ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

小牛田駅

2009年11月12日 17時32分40秒 | 鉄道&航空&宇宙
小牛田駅

小牛田駅の駅名の由来

かつてこの地域は小田郡に属し「小さな小田」という意味の「小小田(こおだ)と呼ばれていました。
藩政時代になって、隣村・牛飼村の頭文字を入れて小牛田と読ませるようになったのではないかといわれています。
 また、小塩田村(現在の田尻町小塩)と牛飼村の間が開発され、そこにできた新しい村に双方の頭文字を採用し、江合川を挟んだ北側を北小牛田、南側を南小牛田と呼んだという説もあります。
 慶長六年(1601)に書かれた伊達政宗の黒印状に「こご田」という地名が表記されていることから室町時代末期、この地方を支配していた大崎氏の時代には、すでに地名として成立していたものと推察されています。

この地名の由来を受けて、明治二十三年(1890)四月十六日、東北本線が当地に開通した時、小牛田駅が開業しました。

                           参考資料「小牛田町史」





小牛田の牛飼(うしかい:地名です)には昔話があります。
内容がうろ覚えなので記事にしていなかったのですが、良く、ご飯を食べた後に横になると「牛になるぞ!」言われたことがありませんか?
その話がこの町にあるのです。
乞食が坊さんの振りをして農家の家に住み着き、それがバレテ牛になってしまう話です。
適当に書くわけにもいかず、遠慮してました。
しかし、この謂れは各地にあるようですね。


また、この駅が登場する話を以前書いてました。
駅のアナウンスが訛ってましたね~



モノクロ写真は、「昭和の仙台」アーカイブス出版 ¥4700から

バスは「陸前バス」=陸前乗合自動車かと・・・1964年5月22日栗原電鉄と陸前乗合自動車が合併し宮城中央交通設立

1970年10月 宮城バス・宮城中央バス・仙南交通の3社の合併により、宮城交通株式会社ができました。

コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 仙台スナップ | トップ | アラハバキ神と謎の古代史「... »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昔と今 (モコ)
2009-11-12 19:38:05
随分と様変わりしていますね
昔の方が雰囲気良いですねぇ~
やっぱり朝ちゃんは昔の人でした
返信する
Unknown (ほでなすいっく)
2009-11-12 19:56:39
小牛田ってなんで『午』じゃなくて『牛』なんだろうって思ってましたが、牛飼からきてるんですね
他県から来た知人は『こうしだ』って読みました
返信する
モコさんへ (ひー)
2009-11-12 22:21:05
昔の町の駅はどこもこんな感じでした。
ここは、大きい方かな?
返信する
いっくさんへ (ひー)
2009-11-12 22:25:28
小牛田の牛飼には、昔話があります。
うろ覚えなので、記事に出来なくて居ましたが。
良く知っている話ですよ。
この記事に追加します。
内容はうろ覚えなので、書けません。
返信する
Unknown (桃源児)
2009-11-12 23:06:34
食べてすぐに寝ると牛になる話、ここに伝えられているんですね。他にも伝わっている所があるんでしょうか。
モノクロ写真の砂利道、今はこういう道もめっきり見なくなりましたね。寂しいです。
返信する
桃源児さんへ (ひー)
2009-11-12 23:20:00
食ってすぐ横になると牛になる話は、ここが発祥と思いネットで探しましたが、他にもあるようです。
あらすじはわかるのですが、正しく伝えるために書かずにいました。
返信する
お晩です (あーさん)
2009-11-12 23:46:02
大昔のことで自信がありませんが、鳴子へ行った時に通ったような?

車だと、滅多にその土地の駅には行きません。
いかんなぁ
返信する
蒸気機関車の転車台はまだ残っているはず (クロンシュタット)
2009-11-13 05:57:36
陸蒸気が通ると火の粉が田んぼに燃え移る云々・・・
東北本線は仙台からは奥州街道を大きく外れて敷設されました。
おかげで街道沿いの旧来の大きな町は寂れ、鉄道沿いに新興の町が栄えました。
栄えた町の代表が小牛田ですね。鉄道の町として全国的にも有名になりました。

3路線も鉄道が集まっているのに、ホームが2本しかありません。
国鉄全盛時代には、やりくりに苦労したお話が残っております。
私も秋田の両親の実家へ、急行千秋で何度も通った駅です。
饅頭屋さんも大活躍していた時代でした。
返信する
あーさんへ (ひー)
2009-11-13 07:29:06
確かにそうですね。
これから、駅舎には立ち寄りたいと思います。
駅は駅でも道の駅になってしまいましたからね。
鳴子はここで乗り換えだったかも?
返信する
クロンシュタットさんへ (ひー)
2009-11-13 07:38:56
山の神饅頭と参拝は古くから行われていましたからね。
鉄道を敷くにも、政治的な影響や未来を考えて敢えて方角を変えることもあったでしょう。
仙台も政治家の力で現在地に建てられましたが、成功だったのかも知れません??
古い地図を見ても、なんでここで曲げたの?
と思います。
仙山線も山形に向かうのに反対方向に出発しますからね。
返信する

コメントを投稿

鉄道&航空&宇宙」カテゴリの最新記事