おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

今ハマダ 終活ヲ 語ラズ

2022-03-20 | Weblog

心身が縮こまる冬場の景色の中に、少しずつだが春の感触が目の前に見え始めてきた。枯野に雑草の緑が立ち上がるように、まずは心を縮みがちの状態から、背伸びするような心地よい伸びへとストレッチしていこう。マスメディアでは近年、人生百年時代を踏まえて終活、断捨離、人生の棚卸といった記事や放映が増えているが、そんなに早々と片付けをしてどうするのだろう。余命を知った上での覚悟の取り組みなら分かる。後世に残しちゃいけないものや不要な品々は、日頃、都度都度処分をして、お気に入りだけを回りに置いて心の安寧を維持すればいいだけだと想うのだがねえ。

エンディングノート? 書きませ~ん。それこそTO DO LISTの最終項目に指定しておこう。

断捨離? しませ~ん。捨てるようなもの、買いませんのよ。

人生の棚卸? 税務署に申告する決算書づくりじゃあるまいし、これって要るのかな。資産はないが、負債はあるなあ。そんな感じが分かっていればいいんじゃないの。負債があれば、どうやって返そうかなと考えるしかないよね。借りたお金は返さなくちゃいけないが、万事休すとなる前に無料法律相談の弁護士に電話1本だ。

一方で、断捨離しないと言っても、ゴミ屋敷の主になれという訳じゃないよ。これは、捨てていいものを捨てずにいることを日々積み上げていって完成するものだよね。コツコツと不要品が溜まっていき、その混沌、乱雑としていく状態の中に身を置くことが快感になったりするんだろうねえ。風呂にも入らず、下着も替えず、異臭を放ちだしていく自らの身体に精神が寄り添い同調して「その調子だ。もっと頑張れ。限界を打ち破れ」となるのかなあ。その寄り添いが、不要品の片づけ、ごみ出し、体の清潔へと向かってもらうと、「ああ、なんて立派な精神だ」と花丸を描いてあげるんだけど。

人生の折り返しを過ぎると、定年を迎えた大方の人たちは日々の暮らしの中でひと工夫が要るかもしれないね。

例えば健康の維持、あるいは一病息災で体へのいたわり。健康優良児(者)だった人も加齢に伴って、あちこちにガタがやってくる。

春が来たの替え歌じゃないが、こんな感じかな。

♪ガータが来た、ガータが来た、どこに来た~。お目目に来た、腰に来た、膝に来た~。

美男のアロン・ドロンも、筋肉隆々のアーノルド・シュワルツェネッガーも、おじいさんになるんだよ。

わたしも各種クリニックを受診するごとに「ああ、これは加齢ですねえ」「加齢に伴う症状です。今は特に治療は要らないですね。安心してください」「加齢だから様子を見ておきましょう。お薬も出すことないでしょう」。お医者さまたちは加齢、加齢っておっしゃいますが、わたしの想いとしてはボンカレーじゃないんだけどねえ。安心していいけど、歓べないという宙ぶらりんの健康状態に今はある。

次いで人脈。かつては仕事の関係で毎年山みたいに名刺の束が積み上がっていたが、今はそんな世界から1歩引き下がっている。住所録からは物故者が毎年出て、その度に当時の風貌やともに語り合ったことなどを回想することが常となってきた。会うは別れの始まり。そして永遠のお別れのときが最後に控えている。縁とも呼ぶべき人たちとは交友が続き、気の合う友とは軽く1時間以上の電話でのおしゃべりをしてしまう。男であれ、女であれ、語り合える友がいるのは大事なことだ。いや、貴重だね。

 

書斎の机の一角を陣取るフィギア。宇宙飛行士、エンパイアステートビルに登るキングコング、ツタンカーメン。ゴミ屋敷みたいに雑然としているが、わたしにとっては整然とした一角である。

 

部屋の一角。お気に入りのアートを毎日眺めて暮らす。いやあ、アートって最高! わたしにとっては心の健康食だね。

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