昔
津軽、八戸地方では生まれながら幼くして盲目・半盲目になってしまうと、男の子は門付け・
女の子はイタコになるしか生きる道はなかったのです。
どちらも、生活の糧の為に師匠に弟子入りし厳しい修行を経て、能力を身につけ独立して行くのです。
門付け芸人
盲目の旅芸人達がその日の糧を得る為に、家々を回り三味線を弾いて、言葉は悪いが金銭を貰ったり物もらいをして歩く。
イタコ
恐山で有名な「口寄せ」により、死者の世界にいる先祖や肉親・知人と現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する「仏降ろし」や「神降ろし」と言われる神の言葉や意志を語るものなど予言的なものを伝える。
物事の善し悪し、安全祈願、病気回復といった悩みを解決してもくれる。
五所川原に行くと津軽三味線発祥の地の碑がある。
近くには太宰治の斜陽館や三味線会館などがあり、津軽三味線を聴かしてくれる。
津軽三味線を広めた第一人者である、高橋竹山(たかはしちくざん)も門付けの一人であった。
3才で麻疹にかかり重度の弱視となった。
戸田重次郎から三味線を習い17才頃から東北北部・北海道を門付けしたという。
22~23才頃には完全に失明した。
津軽の冬は厳しい、普段は師匠の足音を聴きながら、ついて行く弟子の子供達も、吹雪の時
は風の音で師匠の足音が打ち消されて迷子になってしまう。
そんな時は、みんなロープに繋がれて歩いて行くのだ。
さぞかし、寒く冷たかったろう。
今、我が子にそんな事が出来るだろうか……
想像しただけで涙になる。
門付けに出始めた時は、まだまだ上手に三味線を弾くことも出来ず、どこへ行っても門前払い……
辛い日々を過ごしたという。
そんな時、いつも竹山を温かく迎え入れてくれた所があった。
『さぁさぁお入りなさい、お腹空いたでしょ』
これも食べなさい、それも食べなさいと親切に受け入れてくれた。
そこは、朝鮮人のだったのです。
後に彼は、コンサートの最後に必ず弾いた曲があった。
あの辛いとき、お世話になり教えてもらった歌『アリラン』だった。
彼の話しはまだあるがこの辺にしておこう。
イタコは、恐山大祭と秋詣りの年2回、会うことが出来ます。
大祭の前日から入っているイタコもいます。意外と穴場かも?
イタコの口寄せは、津軽弁で行われるから他県の人には意味がわからない……
しかし亡き人の言葉だと思うからありがたく思うのだろう。
最近はわからないのだが数年前には、若い霊感のある女性がイタコとなり小屋を並べていた。
長い行列が出来るほどだ、何故かというと当たるのもあるが標準語だから聴きやすい。
光を失い
自立しなければ食べていけなかった時、私に出来るだろうか……
津軽、八戸地方では生まれながら幼くして盲目・半盲目になってしまうと、男の子は門付け・
女の子はイタコになるしか生きる道はなかったのです。
どちらも、生活の糧の為に師匠に弟子入りし厳しい修行を経て、能力を身につけ独立して行くのです。
門付け芸人
盲目の旅芸人達がその日の糧を得る為に、家々を回り三味線を弾いて、言葉は悪いが金銭を貰ったり物もらいをして歩く。
イタコ
恐山で有名な「口寄せ」により、死者の世界にいる先祖や肉親・知人と現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する「仏降ろし」や「神降ろし」と言われる神の言葉や意志を語るものなど予言的なものを伝える。
物事の善し悪し、安全祈願、病気回復といった悩みを解決してもくれる。
五所川原に行くと津軽三味線発祥の地の碑がある。
近くには太宰治の斜陽館や三味線会館などがあり、津軽三味線を聴かしてくれる。
津軽三味線を広めた第一人者である、高橋竹山(たかはしちくざん)も門付けの一人であった。
3才で麻疹にかかり重度の弱視となった。
戸田重次郎から三味線を習い17才頃から東北北部・北海道を門付けしたという。
22~23才頃には完全に失明した。
津軽の冬は厳しい、普段は師匠の足音を聴きながら、ついて行く弟子の子供達も、吹雪の時
は風の音で師匠の足音が打ち消されて迷子になってしまう。
そんな時は、みんなロープに繋がれて歩いて行くのだ。
さぞかし、寒く冷たかったろう。
今、我が子にそんな事が出来るだろうか……
想像しただけで涙になる。

門付けに出始めた時は、まだまだ上手に三味線を弾くことも出来ず、どこへ行っても門前払い……
辛い日々を過ごしたという。
そんな時、いつも竹山を温かく迎え入れてくれた所があった。
『さぁさぁお入りなさい、お腹空いたでしょ』
これも食べなさい、それも食べなさいと親切に受け入れてくれた。
そこは、朝鮮人のだったのです。
後に彼は、コンサートの最後に必ず弾いた曲があった。
あの辛いとき、お世話になり教えてもらった歌『アリラン』だった。
彼の話しはまだあるがこの辺にしておこう。
イタコは、恐山大祭と秋詣りの年2回、会うことが出来ます。
大祭の前日から入っているイタコもいます。意外と穴場かも?
イタコの口寄せは、津軽弁で行われるから他県の人には意味がわからない……
しかし亡き人の言葉だと思うからありがたく思うのだろう。
最近はわからないのだが数年前には、若い霊感のある女性がイタコとなり小屋を並べていた。
長い行列が出来るほどだ、何故かというと当たるのもあるが標準語だから聴きやすい。
光を失い
自立しなければ食べていけなかった時、私に出来るだろうか……
雪で足音が聞こえないから迷い子に・・・
胸が詰まります。
家に居ながらにして世界中の事が分かってしまい お金さえ有れば何でも手に入る こんな時代を知ってしまった現代人には おそらく耐えられないと思いますが、もしそうなったら?
悲しいかな 答えられないですね~!
竹山さんの波乱万丈な人生は悲しいものです。
仕事がら、障害者とも接することがあります。
自分に置き換えると、辛いものがありますね。