知識に溺れた人というのは、何かを切り開くためにエネルギーを使うよりかは、何かの物事を否定するために、誰かを否定し、自分を認めてほしいがゆえに、言葉を吐き出しています。だからどうしても、世のためよりは自分のことのみを考えての知識遊びの方々がおられるでしょう。
だから最近では、とにもかくにも、勉強が優先。勉強してからでないと、何もできない。とにかく知ることをちゃんとしないといかんという雰囲気が社会に感じられます。知識があったらそれをひけらかしたいという人増えているように見えます。そして、自分はAさんよりもものを知っているから偉くて、Bさんよりものを知らないから偉くないと勝手に決めています。
しかしながら先に愛がなくては、ものを知る吸収力も育たないし、肉体も鍛えらないし技術も身につきません。そういう元となる原動力というのがあるのだと私は思います。つまり相手に対する肯定力です。
先日、「あのキャラなんという名前だっけ」といった話ですが、「パワーパフガールズ」というのをなおちゃんに思い出させてくれました。主人公は、博士の作ったロボットである三人娘のパワーパフガールズで、力がめちゃくちゃ強い。強すぎて、町で鬼ごっこをして建物やら道路やらをどんどん破壊してしまい、町で嫌われ者になるわけです。
町の嫌われ者となった三人組は、自分たちのパワーを隠すようにして暮らしていきます。パワーを使わないので、それをいいことに、ある日、町の荒くれ者たちに襲われました。
一方、猿みたいな妖怪がいます。とても頭がかしこい奴がです。この猿が、襲われている三人組を助けます。しかし、その猿は自分の姿を彼女らに見せようとはしません。自分は醜いモンスターであると、脳が上まで突き出ていて、化け物として扱われ町で嫌われ者であったからずっとひっそりと暮らしてきたということでした。
自分はこんなに頭がよくて、ものを知っていて、この町をよくする方法を誰よりも知っているのになんで嫌われるんだといって嘆いています。
やがて両者は、片や力が強くて嫌われて、片や頭がよくて嫌われて、お互いに嫌われ者同士として結束していくことになります。
猿の化け物が言います。「俺の頭脳とおまえたちのパワーがあれば、この町を変えることができる。もっと良い町ができるのだ」といって、彼女たちに了承させ、化け物が設計した通りに何かを作り出していくわけです。パワーパフガールズたちはどんどん物資を運んで、何ができるのかは、彼女らも詳しくは知らないけれども基地みたいなものを完成させるわけです。これで彼女たち三人は、町のために物事を成し遂げた。今度からは嫌われないだろうと希望を抱きます。
ところが猿の化け物がやったことは、町中の動物園の猿たちを猿人化させ、人間たちをその支配下におさめることでした。集まった猿たちはどんどん町を破壊し、人々を殺戮していきます。
猿の化け物が言っていた良い町とは、猿による人間支配のことでした。
それで「どうしよう、とんでもないことをしてしまった」とパワーパフガールズは嘆くわけです。今度は町の人気者になるだろうと化け物に言われて、多くの協力をしてきましたが、結果は、以前よりもさらに町の人たちに罵倒されるようになりました。
それで当初はその猿の化け物が王となって治めるつもりでしたが、呼び寄せたいずれの猿たちも自分が王になるといって猿同士での戦争が始まります。
ここに大きなポイントがあります。つまり、「自分だけが正しい、他のものは認めない」という考えは、必ず、その自分と同じ考えを持つ者同士で戦いを始めるわけです。今の政治闘争は、どこをみてもそうなっています。そして政治に関係のない一般の人たちでもそういう傾向が出てきています。市場経済も米国化がすすみ、「己のみ勝つ」「あいつは間違っている」となってきています。
「平和を作る」と言って、自らの敵を作り、その敵を指差して「あいつらは戦争をさせようとしている」とけしかけています。ようするに、「平和を作る」と言っている人たちが争いごとを作り出していきます。イラク戦争、湾岸戦争もそうですね。今の護憲派市民運動も改憲派保守も同じことをやっています。
このアニメでは、猿同士がまさにそれをやっています。
そして、町の人たちにさらに嫌われたパワーパフガールズは「もうあんなところには戻りたくない」といっていなくなります。
でも自分の父親たる博士の叫び声を聞き、町に戻って助けにいきます。そして、町で猿たちに襲われている市民を救済していきます。死にそうになっている赤ちゃんや犬をみて、かわいそうだ、助けなければとなっていきます。そして町中の人たちを救い出し、博士の作った薬品も手伝って、猿たちを一掃するのです。
