
記事で紹介できなかった写真をアップしておこうと思います。
境内図です。
楼門
「鹽竃」の名の由来は、境外末社の御釜神社の御神竈。
鹽土老翁神が、当地で塩の作り方を教えたという。
左右宮に祀られる武甕槌命・経津主命は、鹽土老翁神が先導して当地へ迎えたもの。
とすると、主祭神は鹽土老翁神と考えられるわけだが、
これらの祭神は、四代藩主伊達綱村公が元禄六年(1633)、
家臣の識者に命じて撰述した『鹽竈神社縁起』によるもの。
本来の祭神であるかどうかは、不明ということらしい。
御釜神社(おかまじんじゃ)は、近いうちにご紹介します。
塩釜神社の創建は、はっきりしていない、多分私の想像であるが、多賀城に国府が築かれた頃だと思う。
その近くに総社の宮がある、歴史的には、重要な役割をしているはずです。
塩釜神社と国府の間を取り持っているようなことも聞いている。
以前は、奏社宮と記していたとも・・・つまり国府に申し出る役目なのか?
人から聞いた話なので確証は無い・・・・
いずれ調べたいと思います。
左宮右宮
普段、略字を使いますが、本当はこの字です。
別宮
志波彦神社
カテゴリー「塩釜の散歩道」に鹽竈神社の記事が多数あります。
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