日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

てい子だ!

2017年07月21日 | 日記
娘、てい子の久しぶりの投稿だ!

もう忘れてるかと思ったよ。

久しぶりに読んだてい子「お母さんポエミー多すぎ」ってダメ出し。

取材NGの秘密の彼の方(という枕言葉がつく)息子も同感らしい。

「ブログっていうのは基本的にポエムを書くとこじゃないから。

感想?ブログ(中身)読んでないから。」

はー、そうですか。

まあぼちぼちやります。

(特に変えるつもりはないです)

(ふふ、いい子たちです)

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てい子ですよ

2017年07月20日 | てい子日記
こんにちは、てい子です。
まにまにがポエミーばっかりで( ՞ټ՞ )だから選手交代ですよ。

今日は、キキの写真を載せて自慢したり
最近取り組んでることについて書こうと思ってます٩(。•ω•。)و
↑顔文字を使うところも、まにまにと違うでしょ〜。

まずは、キキの写真から!



どうどう?可愛いでしょ!
(完全なる親ばか)

ほかにも…



こんなのとか!
猫っていいですよねぇー。
でも、犬も好き。飼いたくないから、
(お世話する余裕がないのです)
他の人の犬を見てまにまにとコソコソ話してるんですよ〜。

まにまにが、「攫っちゃおうか」とか言ったり、大騒ぎなんてす。
攫っちゃおうかとか言うって、悪いでしょ?

私たちは車から散歩してる犬を見て、ワイワイしてるけど、
きっと犬を飼う日は来ないだろうな。

もし、家の前にボロボロの子犬が落ちてたら
飼うことにしようねとは話してるんですけどね〜。

でも!今一番マストな動物はたぬきです!
怪我してる子だぬきが庭に落ちてたら保護しちゃっていいよね!って
まにまにと話してるんですよ!(*´艸`*)プププ


だいぶ話が脱線しちゃいました。

そうそう、今やっている活動!
今度、磯遊びサークルの第一回が近所で開催されるので、
案内人の家族として、しおりを作ったんですよ〜!






すごくしおりっぽいと思いませんか!?
二時間くらいかけて作ったんですよ〜。
でも、ミスしてしまって、印刷の時大変でした。
切って組み合わせてやり直しです。
我ながら、なかなかいいものができたのではないかと、自画自賛しております(ノ∀`)タハー

そんな感じで今日のところはおしまいです。
また、まにまにが( ՞ټ՞ )になったら出てくるかも。
まにまにの日記がアレだから、できるだけ平和に、バカっぽく書いてみたけど、うまく出来てるかな?
それではまた〜( ε: )三(.ω.)三( :3 )ゴロゴロゴロ
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親孝行とか人助けとか

2017年07月19日 | 日記
親孝行だと、いつも言われます。
否定するわけじゃないんだけど。

親孝行ね、そう言われると
頭の中で私は金魚のように口をパクパクさせる。
だけど言葉は出てこないんだなあ。
とりあえず一言では説明できない。
ある時ちょっと母の友人に言いかけたら、そうそう、そう思うと言われた。
むつかしいけれど再度挑戦します。

親孝行とは。

私が思うにこれは他のいろんなことと同じく一つの共同作業ではないか。

親が子どもにこうあって欲しいと望み、孝行し、されるような関係性を築き、育て、子どもがその気持ちに応えた時に発現するもの。
母はおそらく、親孝行な子どもを持つ母でありたかったのだと思う。
もし母が、人のことはいいから遠くに飛んで行きなさいという人だったら、私は親孝行な娘にはならなかったのではないか。
ともかくこんなに人に言われるほどには。

相互に作用する「親孝行」なのだと思うんです。

(あー、気をつけなくちゃ、娘がちょっと親孝行すぎる)


たまに、人のことばかりしているねとも言われます。

これもどうなんだろう。

手伝う、助ける、も共同作業で
助ける役と助けられる役が一緒に
「助け合う状況」を作るのだと思う。

私は自分の世界に「たすけあう」「支えあう」があって欲しい。
自分が動いて相手がつきあってくれてそれが出現するなら、対等な立場の共同作業だと思う。

役柄は交換可能だし、ほんとにお互いさまだし。

助けているように見える人だって
助けられている側面もある。

教えているように見える場合も
本当は教えられている。

そう思うようになったら
助けてもらうこともうまくできるようになりました。


なかなか説明してもわかってもらえないけどね。






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死化粧

2017年07月16日 | 死について
死化粧、最近はエンゼルケアというんですよ。

母が亡くなったのは連休中だったので、いつもの訪問看護ステーションはお休みでした。
どうしたらいいかなと少し悩んでお友達に相談したら、街のイスキア訪問看護ステーションという素敵なものを作った石川麗子さんが親切に教えてくれました。

まずは入れ歯があったら入れてあげて、アロマオイルかクリームで顔と首をよくマッサージ。

他にもクーラーでなるべく涼しくとか口をきれいにとかいろいろあったんですが、とにかく「撫でさすれ」と言われた気がして、娘の作ったアロマ入りクリームで母の顔と首をマッサージしました。

一通り終えたので、ふと思い立って足元の布団をめくったら母の足が。
何故か顔ではなくその足が。
いつも撫でてさすって動かしていた、もしかしたら自分の足より親しいその足の色と形と手触りが。
小さなハートのあざまでも胸に迫って
懐かしくて、懐かしくて。
愛おしくて。
圧倒された。

形を持って存在するとはこういうことかと思い知った。


お棺の母の最後のお顔は驚くほど綺麗でした。
一つの皺もなく真珠のようにつややかで。
誰にも届かない場所で静かに想いにふけるようで。

マッサージの効果も少しあっただろうか、そうしたら最後の親孝行だなと思い、写真に残したい気持ちを抑えてお別れをした。





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新盆

2017年07月16日 | 死について
鬼灯を吊るして提灯に灯を入れる。
(コンセントにコードを差し込む)
不親切な取説に悩みつつ息子も手伝って組み立てたので、回転した時に小さい歓声が上がった。
ゆっくりと走馬灯のように色とりどりの花が動きだす。

祖母にそっくりになった叔母が茄子を切って葉の上によそい、これで水を振りつけるんだよと地味なピンクの花の束を湯飲みの水に浸す。
なんのまじないなのか意味もわからず、少し笑いながら真似をする。

聞けば理屈はわかる。

亡くなったひとのたましいを墓か川辺で迎え火を焚いてお迎えする。
その火を移し提灯で家まで連れ帰りお線香に火をつける。
親戚が集まり生者死者が共に過ごし、賑やかに縁を結び直す。
一定期間が過ぎると反対の儀式をして、死者を彼方に帰す。

世界の他の場所でも様々に死者と過ごすやり方があるけれど、おそらく重要なのはそのような機会をきっちり作っておくことでその他の時には「お帰りいただく」ことなのではと思う。

線を引いて、人の力の及ばない事象を意識の受け取れる形にする。
儀式やしきたりの形で生活に織り込む。
無防備で柔らかい心を守るために。

そうやって死とのつきあい方を初めから心に組みこんでおけば、近い人の死を何年も引きずり苦しみ、死んだ人と一緒に生きなくてすむから。

本当は白い提灯を用意するんだよ、と言われた。

母は白い提灯、欲しかっただろうか。





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