ここで我々が考えなければならないことは、力が強いこと自体に善悪はないということです。良いことにも使えるし悪い事にも使えます。武力においても知力において、経済力においてもそうです。それをどう使うかというのは、力をコントロールする部分である心に左右されているということです。
いかに頭が良くても、体が強くても、自分のためだけに使っていれば何にもならないし、利他のために使われて発揮されるものも多くあるでしょう。
こういうことが忘れがちな世の中になっていると感じます。現在、教育関連法案が審議されていますが、それを痛切に感じます。制度を議論する政治家・官僚・学者のお遊びになっています。彼らの支配力を満足させるためにやっているようなことを感じます。
そして、当ブログで討論にやってくる人も、みな知のためにやっている人が多いようです。目的は社会発展のために討論されるのが筋ですが、あまりにも学問馬鹿が多すぎて、目的に愛も心もともなっていない場合が多いようです。
どこにそれが現れるかというと、自分の考えについては、とにかく理屈抜きにして、とにかく肯定されなければならないというワガママなことから始まっているからです。つまり自分が正しいという結論が先にありきで、物事を話している場合がとても多いようです。この原因が、自己中心主義であるということでしょう。
知識に溺れている人との討論は、結局のところ、相手を否定する事が目的だから何も生まれないのです。だけれども、何かのために、やっているということになれば発展的に進みます。
例えば、護憲の人は世界平和を願っています。武器のない世の中を作ろうとしています。では武器のない世の中が平和になるとその人が信じているのであれば、どのようにして各国の武力をなくしていくのがいいのか、そのためには国家政府がなぜゆえに存在するのかということを考えてもらうのです。そうなると自然主義経済というものが、憲法9条を守るよりも近道であるということがわかるでしょう。
改憲の人は、自国の平和のために武力が必要であり、集団的自衛権を認めるべきだとしています。ではなぜ他国が攻めて来るのか、他国の一般人が個人で包丁もっては来ません。これも国家政府の仕組みによってできています。だから憲法9条を改正するよりも自然主義経済が近道である事がわかるはずです。また、これまでの怨念を中国や朝鮮半島が抱くのはなぜですかと、富が蓄積できて政府が潤うからでしょうと、なります。
だから、何のためにその人は何をしたいのかについてが、明確であると、ただ自分の知識遊びでこの人は言っているのか、あるいは自分を磨こうとして言っているのかは、その内容を聞けばだいたいわかりますよね。
政治というものは、どの人も当初は志高くやっているんだけれども、ほとんどの人は主張のための主張になってしまうものです。これまで護憲を守ってきたから、これはもう崩せないんだと、究極は平和を侵してまでも護憲を譲らないくらいのところにまで行き着きます。なぜかといえば、自分の思想のためにだけやっているからです。思想の危険性というのはこういうところにあります。
やがて他人を否定するために、脳みそをほじくりまわすようになっていくのです。心から考えてなせば、そのようにはなりません。プラス思考同士で討論した場合には、新たなものが生まれます。
だから平和党は、何かに反対するための政治活動をしてはならないようにすべきと思います。平和党を勝手に反戦政党だと思い込んでいる人がいますけれども、ちゃんと見ていればわかることです。
平和党は現行の資本主義経済もあってよし、社会主義もあってよしとしています。保守もリベラルも社民もマルキシズムもあってよいし、そのために違う新たな軸である次元を出しています。それが自然主義経済なり、善悪中毒なり、憲法からの脱却なりです。
このアニメでは結局、猿の化け物は自分のみを肯定し、人間を支配下に置こうとしました。それと同時に猿仲間同士の中でも、自分のみを肯定し、他の猿について否定していきます。
でもパワーパフガールズは自分たちを迫害した市民に対しても肯定的にとらえて救済していっています。また、ストーリーの途中では父親たる博士にも愛想をつかされるのですが、愛ゆえに助けにいくのです。
だから、自分だけはどんなに理屈が立たなくても自分だけは肯定し、気に入らないものがあれば否定するというのは己の破滅を導き、自分も他人も肯定することは発展を作り出すという教訓だと思います。ディズニーはじめ、商業主義たる米国アニメを馬鹿にしていましたが、そうでもないことがよくわかりました。でも内容については、日本のアニメは世界一でしょう。