ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

伊達政宗 1

2007年12月14日 18時48分35秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
伊達政宗騎馬像


ちょっとだけ政宗に触れてみよう。


時代背景は
戦国末期から江戸初期の大名です。

陸奥:仙台藩祖

出羽:米沢城主、伊達輝宗の長子。

政宗公は、満海上人の生まれかわりと人々は信じていました。

政宗公誕生の秘話があります。

幼名を梵天丸と名付けられた理由が、これなのかと思いましたよ。(^_^)b

この話しは、後程いたしましょう。


11歳で元服

13歳の時、三春城主(福島県)田村清顕の息女
12歳の愛姫(めごひめ)と 結婚


15歳で初陣しています。


18歳で家督を嗣ぎ十七代当主となる。

身長は 159.4センチメートル。 当時の成人男性の平均的な身長でしょう。




家 系


初代:藤原鎌足

2代:不比等

(略)

8代:山陰(中納言、料理『四条流』祖)

(略)


17代:朝宗/文治5年、源頼朝より伊達郡を賜り、伊達と称す。 伊達氏第一世の誕生である。


(略)



伊達9代:政宗(法名:儀山)室町時代


(略)



伊達17代:政宗 (法名:貞山)初代 仙台藩祖 となるわけですね。



伊達家では、11世 持宗から輝宗までの6代は、足利将軍から名を一字拝領して名前をつけていたようです。

(例)将軍 足利義持の時は、「持宗」 足利義輝の時は、「輝宗」とする習わしでした。

しかし、政宗公の襲名の時、室町幕府は倒されていたので、父輝宗は伊達家の中興の祖

九世政宗の名を襲名させたのです。

梵天丸は最初辞しましたが、父の命にしたがいました。

政宗への期待を意味します。




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