えないロープに引き摺られるように
一歩また一歩

何も知らされていないのに
私たちはみな舞台の上で生まれる

そして一歩

また

一歩


「女中たち」
筆宝ふみえ



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小さな私

2018年03月30日 | 命について
楽しい気持ちで旅行に出たのに、ちょっとしたおしゃべりにもゴリゴリぶつかる人がいて、30分くらいで私はすっかり静かになった。

せっかくウキウキしてたのに
キライ、と私の中の小さい私がいう。
目をギラギラさせて、キライ、という。

そうか、キライだね。

あの人がキライ?

そしたら違うんだ。

キライというのは私に言っている。
他の人のせいで小さな私を後回しにする
大きな私がキライ、らしい。

なるほど、そうか。
わかった、わかった。
後回しにしないから楽しくしておいで。
誰かに委ねないで、ちゃんと自分は守る。

そうしたら不思議。

小さい私も大きい私もなく

その人といても楽しい。

なんだ。

まちがえていたのは、やっぱり私だったんだ。


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地図にない道

2018年03月30日 | 命について
私に見える夢みたいに綺麗な景色を
あなたにも見せてあげたい

外的な要因に規制されない
明るくどこまでも広がる地平を

自分を自分で制限して刈り込んでいたら気づかない
目立たない小さな角をほんの一つ曲がる、それを繰り返す

自分の中の音楽に耳をすませて踊れ

何のために生まれてきたのか

何のために生まれてこなかったのか
(隠して馴染んでたわめて死ぬため)

思い出せ

自分の着たい服を着ろ

笑いながら

走りだせ


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動物園

2018年03月29日 | 生きづらい人
待ち合わせの公園口改札に着いたら、思っていたよりも参加人数が多かった。
私と娘とウタコたちくらいだと思っていたのに。

行きますよー、と人波があふれる交差点を渡って、一行は動物園を目指して動き出した。

まとめ役の若いひとにご迷惑をかけないようにしないとね、と思ったとたん、どこか奥でカチッと何かのスイッチが入った。自分がちょっとオカシクなるのがわかった。

あえて名づけるなら、私の中の自由とオートノミーが脅かされる緊急モード。
野生動物がエスケープルートを見失ったぞ、みたいな。

あー、私は、こんなにも集団行動が苦手なんですね。

誰も説明はできないけれど、学校にいられなくなる子どもたちの何割かには、こういうようなことが起こっているのかもしれない。

順路を確認するお手伝いをしたり、この後こちらはどうかしらと提案したりしたけど、まあ、それも、静かに群れの一部になる能力が低いための一種の回避行動なのかもと思う。

行先を委ねて、ついていくことが苦手。
こんなに優しい仲間でも。

気づいたらはぐれていて電話をもらってしまいました。大人なのに、すみません。

それでもみんなで1日楽しく過ごしました。
帰りには念願のみはしでクリームみつ豆を食べた、美味しいねって言いあいながら。

この日も勉強になったなあ。
動物園で動物行動学、対象の動物は自分だったんですけどね。






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今日のひとこと

2018年03月28日 | てい子日記
ソファで寝っ転がってた娘がこっち向いた。
その顔はちょっと夢みがち。

ねえねえ、お母さん

この世界が成り立っているものが
矛盾がないってすごくない?

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