おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

あえてなぜ別の政党であるか

2006年09月09日 11時07分47秒 | Weblog
傑作 傑作(4)
作成日付 2006/8/15(火) 午後 0:01  |  書庫 政党のありかた  |  カテゴリ 政党、団体

脳の使い方で左脳型と右脳型といわれることが多くなってきた。左脳で考えることは論理的で、右脳で考えることは創造的、感性的だという。

左脳を必要とする仕事の一つに国家官僚がある。官僚は、国民に選ばれた政治家の命令によって、理路整然と働くことが本来であるため、左脳が重要である。

官僚というのは、既存の体制を維持し、前例に従い、新しいものは受け付けない。彼らにとって創造的なものは何一つ必要なく、官僚的であることが彼らの褒め言葉であるとしなければならない。ときの政権に従う官僚こそが、優秀である。官僚は、つねに既存の常識を範疇として、論理的に、詳細に、神経質に、物事を考える。官僚個人による勝手な法律解釈は許されない。これこそが官僚のあるべき姿である。血液型占いが正しいとすればA型の人間は官僚となることが天職であろう。

論理的なものの基準とは、すでに定着した考えを正しいという前提の上に成り立つ。時代が安定しているとき、左脳思考の人たちは大いに活躍してきた。

それに対して、創造的思考者は右脳思考である。ところが現代の政治家には右脳思考者が極めて少ない。

「できないこと」や「不可能なこと」とされるものを可能にしようとは考えない若者が増えている。しかし今必要なのは、創造的思考者であり、従来「不可能である」と思われた古い世界観をぶち破ることである。いつの世においても、新しい人たちが、その時々にふさわしいとされた、新しい世界観を、確立してきたことが歴史に示されている。

彼らはいつの時代も、勇気ある歴史の挑戦者達である。しかし、その勇気を称える現代人にとっては、過ぎ去った時代の勇者を見ているにすぎない。過ぎ去った今だからこそ、彼らを褒め称えることができる。

もし、その歴史の現場に居合わせたら、彼ら挑戦者の行く手を阻む側に回る人は、圧倒的に多いに違いない。えてして、織田信長のような改革者を尊敬している人は、さほど常識はずれのことができない。「われこそは平成の坂本竜馬である」などという国会議員に限って、みずからの地位と権力に執着し、創造力のとぼしい政治家が多い。坂本竜馬は政治家でもなんでもないプータローである。

そして、創造的思考者が革命をなすとき、論理的思考者はいつの時代であっても抵抗し、悪役となる。今後も恒にそうであろう。悪役となってしまうのは、今までの常識を当てはめて論理を構成するからである。その論理はその時代の人間にとって、どう考えても正しいとしか見えないのである。

創造される新しい世界観は、古い世界観の時代の末期に生まれる。その末期のはじめのころは、「新しい価値観」が、一般的に多くの人には受け入れられない。

今までの既成概念にとらわれてしまうためだが、それを取っ払おうと努力する者もいるけれど、容易には受け入れることができないのである。それでも、歴史は同一の世界観を長期もの間、とどまらせることはない。歴史は変革を要請し、彼らは新しい世界観を受け入れざるを得なくなる。

この変革期の時代に官僚のような左脳思考者は、新しい世界観を阻止しようと躍起になる。また官僚だけではなく、政治・経済や社会の有力者の地位にある者も左脳で思考するため、さまざまな妨害を試みる。

それまでの古い世界観で優美を味わったからか、それまでの古い世界観に教育されているからだ。彼らは、歴史の必然によって、変革期以後は過去の遺物となる。

大多数の権力者はこの遺物の中に葬り去られる。権力の中枢にもともといなかったものは、新しい世界観の創造者にとびつくまでだが、かつて権力の中枢にいたものは最期の最後まで抵抗をつづけるばかりである。

これは日本史上でも、世界史上でも幾度となく繰り返されてきた。けれども、現代日本で、今がその変革期に入っていることに気づいている人々のなんと少ないことか。大多数の人々は新しい世界観をあざ笑うために存在する。

新しい世界観を知る人が少数派であるということを、嘆いていても仕方がない。新しい世界観に気づいた人は少数派で、気づくことのできない人が多数派であるという事実そのものも、歴史が教えていることを思えば、合点がいく。

いま、われわれが置かれている二一世紀初頭においても、古い世界観が腐ってきている。すなわち、新しい世界観が必要とされているのだ。創造的思考者は、官僚や既成権力者ではなく、下級政治家や権力を持たない一般人から生まれるのは、彼らが常識に捕らわれる必要がなく生きてきたからである。

残念ながら今の永田町に、一兵卒の代議士であっても、新しい世界観をもつ「右脳型」思考者は一握りもいない。改革者と自称するものは何人もいるが、その多くは古い世界観の中の修正程度かその延長線上にしかすぎない。もし本当の改革者がいたとするなら、その人は現代の選挙では勝てず、政治家になることをあきらめるだろう。選挙に勝つ者の多くは、大学で学んだことやその他既成の学問や常識の経験の中で思考する。彼らは新しい世界観に対して、右翼的なのか、左翼的なのかを区別したがる。その質問自体が古い世界観なのである。

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