日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

どこまでが太鼓

2019年06月17日 | 命について
イベント前に太鼓を叩き「ここだと低い音が出ない」と作曲家・打楽器奏者の佐藤正治さんは言ったそうだ。
会場の床のせいらしい。

「そうすると」

我らが禅マスター、藤田一照師は問いかけた。

「床までが楽器ということですかね」

それだけじゃない。
天井ももちろん、出る音に影響する。

「とすると、天井までが楽器なんですかね」

それどころか観客席に毛皮を着た人がいるかどうかでも音は変わると、佐藤さんは言ったそうだ。

空気も湿度も、音の届くそれぞれの鼓膜も。

予め決まった形があるのではなく、その時の巡り合わせで生成され立ち上がる音、あるいは世界、あるいは私。

その濃ゆいところが楽器(これは例えば楽器でなくても肝臓でも)だとして、全体は分かち難く渾然と一体としてある。

つまり「不可解」、分割や解剖できないということ、と一照さんは言った。



https://www.facebook.com/events/366587180654091/?ti=icl

2023/8/26 追記
ユニットモデルではなくプロセスモデル
分別ではなく無分別に基づいた智慧

自分をもユニットモデルで分解したら死ぬぞ



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Truth Tree Theory

2019年06月16日 | 命について
なんか長い名前だけどシンプルな仮説を考えついた。有用な考え方だから自分でも忘れないように名前をつけた。

正直さ、についての "Truth Tree Theory"

どのくらい正直かは割と他人に伝わるもので、人間関係にもかなり影響があるけれど、それは正直であることの一番大きな効能ではない。

もっとも重要なのはその後の思考、物事の転がり方、展開しかた、だ。
不恰好でも正直であれば1つのステップになり、速いスピードで次の段階に進んで行く。
嘘のない形にするということには、そういう作用がある。
格好つけたり不純物を含む言葉、要するに武器や防具になった言葉は、決してそういう効果を生まない。
見た目は変わらなくても、生命力が全く違う。

「ほんとう」の言葉は生きた枝で、そこから先に伸びていく。枝分かれしたり葉も花も生み出すことができる。
偽物は生きていないからそんなちからはない。

別になにもかも言わなくてもかまわないけれど、使う時には心して使おうという「真実の木」理論。






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天女の整体

2019年06月15日 | 出会った人たち
夜の間、夢うつつに何度も足がつった。
これはやっぱり揉み返しみたいなものなのかな。
天女みたいな人の整体を受けたから。

そのひとはほとんど私の体は動かさず、時々そっと触れたり動き方をみたりした。
ヨーガみたいな動きをしてくださいと一度だけ言われた(その人はヨーガの研究者で実践者で指導者でもあるから)

時々体が勝手に反応した。

頭の後ろがふにゃふにゃになってマットレスに滴り落ちていったけど、それまで力が入ってたのかな。
どことは指させないけど、えー、そんなところそんな風に開くんだ!とびっくりしたり。

物理的な力を加えられたことはなかったはずなのに、体中の骨をばらばらにしてもう一度組み立てられたみたいだ。
関節や内臓の間に空間ができて、つまりがなくて通りがいい。
体の中の風通しがいい。
配線を全部し直した感じ。

えーと、でも、開腹じゃないけど手術後みたいなズタボロ感があるんですけど。

あんなにたおやかな佇まいで、もしかして思い切りよく大鉈を振るっていましたね?

終わった後は顔と声が違うと言われた。
自分ではよくわからないけど、そういえば重さが消えて動きやすい。軽い。

気がついたらしばらく来てなかった海に来ていた。



http://www.mosst.jp/yoganandi/lesson_private.html
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ヒッキーヒッキーシェイク

2019年06月14日 | おすすめ
昔は馬鹿みたいに本を読んでいた。

家のあちこちに積み上がった本が蟻塚みたいだった。

数年前に瞑想を始めたら認知構造が変わったみたいで、本が読めなくなった。

去年娘の友達のタケルが貸してくれた「君の膵臓を食べたい」をなんとか読んでこれが最後の小説かもと思ったけれど、ちょっと縁もあり話題になっている「ヒッキーヒッキーシェイク」を昨日夫に渡されたので読んでみた。

うーん、うなった。

不登校、オタク、引きこもりといった100%リアルな材料を使い、ロマンスなんか目じゃない「人が人といる良さ」(まあ、ぶっちゃけ愛)を。
すれっからしとユメとキボウを。
大人が満足する深い味わいを結果的に感じさせる軽妙なタッチで。
良質なエンタメ性はもちろんありつつ安易に流されず。
格好はつけず、でも格好良く、ね。

というお題があったとして。

そうそう書けないよ?

かっこいいですね、津原泰水。









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したいことをするのだ

2019年06月13日 | 命について
ここにいるってことが、当たり前じゃなくて一回限りのとても貴重な瞬間だと思うので、本当にやりたいことをするんだ。

ちょっと嬉しいからとバンバン無駄遣いするようなことはしたくないけど、「こういうことをしたかった」というチャンスは逃したくない。
生きて巡り合ったということの方が貴重かもしれないから。

同じに見えても空虚さを埋めるためにやることと、これはやってみたかった!と満足することは違うと思うんだ。

どのように味わうか、が違うのかな。

たとえばそれがソフトクリームを食べるということだったとしても。



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